渋谷アップリンクにて、そのあまりにディープすぎる衝撃に心が震えました。
血走った才気に鬼気迫るぎりぎりの映像はR18指定である。
原作も購入して読みました。
ラストは、映像作品と小説では、ニュアンスというか印象がいくぶん違いを感じましたが、原作者も役者として出演しているし、監督と話し合って作品作りをすすめたのだろうから、ストーリーは忠実でありながら別世界の映像となっていた。
いずれにしても、二人の天才の邂逅が奇跡の化学反応を惹き起こしたのだろう、すさまじい作品である。
テーマは、目を覆いたくなる現実と、きれいごとでは解決できない絶望的な状況における悲しすぎる冒険物語だ。
救済についてのひとつの確かな形だ。
その善悪については私にはわからない。
しかし、心が揺り動かされた。
たぶん、R18指定を外して映像化することは、許されるべきではない。
宗教も社会も、見て見ぬふりにあふれていて、そっくりそのまま現象となってはいないかもしれないが、悲惨な事件は起こっている。
許されざる者にしか許されざる者を排除できないのかもしれない。
この世に救済は存在しないとしか思えない。
神も仏も見放したのか!?
【追記;ふみ(主人公の名前)人形が暗示/明示する行為は直接的過ぎて危険な映像だ。
幸福や人生の意味とは、あなたが自分自身に与えるものである、つまり、人から決めてもらうものではない。一般論ではなく、個別具体的に、今この時を、おせっかいして鬱陶しがられても、それでも恥かいて問題を見つけて解決していたい。
せめて、誰かの寿命をすこし引き延ばしてみたいと考え、そうなる仕事を引き受けるのだ。】
私の考えは、異端審問官であり、ドン・キホーテだ。
おせっかいをして笑われていたいし、救済のために犠牲が必要というのなら、そんなものはひっくるめて迷わず抹殺だ。
思いやりとか共感とかいう、頭の中が「お花畑」のような自分探し文化があふれた時代に、よくぞここまで心も体もえぐるような不快な映画を製作したものだ。

私はきれいごとのレガシーを愛するものだ。
印象派の絵画のなにがどういいのか本当はよくわからないのだが、大好きだ。
価値あるものと認められた作品は広く美術館で公開されるべきだと考える。
プラトン流でありたいのだ。