ローマの骸骨寺には、たくさんの修道士たちの骸骨が積み上げられている。
I see what I was.
You see what you will be.
といったようなことが書かれていた。
これは真理である。
私もいずれ骨だけになるのかと思うと、有限の命という素晴らしさ(ギリシア神話では不死の神々が死すべき運命の人間を羨んでいる)に思い至り、静かに平穏な気持ちを感じた。
血肉はタンパク質なので、腐敗して二酸化炭素と水になる。
骨はリン酸カルシウムなんで、時間かけて土になる(またはケイ素と結合して化石になることもある)。
宇宙レベルの循環である、まさに輪廻転生、諸行無常だ、実にすばらしい。
どうにもならない運命を受け止めるには、それなりの時間がかかるものである。
ああでもないこうでものない、不毛な思考をを繰り返し、堂々巡りの末に覚悟が芽生えるのかもしれない。
DECAY;衰退、腐敗、堕落
魅力的な美しい響きの言葉です。
ワーグナーの「神々の黄昏」は「THE DECAY OF GODS」と翻訳されています。
※原題はドイツ語で「ゴターデーメルング」です。
好奇心は自由に過去と未来を行き来する。
遊びに本気だと、人生豊かになるみたいだね!?
なお、不都合な真実として、凶悪犯罪の9割は若い男である。
テストステロンの過剰分泌が一時の感情で脳を支配し、過当な競争と一発逆転の行動を選択させるのである。
この事実をわかったうえで、法の支配を冷静に毅然としてしかも現実的に構築していくべきなのである。
事件事故犯罪の恐ろしいところは、その時間を一方的に奪われてしまうことなのであろう。
やはり、不法者には毅然とした対処をしなければならない。
復讐も恨みも際限がなく虚しいだけだが、納得なんかできるものではない。
爬虫類の時代から付き合っている怒りと向き合うとき、あまりの残酷さに無力な自分を感じざるをえないのだ。

骸骨寺は地下鉄A線 バルベリーニ駅(Barberini)より徒歩1分、1631年に完成したサンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会(Santa Maria Immacolata Concezione)にあります。
教会は、1960年公開のフェデリコ・フェリーニ監督の"甘い生活" (ラ・ドルチェ・ヴィータ La Dolce Vita)の映画の舞台ともなった高級ホテルやカフェなどが立ち並ぶ、おしゃれな通りのヴィットリオ・ヴェネト通りの始まり辺りにあります。
この坂道を登っていくとボルゲーゼ公園です。
この曲がりくねった坂道のおしゃれなレストランで、素敵なアメリカ人の女の子とデートしました。
今ではいい思い出です。