自分探しの旅 | nishicapiのブログ

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自分探しの旅を妥協なく続けていくために、今日もまた恥をかく。

成長の物語でもあり、スパイダーマンやスターウォーズのテーマだったりもする。

人は、他人を理解することはできるのだろうか?
自分自身のことすらわからないのに、無理な気もするし、半分ぐらいは共感できるのかもしれないし、幸福な一体感にまで達するの尾かもしれない。
人の気持ちとは複雑なもので、明暗ときにはグレー部分も同時に抱え込むものである。

よく、「心は真っ白」みたいなことを言う人がいるが、私は決して信じない。
それを、信じたい気持ちもわからないでもないが、人間はだれでも矛盾をかかえていると考えるリアリストなので、基本は懐疑的である。



懐疑の視線のその先に、ともに苦労して登った峠のその先に、求める何かがあるように考えるが、その答えは何度トライしてもわからない。
明るすぎて見えないのか、探し求める生命のイズミは、岩の影が雲が風が遮るのか、今その姿は見えない。

ただし、真剣に向き合った時に、どうしても次のステップへ進むときに、暗闇に光をあてなければならないときがある。
暗部に強い光を当ててしまうと、痛いし苦しいときもあるものだ。
おそらく、ここを乗り越えたときにだけ深い信頼関係は醸成されるのだろうと経験が教えるのだ。
腫れ物に触るような人間関なら、長く続けることはできないだろう、すくなくとも神経質な私には無理だ。

普段は押し通さない意地を張ったことにより、感じていた違和感の正体らしきものがぼんやり見えた気がした。
私はこの目でその正体を直視したい、たとえ失明することになっても。
まあ、軽いやけど程度はあったけど、甘酸っぱい興奮は感じた。
正義なんてものは人それぞれ、また、真実というものがあったとしても、光の反射で違って見えたりもするのだ。
今日はどういうわけだか、耳障りのいい偽善という名の保護フィルターではなく、もっとも意地悪く冷徹に屈折する、強力なフィルターを通して、身勝手な正論を貫き通した。
朝からついてないけど、ひとつわかっていることは、弱い姿に世間は冷たい、見せかけの優しさは下心があると考えておいてほぼ正解だ。

今日の苦い記憶を留めておこう、いつの日か優しい光が当たることもあるかもしれないから。


甘酸っぱいザクロの花が咲きました。




どくだみ茶で解毒して、明日もさわやかな青空の下、あれこれ弱さも武器にてんじてみたり、仕事をこなし、汗をかいて、恥をさらして、それでも強く生きていこう。



この可憐な白い花が好きだ。