もう20年前、夏休みのヴァカンスでギリシアを旅した。
エールフランスでパリ経由でアテネへ飛んだ。
通貨は当時、ドラクマであった。
☆アテネのパルテノン神殿

お約束のアクロポリスを眺めた。
<加筆>言わずと知れたアクロポリス、アテナイ神殿は大理石に鮮やかな塗装がされちたそうだ。
隣のリカビドスの丘も眺めは良く、「ムサカ」を注文したレストランが強く記憶に残っている。
☆デルフォイへ続く街道

デルフィは、アテネからバスで4時間。
オイディプス王の三叉路はこの辺りなのではないかと自分勝手に想像して、そう思い込んでいた。
事実はどうだっていいのである。
<加筆>ソフォクロスのエディプス王の物語はこむずかしい悲劇であるが、人生の折々にじっくり鑑賞しておきたい。
中世の聖杯伝説やグレゴリウス賛歌と同じ匂いがするのかもしれない。
デルフィ博物館には世界のへそと呼ばれる大きな石が展示されている。
☆ロードスの要塞(ヨハネ騎士団)

中世十字軍の最前線であるロードス島へは、飛行機で1時間程度、本当はエーゲ海クルーズしたかったが、サラリーマンだったので時間がなかった。
☆ロードスの港(マンドラキの灯台)

光学写真のスキャン画像なので、背景とっても薄いけど、海の向こうはトルコ。
☆ロードスの猫

ロードスには猫がたくさんいた。
猫たちってタイトルしておきながら、写真には一匹しかいなかったりして!
当時、帰国直後に、ちょこっと強がりな日記を書いています。
ギリシアは印象的な国である。
ずっと行きたかったところであり、期待通りであり、かつ期待以上であった。 プラトンとヨハネ騎士団に心導かれたのであろう。人生は素敵だと感じた。
私の生き方はプラトン流である。 ロードス島は、夜の旧市街はいたるところに美味しいレストランが立ち並び、賑わっていた。 でも、なんといっても、生まれたままの姿で泳げたことが、何よりも思い出深った。くせになりそうだった(事実癖になった)。
デルフォイでは、バヴァさん(アラブ系だとおっしゃっていた)という、すごくかっこいい英国人の作家と出会い、写真を撮りっこし、哲学や詩、旅について話をした。
ここはソクラテスが「汝自信を知れ」と神託を受けた場所である。哲学の誕生した大地のへそだ。
つまりこのことが私がどうしてもここへ来たかった理由であると、感激した私は思わず言葉を発した。
彼はすかさず、「あなたは自分自信を知っていますか」と尋ねた。
「いいえ、まだ全然」と答えたが、このさわやかな出会いは印象深い。
彼からガイドブックをプレゼントしてもらい、そこにサインしてもらった。
アポロン神殿からさらに遺跡を登ったてっぺんにある競技場あとにて、競争してる人達がいた。
楽しそうだ。
ここで読書に耽った。
その帰りにまた「バヴァさん」と挨拶をした。
彼は詩を創っていた。
帰りのバスではドイツからのカップルが騒いでいて、バスの座席ががたがたしていたおかげで、私にも興味をもったらしく、ちょうど良いきっかけから退屈しないですんだ。
アテネではとにかく楽しかったが、アクロポリスはおのぼりさんばっかで面白いし、夜の繁華街は客曳きが多くて楽しいし、市電はどこ走ってるのかわからないし、タクシーは安いし、飯もうまいし、すごく楽しい。
なんといっても、国立考古学博物館でアガメムノンの黄金のデスマスクを接近して見たし、アカデミア跡地(現在は図書館、大学、講堂)にも立った。
古代アゴラの線路を挟んだ向かいのお店屋さんは、手作りのレースなんか売っていて、優しい夫婦がこじんまりと営業してて、とっても気持ちの良い買い物(お土産)ができる。
以上ですが、もうすこし思い出を呼び覚まします。
☆アテネの路地裏

レースのテーブルクロスを母にプレゼントするという私の話に、お店のおかみさんが、大げさに感動していたのが素敵だった。
これ、本当にいい写真だね。
オリンピックの負の遺産は無惨だが、人々の前向きな姿勢やしなやかで明るい気質、さらに苦しい中でスクラッチからの再構築ができているので、夜明けは案外近いのかも。
ギリシア産のはちみつってとっても濃厚で複雑な香りがして最高です!
ギリシア語は、古代・中世地中海世界の共通言語=lingua franca(リンガ・フランカ)でした。現在の英語のような位置付けですね。
新約聖書(旧約聖書はヘブライ語)も、ローマ法大全の一部や注釈書もギリシア語で書かれました。
ヘレニズム時代やビザンチン時代の広大な支配地域の主要共通語であったという歴史から、ギリシア語がデファクトスタンダードになったようです。そして、ラテン語もギリシア語の単語をたくさん取り入れます。
アテネには、東方正教会の教会・礼拝堂がたくさんあり、イコンやモザイクがきれいです。