ルーティーンについて | nishicapiのブログ

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現役時代の準備行動について、当時の約束事を羅列します。

<1>
4円等価(またはそれ以上のレート)では140K財布に入れる。
※その理由はただひとつ;甘い台をみつけたらデスマッチするため。資金ショートはありえない!

<2>
座ったら手帳にカウンターの回転数を記録。

<3>
大当りしたら、右の削りの程度を確認する。
※すなわち出玉の計測です。スルーブロック等の悪意ある削りはST終了次第即移動です。


外税等価4.31円ホール(232玉等価はひりひりする地獄のハイレート)で勝負するときが最も燃えました。
5連敗マイナス400Kぐらいまでは喰らったことがあるので、このルール<1>を実施するためには、540Kは必要だということを意味します。
私の場合、負けたら悔しいので、負けついでという意味不明な儀式でキャバクラやガールズバー等で派手に使っていたので、実際には2000Kぐらい余裕資金がなければパチンコはできません。それぐらいの覚悟と気合に満ち溢れて日々勝負に臨んでいました。
1回転でも多く、時間効率を最優先に「ぶんまわし!」続ける毎日でした。
負けたくない、強い気持ちが折れそうになりながら、ときには砕け散りながら、甘い釘なら回し続けました。
実際には、250玉につき17~19回転あたりで1200回転を儀式のように打ち込んでいました。

正しい考え方、ぶれずに実行する素直さ、そして最後まで途切れない資金力、そんな私がパチンコに負けるわけがありませんね。

パチンコは釘だけがすべてです。
まず、自分に出来る努力をできる限りがんばる、人事を尽くして天命を待つのです。
そして、そのうえで、あえて言います、釘以上に持って生まれた引きが大事です。
運は引き込むもの、引きは愛の力によって齎されるものと固く信じます。
幸運の女神は誤魔化さずにしっかり準備をしたものにのみ微笑むのです。


乾杯(^^♪


私は能天気な運命論者なのですが、「運」というものについて、合理的と思われるひとつの見解を述べてみたいと思います。
※つっこみどころ満載ですよ!

運がいいのかわるいのか、結果的に運がいいと見える人は、試行錯誤を繰り返しています。

私の結論ですが、勝ち続けている人は、一見くだらい(ように見える)ことも含めて、全部やりきっているものです。
やるべきこと、できることは全部やった。
だから、後は神のみぞ知る、という状態になるわけです。

手を打ち尽くして、後は待つしかないという状態になれば、うまくいったときに「運がいい」と思うのは自然です。
「これだけやったんだから」と言い訳ができるほどあがいた後には、ビールがうまいし満足感も高いものです。

「運」というものが存在するかはわかりません。
でも、最後は成否に運以外の要素がない、と言い切れるまで、私はそこまで回しました。
釘は読めないので、20K試し打ちしてダメなら台移動、いい感じなら粘る、集計してみたら2千万円は投入していましたよ。
さらされたリスクは積もり積もって大きな金額ですね。
そして、わずか0.3%の差益、単に運が良かっただけですが、プラスになりました。

心の底から信じてるわけではありませんが、ものさしとして非常に参考にしている「ボーダー理論」との比較考証の結果、私は運がいいと思います。
結果が予想通りになることほどラッキーなことはないと思います。

ついでに言うと、たとえば介護保険料とか掛け捨てできたなら、それはつまり健康に天寿を全うできたということですけど、そんなに幸運なことはありませんね。
自動車保険も結果的に掛け捨てられたならそれがベストです。
被害者も加害者も生まなかったのだから、さらにそのうえ、保険会社の従業員とその家族の生活も支えたことになります。
現実には自動車による交通事故は起こっていますし、起きてしまったときには保険がないと責任負いきれません。
だから自賠責は強制保険なわけですよね。
自転車も保険加入義務にすればいいのに。

最近つくづく思うのが、はりきってもそうでなくても、明るくふるまっても暗くても、がんばってもがんばらなくても、受け取る給料同じなら、手前勝手に元気に明るくふるまうほうが自分にとって得だなということです。
不貞腐れていじけてても、給料同じなのに、ストレスたまって不健康になるだけです。
疲れて愚痴の一つも出る日もありますが、ビール飲んですっきりすればリセットできます。
冷製に科学的に反省すべきは反省して、あとは忘れてしまうのが精神衛生上いいのです。
そんな鈍感で明るい姿勢をもっていたいと、ストレッチとマインドフルネスを活用して呼吸を整えています。
※継続は力なりで、瞑想によるコントロールは、たぶん15年以上続けています。