私が帰路についてから、主人はICUに5日いました。
ICUでは一日中電気が点いたまま、機械の音がピッピッと鳴り続けて休まらない中、激痛と闘っていました。
そして経過観察室に1日。
この頃は主人はもちろん電話はかけれない状態だったので、私はただただ無事の連絡を待つのみでした。
そして主人からメールが来たのは手術から1週間後でした。
私が帰路についてから、主人はICUに5日いました。
ICUでは一日中電気が点いたまま、機械の音がピッピッと鳴り続けて休まらない中、激痛と闘っていました。
そして経過観察室に1日。
この頃は主人はもちろん電話はかけれない状態だったので、私はただただ無事の連絡を待つのみでした。
そして主人からメールが来たのは手術から1週間後でした。
手術が終わり、もう数日滞在して主人に付き添おうかと思ってたのですが、この時台風8号が沖縄に近づいていました。
そこで婦長さんにご相談したところ
「天気予報を見るとやっぱり沖縄に向かってきてるよう。
台風が近づいてきて警報が出ると、沖縄はバスが運休となり、病院自体も緊急体制となり閉鎖されるので見舞いにも来れないんです。
それにICUも午前、午後の2回、それも短時間しか対面出来ないから、お世話は私達に任せて
気を付けて帰った方がいいと思いますよ。」と言って下さったおかげで迷いが吹っ切れました。
朝一番の飛行機で帰るため、こちらの都合に合わせて頂き6時前にICUに入らせてもらいました。
昨日と違って意識はしっかりしてるものの、口には人工呼吸器がされてるので会話は出来ませんでしたが、手の平に「ありがとう」とか色々書いて意思疎通は出来ました。
A先生によろしくお願いしますと伝え、後ろ髪引かれる思いで岐路につきました。
帰りの飛行機は台風が近づいているのもあり、かなり揺れて飛行機が怖い私はずっと肘掛を握っていて疲れてしまいました(苦笑)。
手術当日になりました。
前夜は色々考えてほとんど寝れなかったのですが、8時過ぎから手術の準備が始まるので、早めにホテルを出て病院に向かいました。(沖縄は道路が渋滞するのもあるので)
病院に着くと主人は病院着に着替えていたので、「いつかこんな事があったね」と笑える日が来た時用に、この姿を写真に撮りました。
その後看護士さんが呼びに来て、手術室に案内されました。
ガラスのドア越しに手術室に入っていく主人を見送ったのですが、これが現実の事なのかよく分からないような感じでした。
そして長い時間が過ぎて夕方5時頃、手術が終わりました。
先生に「無事成功しました」と聞いたら、自然と泣けてきました。
2時間後に麻酔が切れる頃、ICUに入らせて頂き主人と対面しました。
まだ朦朧としていましたが、生きている主人を見たらまた泣いてしまいました。
タイトル通り、ケンカばかりで何度も離婚話をしていた私達ですが、生きているからこそケンカが出来るのであって、改めて先生方、看護士の皆さん、そして夫婦の事、子供の事をいつも支えてくれた義両親、義兄妹、すべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
手術前日、説明を受けるために子供達を義妹に預け、一人沖縄に向かいました。
そう時期は夏休み。
周りはウキウキ気分で楽しそうなのに一人沈んでました・・・
空港から病院に着くまでの間、運転手さんと話をしてると琉大の國吉先生(Y先生の上の方)というのは沖縄では超有名で神様のような方だと聞いて気持ちが楽になりました。
病院に着き11日ぶりに主人と会いましたが、(覚悟を決めたのか)思いのほか元気そうでした。
濃い味の好きな主人には沖縄の病院食が美味しかったそうです。(一番気に入ったのはジーマーミ豆腐だそう)
そして説明室に案内されY先生から説明を受けました。
「このバッドキアリ症候群はもともと南国の方に多い病気で、約40年前から琉大でこの病気に対する手術が行われてきました。
近年では本州の患者さんも増えて琉大に手術しに来たり、相談される事が増えました。
しかし依然、この病気に対する医者の知識が少ないために、本当は血管の病気なのに、肝臓の病気だと思われたり、気付くのが遅れ手が付けれなくなる事もあるそうです。
患者さんから沖縄に行くのは大変だから本州に来て欲しいという要望もあるのですが、
この病気は原因が分からず血栓が出来てしまう病気なので、手術後というのは人間本来の治癒力で血が固まろうとするのと、血をサラサラにしつつ、術後の出血が酷くならないようにという両極端なものをコントロールしなければいけない。
手術が終わってからが大事だからこそ、経験、施設のある沖縄まで皆さんに来て頂いてるんです。
その上でご主人の肝静脈は3本中2本は完全に閉塞しています。
そして残り1本はギリギリ生きていて手術で開ける事が出来ます。
下大静脈は上の方の血栓が大きくて硬いおかげで、血をサラサラにする薬を飲んでも肺塞栓にならずにすんでいました。
この血栓を血管を広げて除去し、そのままではまた詰まる可能性があるので自分の心膜を切り広げた部分にパッチワークのように貼り付けて血管を広げます。」
とのことでした。
主人はどうせ痛い思いをして手術するのだから、閉塞している2本の肝静脈も広げる事は出来ないのかと聞きましたが、それは無理だと言われました。
肝静脈は1本でも流れていれば肝臓は働くそうで、主人の残りの1本もギリギリだったけど都内の病院で血をサラサラにして血栓が大きくならないようにしたおかげで、もし手術するのを遅くしてたら、この1本も閉塞してしまい移植しかなかったそうです。
説明を受けた後、病室へ戻り落ち込んでいたら、同室で隣の患者さんとお母様が色々教えて下さり、「手術は怖いでしょうけど、手術出来るという事は治せる事と思えば怖くなんかないですよ」という一言でに私達夫婦は救われて気持ち的に前向きになれました。
都内の病院でもしっかり検査をしてましたが、琉大病院でも改めて色々検査をしました。
というのも都内の病院は内科。琉大病院は外科。
同じ検査でも見方が違うそうです。
仕事で予定の日数より遅れて入院したため、検査で忙しかったようです。
また手術で出来る限り輸血をしなくてすむように、自分の血液を貯めておく必要があったそうですが、日数が短かったために少ししか貯めれなかったようです。