嘆きの壁 | 永劫回帰

永劫回帰

価値なき存在

 
 
 
 
さて、またまた自由恋愛の街「飛田新地」界隈を彷徨いてきました。
 

以前少し触れた「嘆きの壁」がどれくらい残っているのかを確認しようと思い、方向音痴😵‍💫の羅針盤を駆使して猛暑の中をグルグル周ってみました。

 

グルグル危ない土曜日 ♫♬

 

 

 

 
通称「嘆きの壁」については、坂口安吾の「安吾の新日本地理 02道頓堀罷り通る」初出1951(昭和26)年4月1日 に割りと詳しく記されています。
以下その部分を青空文庫版より抜粋転載。
 
『阿倍野。これもターミナルである。国際マーケットから飛田遊廓、山王町を通りぬけてジャンジャン横丁まで、まさに驚くべき一劃である。飛田遊廓なるものの広さが、銀座四丁目から八丁目まで東西の裏通りもいれてスッポリはいりそうな大々的な区域であるが、これがスッポリ刑務所の塀、高さ二十尺余のコンクリートの塀にかこまれているのである。世道人心に害があるというので大阪の警察が目隠ししたのだろうと考えたら(そう思うのは当然さ。駅前や盛り場にバリケードをきずいて人間どもを完璧に整理しようというのだから)ところが、そうではなくて、往年の楼主が娼妓の逃亡をふせぐために作ったものだそうだ。そこへ関東大震災があって吉原の娼妓が逃げそこなって集団的に焼死したので、大阪に大火があったら女郎がみんな死ぬやないか、人道問題やで、ほんまに。大阪市会の大問題となって、コンクリートの塀に門をあけろ、ということになった。その時までは門が一ヶ所しかなかったそうだね。刑務所にも裏門があるそうだが、ここはそれもなかったのだそうだ。それ以来四ヶ所に門をつくって今に至ったのだそうだ。』
 
 娼妓の逃亡ってのは結構あったんでしょうね。っていうか意思に反して売られてきたりしたら逃げたくなって当たり前ですよね。
 
 
しかし今日も暑いぜベイベー💦 ガチで着火しそう🔥
 
大阪地下鉄(大阪メトロ)堺筋線の動物園前駅を出てアーケードのある飛田本通商店街へ向かいます。
 

 

細い道の向こうに阿倍野区の高層マンションが見えます。アップタウンとダウンタウンといった感じですね。

 

 

 

途中商店街から外れて裏通りへ迷ってウロウロ😅 しみ抜き屋さんって今はほとんど見ないですけど、昔は割とありましたよね。

 

 

 

山王市場通商店街の映画かドラマのセットのような食堂。これは登録有形文化財に指定されてもええんやないwww 次の機会には、ここできつねうどんを食べてみたい。

 

 

 

本来の飛田本通商店街へやっと戻ってきました💦 しかしあぢい、早くちべたーいビールが呑みたい🍺

 

 

 

おやおや、これは火事の跡だ。どうやらカラオケスナックから出火し、8棟に延焼した模様。負傷者が出なかったのは幸いです。

 

 

 

昭和レトロな店舗の喜久屋雑貨店。残念ながら今日はお休みのようです。

 

 

さあ飛田新地大門跡に到着です。

 

 

ガス燈風街灯の隣の門柱が大門跡です。そこから右手にあるグレーに塗られた壁が今回の目的の「嘆きの壁」ですね。

 

大門というくらいですから、ここが最初から一つだけあった門ででしょうかね。

この門は駅にも近く、阪堺電気軌道阪堺線の今池停留場、南海電気鉄道の萩ノ茶屋駅が飛田遊廓(大正7年開廓)のできる前の明治期からあります。嘗ては南海電気鉄道天王寺支線(廃線)の曳舟駅、大門通駅、飛田本通駅、今池町駅、南海電気鉄道平野線(廃線)の飛田停留場なども近くにありました。

今は電車なら地下鉄御堂筋線か堺筋線の動物園前駅からが、一番近いのではないでしょうか。

 

あ、別に飴ちゃんのもらえる料亭のご利用を勧めているわけではありませんよwww ちなみにわたしは利用したことはありません。

 

 

大門跡から商店街を南へ進み、壁の存在を確認しましょう。大門跡から商店街のアーケードが無くなるので日傘をさして歩きます。

 

 

おおっ、家屋と家屋の間にコンクリートの壁が見えます。

 

 

 

ヨシッ!、次の隙間にもありました。

 

 

 

横切る道路にも壁の支柱が確認できます。家屋と一体化してますね。

 

 

 

反対側にも支柱と壁がありました。壁に所有者がいるのかどうかわかりませんが、残したまま新しく家屋が建っているので、何かしら理由があったのでしょうね。

 

 

 

次の道路にある支柱は老朽化でコンクリートが剥がれ落ち一部鉄筋が見えています。

 

 

 

反対側にもしっかりと残っています。注意して見ないと家屋の一部のように思ってしまいます。

 

これ以上南側では壁の痕跡は確認できませんでした。この先は嘗てあった南海電気鉄道平野線の飛田停留場に突き当たるので、そこから東方向へ壁が延びていたのでしょう。

 

 

北側を探索する為に、また大門跡へ戻ります。

 

 

北側の大門跡の門柱からも壁が続いていました。右手の襲撃に備える様に窓がガッシリと金網で補強されている建物は、西成警察署飛田交番です。まるで門番のようですね😁

 

 

ここからは商店街のアーケードを歩いて壁の痕跡を探します。

 

 

おっと、ほんの僅かな隙間に壁が見えました😊

 

 

 

商店街の横道にも一部割れているものの支柱がちゃんと残っています。

 

 

 

反対側の支柱は上手く利用されていますねw 壁も先へ続いているようです。

 

 

ここから先、商店街を歩きましたが壁は見当たりません。商店街を行ったり来たりしながら路地にも見当たらないなあと思っていると、ずっと奥に何やら壁らしきものが見えるような⁉️

 

よし行ってみよう。レッツラゴー‼️

 

 

ズンドコズンドコ歩いて奥へ進みます。

 

 

 

すると路地の右側に空き地があり、その奥に壁があ〜るじゃあ〜りませんか❣

一部崩れていますが間違いなく壁です。ということは商店街の横道を横切ってから、家屋の裏で東側に壁は折れ曲がっているということですね。壁の向こう側は件の料亭か、廃業後に居抜きで入った飲食店でしょうか。

 

 

 

路地のドン突きも壁で間違いないでしょう。右手にある壁はまた北側へ折れ曲がるわけですね。

 

 

 

壁の向こうにマンションがピッタリと建っています。マンションの窓から見れば壁の曲がる地点なんかも分かるのかもしれませんね。

 

 

 

突き当りの手前の右手にも空き地があり壁が確認できました👍

 

 

 

おっ!突き当りの壁に扉がある!しかし他人の家の敷地なので入って調べることはできず、残念です。関係者の出入り口だったのかなあ。

 

 

 

謎の扉は諦めて北側へ延びる壁を追いかけましょう。マンションの隣には割と新しい家の屋根が見えますね。

 

 

 

向こう側の家の端辺りで壁は無くなっているように見えます。

 

 

 

先へ進む前に路地のドン突きにあるお地蔵さんに挨拶をしておきましょう。謂れなどは分かりませんが、地元の人たちに大切に祀られています。

 

 

 

このお地蔵さん、なかなか愛らしい表情をされているのですよ。首を傾げて微笑む姿はなかなか珍しい地蔵尊ではないでしょうか。なにかキャラクターっぽいですね。

 

 

さて壁を追って行きましょう。

 

 

壁がいつ建てられのかは定かではありませんが、関東大震災が1923(大正12)年ですから、その時には既にあったということは100年以上は経っているので、かなり傷んでいますね。

 

 

 

向こう側の家の端で壁はやはり無くなっています。崩れたのか壊されたのかは分かりませんが、バリケードと単管パイプで仕切られた向こう側は空き地のようです。

 

 

 

無くなっている壁の続きを探して、さらに細くなった路地を進みます。バリケードと単管パイプに張られた防塵ネットの向こうに壁があるような。しかし狭いなw

 

 

 

ありました!壁と支柱がちゃんと残っています。

 

 

 

さらに狭くなった😮路地を進んで新開筋中央商店街へ抜けます。

 

商店街を進み横道へ入ると家屋の間に壁がありました。

 

 

どうやら残っている壁はここまでのようです。この先は壁の痕跡は見当たりませんでした。この延長上に北門があるので曲がったりはしていないと思いますが、実際のところはよく分かりません。

 

 

 

この壁の道を挟んだ向かいは、建物がぴったりとくっついて建っているので、建築前に壁が壊されていたか、建築時に撤去されたのでしょうね。

 

 

 

狭い路地から見えていた壁を空き地の側から確認しました。

 

 

 

家屋と壁が密着しているのがよく分かります。

 

 

 

地蔵尊の並びの壁が途絶えた所を、見えていた家の側から確認しました。劣化した壁の見栄えが良くないからか、ボード?で養生されていますね。

 

 

横道を更に進んでみますとコインパーキングがあり、壁にあった扉付近の反対側が確認できました。

 

 

マンションの1階部分から2階の床下より高くに壁がありますね。ちょうど壁の曲がり角の部分です。

 

 

 

角の部分の控え柱はコンクリートが壊れて鉄骨が剥き出しになっています。マンションと見比べると壁の高さがよく分かりますね。4m以上はあるでしょうか。当時の家屋の2階より高く、壁が作られたのでしょう。外側(路地)にあった扉の内側は、マンションの敷地でトタンの波板に遮られて、残念ながら確認することはできませんでした。

 

 

 

商店街へ戻り、北門の「五龍神結界」白龍大明神の鏝絵を眺めてから東側の壁を確認しに行きましょう。

 

 

新開筋商店街を抜けて右へ曲がると大時計が目に入ります。

 

 

この大時計は阿倍野区と西成区の境界にあり、東側の壁の始まる地点でもあります。画像右側の低くなっている所が西成区で飛田新地となり、マンションの見える左側が阿倍野区になります。飛田新地の建物が随分と古いのは、建て替えての営業が許可されていないからのようです。それって地震なんかで家屋が倒壊して、働いてる人たちが巻き込まれるのは仕方ないと行政は考えているということなのかな?

 

 

 

阿倍野区側の塀は目隠しwの意味合いが強いように思います。

 

 

 

西成区側へ階段を降りてみると、壁というか古い擁壁の上に新しく塀が作られているのが見て取れます。元はこの断層崖を利用して壁が作られていたのか、擁壁も壁の名残りでこの上に壁があったのかは分かりませんが。

 

 

 

北から南へマンションに突き当たるまで擁壁(壁?)が続いていました。

 

 

この辺りは飛田新地の中ですが、会社や商業ビル、廃業した家屋や空き地(不法投棄が酷い)、コインパーキング等になっています。その一角に一際目立つ建物がありました。

 

 

「鯛よし百番」は元遊廓で今は本当の料亭😆として営業されています。建物は大正から昭和初期の遊廓建築として登録有形文化財に指定されています。いつかここで食事をして内装なんかも見てみたいものです。

 

 

最後に今回見て周った壁の位置を推定も混じえて、国土地理院の地形図に記してみました。長破線が部分的に確認できた壁を推定で繋いだものです。短破線は擁壁(壁?)の位置です。

 

※国土地理院 地形図より作成

 

 

大正10年の地形図にも落とし込んで見ましたが、地形が今とほとんど変わっていませんね。

 

※時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷 謙二 より作成

 

 

今回ウロウロしている時に昼から開いている料亭の中に座っている女性を見たのですが、ハッとするほど白いお人形さんみたいな感じでしたね。あんまりジロジロ見ていると店の前に座っている遣りてBBA仲居さんに叱られそうなので、そそくさと離れましたけどwww

 

料亭の女性は声を出して呼び込むことが禁止されているらしく、店の前にいる仲居さんがいろいろと取り次いでくれるようです。「お兄ちゃん、可愛いおなごおるよ〜っ!」と通る男性に元気に声をかけていましたね。まあわたしには縁のないのことで🤣

 
 
今回は娼妓を絶望させたであろう「嘆きの壁」を巡る散策をお届けしました。しかしドヤの街とチョンの間が今では(ほぼ外国人の)観光地になっているのは、喜ばしいことなのかどうなのでしょうかねぇ。