尚実の変態ホットライン -9ページ目

尚実の変態ホットライン

ゆりかごという名の孵化器のなか、リハビリ中。

去年の夏のことを思い出して

胸が疼く。



調教から2カ月以上経ったあるとき

奴隷は己のなかで期日という「限界」を

ひとつの墓標として掲げた。

そうしておいて、

わたしはひたすらにそこへ向かって身勝手に突き進んでいた。

それはアルマゲドン…わたしの中の世界の終わりだった。

それはわたしが燃え尽きて消えてしまうかも知れない日だった。

わたしはそのギリギリのところですべてを出し切るかのように

思いの丈をぶつけたのだ。


「ナオミ、おまえがそこまで必死になるのには
 なにかよほどの理由があるのだな。
 その日に何があるのか言ってみなさい。
 その答えによっては、わたしは仕事も家庭も犠牲にして
 お前に逢ってやらなければならないのかもしれない。」


Masterはそんなナオミに対し、そう仰った。


ナオミには何もなかった。

Masterにすべてを犠牲にして頂ける理由など

何もなかったのだった。

あったのは、Masterにどうしても 「今」 お逢いしたい。

そういう刹那的な欲望だけだった。

それ以外には何もなかった。何も。

だけどそれは、己を葬ってしまうのに等しいほどの殺傷力があり

ナオミはなんとしても、その死の淵からMasterに救って欲しかったのだ。


「いいえ。何もありません。」

ナオミは、心の中で何かが軋る音を聞きながらそうお答えした。



奴隷は、その後の沈黙の中、Masterの声を聞いた。

ただ、わたしに付いてこい。

Masterの声に交じってナオミも諳んじた。

がんばれ、がんばれ。

Masterの手を離さないように、がんばれ、がんばれ。



**********************************


今思えば、あれは自ら決定づけてしまった

自分の限界点だったのだと思う。

苦しくて苦しくて、耐えられない。

ナオミの心がほんの一瞬でもそう感じたのだ。

Masterは約束の言葉など与えて下さらない。

あと何日?あと何週間?あと何ヶ月?わたしは待てばいい?

そんな問いかけに一切を与えては下さらなかった。

Masterのその意味も見えず、奴隷は不安だった。

ただ、Masterは 終わりなどない この先を

沈黙で示して下さっていたのだろう。

もう、二ヶ月以上もお逢いしてません、と訴える奴隷に

たったそれだけだ。

そう仰ったMaster。


わたしの中ではその期間は「限界」を知らせるアラームだった。

でもわたしはそれを越えた。

自ら限界を定めなければ、越えてしまえるのだと思い知らされた。

わたしは限界などをもうけず、Masterを愛してさえいればよかったのだ。



その時のことを思い出すと

奴隷は心がギシギシと軋る。




そんな風にして過ぎた夏。

秋口に何ヶ月かぶりにお逢いした。

あの日のナオミを見る優しいMasterの目を、

限界を越えることの出来た夜明けに力一杯ナオミを抱きしめてくれた腕を、

奴隷はずっと忘れない。



この胸の痛みと一緒に記憶しておこうと思う。
先日、2人の主従関係を踏みにじるような発言をしてしまい
Masterを哀しませ、自らをも汚してしまった罰として
奴隷は髪を一本残らず漆黒に染めた。
罪を断ち切るように
長かった髪を30cm以上も切った。

鏡に映る自分と、昨日までの自分とのギャップに
少なからずショックを受けた。
自ら望んで受け入れた罰とは言え、
何の苦も感じないならば、それは罰とは言えない。
まるで別人のようになってしまった。
でも、ナオミはナオミ。
何も変わらない。

ただ、それをやってのけたことで
自分の身体が否応なく主に支配されているような
不思議な感覚になっていくのを感じた。
それが世間の価値観もしくは、
自分を支えてきた価値観からは大きく離れた行為のように思えたからだろう。
自分の意志とは関係のないところで自分を突き動かす存在を感じること…。
きっと、罰を分かりやすい形で施すことは
己が何者であるかを分からせるための刻印のようなもので
真の罰とは、自らを支配されていく感覚に落ちていく己を
ただ甘んじて受け入れ続けることなのだと感じた。

それは甘美な痺れ
ただ、それゆえに恐ろしい。
この恐怖を感じなくなった時に
わたしは真の意味で主のモノとなるような気がしている。
わたしが日々主に訴える不安は
そこへ落ちることに対する怯えなのだと知った。

*****************

いまなら、まだ戻れるかも知れない…

そう思う自分がまだ居る。
そう思う自我を捨て去り、一切を主に委ねたいという欲望との葛藤の中に居る自分。
まだ見ぬ欲望の深い深い淵の底へ降りてみたい。
その欲望から自力で逃げられるとどこかで思っているが
でも、それはもう負け犬の遠吠えのようなものだとも思える。
虚しい叫び、何の足しにも成らない消え入りそうな自我…
奴隷はよく分かっている。
その欲望のすべてを主に捧げていることを。

ふと、主の目になってナオミという奴隷を見てみる。
そこに居るのは、罰を甘んじて受け入れて
すっかり変わり果ててしまった奴隷。
そうすることで、生きるための赦しを得ようと土下座する奴隷。

それでもまだ、わたしが主ならば
足りないと思ってしまうことだろう。
その面の下にはまだ自我と葛藤と反抗心が渦巻いている。
その最後の自力すら(逃げられるという奢りすら)主に差し出すまで
赦しはしないだろう。
すべてを委ねるまで、共に深い深い淵へと落とすまで
浸食し続けることだろう。


でもその淵は底なしなのだ。



Masterから与えられるさまざまなものを素直に悦べる体質になるにつれ
ナオミのなかである種の苦しみが生まれた。

初めは無視していたけれど、どうにも抑えられなくなり、
ついにその苦しみを主に吐露してしまった。

なぜ、今日、主にそれを吐露する気になったか。
それは今日のわたしが限りなく気分が安定していたからだった。
主に対してひとつでも不安を感じている時で在れば、
「罰」を与えられるかもしれないという恐怖から
素直な気持ちを吐き出すことを躊躇ってしまう。

在る意味、安定している今日でなければならなかった。
罰をどこかで覚悟しながら、むしろ罰をどこかで求めながら、
主にずっと抱いていたわだかまりを吐き出した。


それは、ごくシンプルに言えば

「わたしは与えられるだけでなく、与えたい」

という内容だった。
与え、与えられる。
求め、求められる。
それはあらゆる関係に於いてごく当たり前の定義だ。
一番理想的な五分五分の関係だろう。


主の答えはこうだった

「私がお前に与える

 それは命令であり
 罰であり
 喜びである

 私はお前に与えることで
 心を満たす」


主の本意を知った途端、
主を否定するつもりで主に投げかけたのに、一切を否定できなかった。

奴隷は、主との関係に五分五分を求めてなど居ない。
奴隷は奴隷。施しを与えられ、それを甘んじて受け、恍惚をさえ味わうという
あからさまに貪欲であさましい存在。
甘んじて奴隷になりたくて、志願したこの世で最もあさましいイキモノ。
わたしは主からあらゆるものを「一方的」に与えられたかった。
もちろん、与えられるものをこちらから選ぶ権利など一切要らない。
与えられるものはどんなものでも欲しい。
選ぶなんてことは、貪欲なわたしにはできない。
ぜんぶ欲しいのだ。
YESを言い続けること…それこそ主がわたしに与えた唯一の権利。
そうやって与えられたもので至福を味わう奴隷を見て心を満たしてもらえるなんて
奴隷は幸せ者だ。


愕然とした。
主が与える存在だと仰るなら、ナオミは主に罰を求めようと思った。

「与えるのはナオミでなければいけないのですね?」

「わたしはすべてに与える」

主は答えてくださった。

「ナオミでなくとも、代わりはいくらでも居るということですね。
 わかりました。心に刻み込んでおきます」

必死の抵抗を試みる。最後の殻を守るように…でもその必要もないことも、同時に感じていて
その言葉は虚しく発せられた。

「愚かだ」

ええ、そのとおりです、Master。
わたしは愚かでした。


こんなに貪欲なマゾヒストには罰がお似合いです。

「Master、悲しませてしまうことを言ってしまいましたね」

「罰が欲しいか?」

「Masterを悲しませた罰を与えて下さい」

ナオミはもう、頭を上げることも出来ない。絶対服従の姿勢。



もう、逆らえない、逆らったらどんなに恐ろしい目に遭うか