先日、2人の主従関係を踏みにじるような発言をしてしまい
Masterを哀しませ、自らをも汚してしまった罰として
奴隷は髪を一本残らず漆黒に染めた。
罪を断ち切るように
長かった髪を30cm以上も切った。
鏡に映る自分と、昨日までの自分とのギャップに
少なからずショックを受けた。
自ら望んで受け入れた罰とは言え、
何の苦も感じないならば、それは罰とは言えない。
まるで別人のようになってしまった。
でも、ナオミはナオミ。
何も変わらない。
ただ、それをやってのけたことで
自分の身体が否応なく主に支配されているような
不思議な感覚になっていくのを感じた。
それが世間の価値観もしくは、
自分を支えてきた価値観からは大きく離れた行為のように思えたからだろう。
自分の意志とは関係のないところで自分を突き動かす存在を感じること…。
きっと、罰を分かりやすい形で施すことは
己が何者であるかを分からせるための刻印のようなもので
真の罰とは、自らを支配されていく感覚に落ちていく己を
ただ甘んじて受け入れ続けることなのだと感じた。
それは甘美な痺れ
ただ、それゆえに恐ろしい。
この恐怖を感じなくなった時に
わたしは真の意味で主のモノとなるような気がしている。
わたしが日々主に訴える不安は
そこへ落ちることに対する怯えなのだと知った。
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いまなら、まだ戻れるかも知れない…
そう思う自分がまだ居る。
そう思う自我を捨て去り、一切を主に委ねたいという欲望との葛藤の中に居る自分。
まだ見ぬ欲望の深い深い淵の底へ降りてみたい。
その欲望から自力で逃げられるとどこかで思っているが
でも、それはもう負け犬の遠吠えのようなものだとも思える。
虚しい叫び、何の足しにも成らない消え入りそうな自我…
奴隷はよく分かっている。
その欲望のすべてを主に捧げていることを。
ふと、主の目になってナオミという奴隷を見てみる。
そこに居るのは、罰を甘んじて受け入れて
すっかり変わり果ててしまった奴隷。
そうすることで、生きるための赦しを得ようと土下座する奴隷。
それでもまだ、わたしが主ならば
足りないと思ってしまうことだろう。
その面の下にはまだ自我と葛藤と反抗心が渦巻いている。
その最後の自力すら(逃げられるという奢りすら)主に差し出すまで
赦しはしないだろう。
すべてを委ねるまで、共に深い深い淵へと落とすまで
浸食し続けることだろう。
でもその淵は底なしなのだ。