●概要
◆各界の偉人と言われる人々が、愛読書としてあげている本、論語と算盤。近代日本資本主義の父渋沢栄一が書いた本であり、論語に出てくることを学者のものとせず、実社会で活用することなどを自身の経験も交えながら説いた本。
◆後世、日本資本主義の父、実業界の父と呼ばれてノーベル平和賞候補になるだけではなかった。かれはいまから百年以上前に、資本主義や実業が内包している問題点を見抜き、中和剤をシステムの中におりこもうとしていた。もともと資本主義とか実業は自分が金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面がある。其の手段が論語である。どのように振る舞うのが人としてかっこ良いのかの指針として、論語を活用しようとしていた。
◆孔子は論語の中で、清貧を説いているわけではなく、富と排反しないと考えるべき。論語と算盤は一致するものと考える。
◆明治末期に書かれた本で考察されたことが、そのまま現代に当てはまることが多い。大きな流れの中で、偉人と呼ばれる人が意識した、意識しないといけないと危機感を感じる事柄は、共通項があるのだと思った。
◆単なる成功者としての側面だけで渋沢栄一という人間を語るのは、あまりにも範囲が狭く、成功や失敗の前に、自立して志と正しい行為の道筋を立て、行動し続けたということに価値を持つべきだとある。それが価値ある生涯を送ることにもつながる。成功というのは目に見える結果であるが、その行動の残り滓にすぎず、目指すべきではなくついてくる結果にすぎないと考えるべきであると
●印象的な部分
◆富を基準として考えれば、孔子は落第生にすぎない。しかし果たして、孔子は自分のことを落第生と感じただろうか。もし自分の身の丈に満足して一生を終えたとするなら富を基準として人の進化を図ることはふさわしい評価と言えるだろうか。このような点から人を評価する難しさを感じるべきである。その人が何を実践しているのかを見、其の動機を観察して、其の結果が社会や人々の心にどのような影響を与えるか考えないと、人の評価などできないと思う。成功か失敗かという結果を二の次にし、よくその人が社会ために尽くそうとした精神と効果によって行われるべきだ。(p.128)
◆もし社会で身を立てようとして志すなら、どんな職業においても、身分など気にせずに、最後まで自力を貫いて、人としての道から少しも背かないように気持ちを集中させることだ。そのうえで、自分が豊かになって力を蓄えるための知恵を駆使していくのが、本当の人間の意義ある生活、価値ある生活と言える(p.169)
◆朱子学が治められる側にいた農業工業商業に従事する人たちを、道徳教育とは無関係にさせた。儒者は聖人の学問を解く立場、一般の人々はそれを実践する立場と区別してしまった。この結果として、一般民衆は上からの命令を素直に聞いて、村や町から課せられた仕事や行事をサボらなければそれでいいという、いじけた根性論になじんでしまった。国家を愛するとか、道徳を重視するとか言った考え方はどこかに言ってしまった。そんななかで欧米から利益追求の科学が入ってきて、悪い部分が助長された。(p.177)
◆昔の学問(江戸時代の武士が受けてきた学問)と、今の学問(明治以降の学問)を比べてみると、昔は心の学問ばかりだった。一方今は、知識をみにつけることばかりに力を注いでいる。また、昔は読む書籍がどれも自分の心を磨くことを説いていた。だから、自然とこれを実践するようになった。さらに自分を磨いたら、家族をまとめ、国をまとめ、天下を安定させる役割を担うという、人の踏むべき道の意味を教えていた。同情する心や恥の気持ちを人に抱かせ、礼儀やけじめ、勤勉で質素な生活を尊重するように教えたのだ。カザあり怪我なく真面目では地を知り、信用や正義を重んじるという気風が盛んだった。今の教育は精神を磨くことをなおざりにして、心の学問に力を尽くさないから品性の面で青年たちに問題が出るようになってしまった。底の浅い虚栄心のために、学問を納める方法を間違ってしまうと、其の青年自身の身の振り方が誤ってしまうだけでなく、国家の活力衰退を招く元になってしまう(p.192)
◆結果として知識ばかりに傾いていって、上に立つ人間、下の人間がともに自分の利益ばかり追うようになってしまっては、国は危うくなる。そうならないよう身近な実務教育においても、知育と徳育を一緒に行っていきたい。(p.200)
◆自業自得の人を、自業自得だと言って同情を持って接しないというのはとても良くないことだ。人が常に抱くべき”人道”とは、なにより良心と思いやりの気持ちを基盤にしている。死語のには誠実かつ一生懸命取り組まなければならない。そして同時に、そこには深い愛情がなければならない。哀れみの情を忘れてはならない。現場で実践していってほしい(p.207)
◆溌剌としたチャレンジ精神を養い、それを発揮するためには、ほんとうの意味での自立人とならなくてはならない。人に頼ってばかりだと、自分の実力を著しく錆びつかせ、最も大切な”自身”が育たなくなってしまう。この結果、ためらったりウジウジしがちになってしまわないように、自分に厳しく鞭打って、弱気になるのを防がなければならない。細心さと大胆さの両面を兼ね備える必要もある。自立して何者にも頼らすやっていきたいのなら、政府万能の状態で、民間の事業が政府の保護に恋々とする風潮を一掃しなければならない。政府の助けを借りず成長していく覚悟が必要なのだ。また、細かいことにこだわり、一部分のことだけに没頭してしまうと、法律や規則の類ばかり増やすようになる。其の毛化、作ったっ決まりに触れないかとビクビクしたり、あるいは其の決まりの則っていればよいと満足するようになる。こんなことであくせくしていては、とてもアタrし鋳物を生み出す事業を経営して、溌剌とした意欲を沸き立たせ、世界の大勢に乗っていくことなどできない(p.216)
◆人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の道筋を決めていかなければならない。だから、成功としか失敗とかと言うのは問題外なのである。かりに悪運に助けられて成功した人概要が、善人なのに運悪く失敗した人がいようが、それを見て失望したり悲観したりしなくて良い。成功や失敗は結局のところ、心を込めて努力した人の体に残るカスのようなものだ。人は、人としてなすべきことの達成を心がけ自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。また、知恵あるものは自分の運命をつくる。誠実に努力していき、自分の運命を切り開いていくのがいい。もしそれで失敗したら、自分の智力が及ばなかったためと諦めることだ。逆に成功したら、知恵がうまくいかせたと思えば良い。どちらにせよ、お天道様からくだされた運命に任せていればいいのだ。成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる。(p.218)
◆人生の道筋はさまざまで、ときには善人が悪人に負けてしまったようにも見えることがある。しかし長い目で見れば、善悪の差ははっきりとした結果になって現れてくるものだ。だから、成功や失敗の良し悪しを議論するよりも、まず誠実に努力することだ。そうすれば公平無私なお天道様には、必ずその人に幸福を授け、運命を開いていくよう仕向けてくれる。
●タイトル
現代語訳 論語と算盤
●著者
渋沢栄一
守屋淳訳
●評価
★★★★☆
●出版日
2010/2/10
*原文初版 1916/9/13
●読書日
2023/4/26









