髪物語 | サバンナとバレエと

サバンナとバレエと

ブラジルからの便り

昔貰った、ある友達からの手紙。


この手紙がいったいいつ君の手に着くことになるのかまったく見当がつかない。

まず、これから君の居所を知っている人を探し出さなければならない。

それから君の住所がどれだけ僕を喜ばせるものだか分らせなければ、

ピエロのように踊って見せる事になるかも。

でもこの手紙は今日、今、書かなければならなかったんだよ。

君はいったい何処のいるのだろう、何処を歩き、何を見てきたのだろう、

君の髪物語は、どうなっているのだろう。



髪物語。

70年代を若者として生きた人たちの多くは、髪に対して特別な感情を持つことを知っているのでは。

髪は自由を尊重するシンボルだった。



出来るだけ長く、出来るだけ野生的に、出来るだけナチュラルに。



私は腰まで伸ばしている髪だけでは足りなくパーマをかけて、くるくるカールさせていた。

もちろん生まれつきみたいな顔して。

相当なボリュームの髪だったが人が何と言おうと平気だった。


髪を伸ばしたいと思い始めたのは15才位だったと思う、

自由になりたい欲望が芽生えてきた頃。

髪が少しづつ伸びていくのにつれて、少しづつ誇りが自分の中で育っていくような気がした。

自由だという誇り、世間に惑わせられない、個性があり、意見があるんだと、無邪気に自己満足していた。



80年代になって大学に入った時もキャンバスには多くのヒッピーが残っていた。


リオ州の田舎の農業大学。

ナチュラル・ライフ、マクロビオテェイク、インド宗教、瞑想、お香、インド麻のドレス、貝殻のアクセサリー、オーガニック野菜、日に焼けた肌、そしてもちろん長い髪。


私は得意になってその雰囲気に入り込んだ。

水を得た魚のような気がした。

海の泳ぐようにキャンバスの風の中を歩き回った。


髪とインド麻のドレスをなびかせて、ときには跣で。


何もかも白か黒だった。いいもの、悪いもの、美しいもの、醜いもの、正義の味方と悪者、

すべて単純にはっきりしていた。

自分を外面的に形象するプロセスも非常に単純なものだった。

外面から内面を変えることさえあの頃には可能だった。

内面、外面、どちらもシンプルで単純だったから。




すべてのものが相対的な価値があり多面性があると理解したとき、

あるいは自分自身の多面性を受け入れるにつれて、

あの素直さは失われていったような気がする。

そして年をとるにつれ、内面がどんどん複雑になり、

外面によって内面のなにかを表せるには、ちょっとやそっとの努力では出来ない様な気がするようになった。

第一それだけの気力が無い。

アピールが面倒臭くなってきた。

そして髪物語は私の人生で終止符を打った。少なくてもそう思っていた。

髪型は内面とはほとんど関係ないものになっていた。



ところが

面白い事件が起きた。


数日前、髪を少し明るく染めてみた。

長い間、髪をいじくりすぎたので、ここ数年、白髪を染めるぐらいしかしてないが、だんだん白髪が多くなってきて黒く染めるのには無理が出てきた。

すこし明るくしたら白髪染めが簡単になるのではないかという配慮だが、失敗してしまい、もの凄い赤毛になってしまった。

続けて染め直すには髪が痛みすぎるので、暫く待ってみるにしたが、とんでもない面白い結果になった。



いろいろ言われると構えていたが、誰もなにも言わない。まったく拍子抜けだ。

まさか気がつかない訳ではないから、よっぽど奇妙に見えるのだろうと思う。

お世辞にもいいとは言えないから黙っているように見える。


するとなんだか小気味よい気持ちになってきた。

人の目がなんだという開き直ったような感じ。

なんだか、勝手気ままな自分がまた芽生えてきたような気がし、昔を思い出した。

こんな反抗的な部分が残っていたのかと驚いたが、とても新鮮な感じ。



髪はすこしだけ直し、当分このままにする事にした。




サバンナとバレエと

CREDTS ANA COTTA


髪物語、まだつづくようだ。