子供のころ、マヨネーズの容器で水遊びをしたのを覚えている。
やわらかいプラスチックで、中に水を入れて押し出すと水鉄砲のように水が舞い飛んだ。
空に向って水を飛ばすと落ちてくる水滴。
未だに鮮明に思い出せる。
青い空と水滴、よほど魅せられたのだろう。
何時間もそうやって遊んでいたような気がする。
夕焼けを見るたび歌った。
歌うたびに何ともいえない哀愁を帯びた感情で胸が一杯になった。
アゲハ蝶の卵、せみの声、蚊帳にくっついた蛍、水溜り、キャベツ畑の紋白蝶、手袋にくっついた雪。
ポケットの中のどんぐりの感触、寒い日のあたたかい夕食。
世界は感動させるものばかりで埋め尽くされていた。
子供の頃、何であんなに感動することが簡単だったのだろう。
いつから感動することが難しくなってきたのか。
感じる事によって傷つく事もあると悟った時、少しづつ貝のように心を閉ざせたのではないだろうか。
若かった時、
ある夕暮れ、突然、一生懸命感動しようとしている自分に気づいて愕然とした事を覚えている。
もうほとんど心を動かされていなかった。
感動したくてがむしゃらに本を読んだ、映画を観た、旅にでた、酒の味も覚えた。
そして感動した瞬間をひたすら集め始めた。コレクションでもするように。
まるで蒐集家が古磁器やコインを探すように私は感動を探した。
そして貴重品を大切にしまう様に日記に書き、心の中にしまった。
すると感じることについて少しづつ理解し始めた。
私の人生には感動が沢山あることも。
心を開く事、目を凝らして見る事、耳を澄ますこと、無邪気になること。
すなおに笑う事、泣く事、怒る事。
体験の大切さを常に思い出すこと。
そんなことが少しづつ分ってきた。
ある時、高齢者のダンスグループと舞台をともにした。
舞台脇で彼女達の踊りを見ていたら、後ろの友が鼻をすするのが聞こえた。
振り返ったら、涙一杯の瞳をすぐ近くにあった。
‘いやになちゃう
きまりが悪そうに言った。鼻声で。
‘なんでいつもこんなに泣きたくなっちゃうのかな。
‘いいことじゃなかな?
私は言った。
‘泣きたくても泣けないより。
