こちらは、「アジサイの話・2」 であります。 1 は↓
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10593295874.html
【 アジサイの学名 】
〓先日申し上げました 「あじさい」 の英語名 hydrangea 「ハイドレインジャ」 は、以下のごとき語構成です。
hydro- 「水」 合成語の第1要素形 ← ὕδωρ hydōr [ ' ヒュドール ] 「水」。古典ギリシャ語
+
angea [ アン ' ゲーア ] 「小さな器」。学術ラテン語
↓
hydrangea [ ヒュドラン ' ゲーア ] 「小さな水瓶・水壺」。学術ラテン語
※ギリシャ語の合成語は第2要素が母音で始まる場合、第1要素末の母音が落ちる。
〓 angea は以下のような造語です。
ἀγγε(σ)- aŋge(s)- ← ἄγγος áŋgos [ ' アンゴス ] 「入れ物」 (ツボ、カメ、ナベ、手桶、箱など)
※ ἄγγος の語幹は ἀγγο- aŋgo- ではなく、 ἀγγεσ- aŋges- である。
+ ただし、語幹末の -σ -s は古典語以前に母音間で消失したので、 ἀγγε- aŋge- としてあらわれる。
-ιον -ion 指小辞
↓
ἀγγεῖον aŋgéion [ アン ' ゲイオン ] 「小さな入れ物」
↓
angēum [ アン ' ゲーウム ] ラテン語に転写
↓ ※古典ギリシャ語の ει は、子音の前で [ i: ]、母音の前で [ e: ]。
↓ そのため、ラテン語転写は、子音の前で ī、母音の前で ē となる。
↓
angēa [ アン ' ゲーア ] 女性名詞化。
※女性化したのは、なぜだろうか。 flōs 「花」 も fructus 「実」 も男性名詞である。
ラテン語では、通例、「木」 は -us に終わる女性名詞、「実」 は -um に終わる中性名詞である。
「アジサイ」 は木本 (モクホン=木の仲間)。
〓「水の小さな器」 が何を形容しているのかは、あとで説明いたしやしょう。
〓ただ、この名は、あとで申し上げるように、日本のアジサイに付けられたものではなく、北米原産のアジサイ Hydrangea arborescens 「ヒュドランゲーア・アルボレスケンス」 ── 一般名 smooth hydrangea, wild hydrangea, sevenbark ── に付けられたものです。
〓ここで、チョイと寄り道をしたいなぁ。
〓「水」 をあらわす学術語の造語要素は、ヨーロッパ諸語では、ギリシャ語を借用した hydro- 「ハイドロ~」 であらわれます。しかし、古典ギリシャ語では、合成語の第1要素として2通りの語形がありました。
ὑδρο- hydro- [ ヒュドロ~ ] 合成語 第1要素
ὑδατο- hydato- [ ヒュダト~ ] 合成語 第1要素
〓なぜ、このようなことになるのかは、古典ギリシャ語の字面をたとえ3年間じっと眺めたところで、何もわかりはしません。印欧祖語には 「水」 を意味する単語がいくつかありましたが、その1つに、
*wódr̥ [ ' ウォドル ] 「水」。印欧祖語
という語形が再建されています。下に小さな丸の付いた r̥ というのは母音として働く r です。
〓この基語から派生した単語としては、小アジアで古代に消滅したヒッタイト語の watar (英語にソックリ!) のほか、
*wat-an-, *wat-ar- ゲルマン祖語
water [ ' ウォータァ ] 英語
Wasser [ ' ヴァッサァ ] ドイツ語
water [ ' ワーテル ] オランダ語
*vodā スラヴ祖語
вода vodá [ ヴァ ' ダー ] ロシア語
woda [ ' ヴォダ ] ポーランド語
voda [ ' ヴォダ ] チェコ語
といったところがあります。
〓つまり、「ハイドロ○○」 なんて言ってますが、この 「ハイドロ」 っていうのは、もとをたどれば water と同源なんですね。
〓印欧祖語の wodr̥ のような語は、 “r / n 語幹” と言いまして、
主格と語形の異なる斜格 (主格以外の格) において、 r̥ が n に変化する
という奇妙な現象を起こします。
〓 r と n は調音位置が近く、たとえば、朝鮮語 (韓国語) のように、ある条件のもと、この2つの子音を混同しがちな言語、この2つの子音が交替してしまう言語、というのがあります。あんがい、人類に普遍的に見つけることができる現象です。
〓ギリシャ語では、これがさらに変化して、主格では r が残り、斜格では n が t に置き換わりました。おそらく、カン違いから曲用 (キョクヨウ=格変化) のタイプが入れ換わったんでしょう。
〓わかりやすいように書くとこうなります。
【 印欧祖語 】
*wódr [ ウォドル ] 「水は」 主格形
*udéns [ ウ ' デンス ] / wednós [ ウェド ' ノス ] 「水の」 属格形
※学者により再現形がちがう
↓
【 有史前のギリシャ語 】
*údōr [ ' ウドール ] 「水は」
*údanos [ ' ウダノス ] 「水の」
↓
【 古典ギリシャ語 】
hýdōr [ ' ヒュドール ] 「水は」
hýdatos [ ' ヒュダトス ] 「水の」
〓古典ギリシャ語のツカサたるアッティカ方言 (アテーナイ)、イオーニア方言では、短いウ υ [ u ] が [ y ] [ ユ ] に変化してしまいました。そのいっぽうで、 [ ou ] もしくは [ o: ] ── ω は [ ɔ: ] ── と発音していた ου は [ u: ] [ ウー ] になりました。
〓古典ギリシャ語が長い [ u: ] しか持たず、その 「ウー」 も ου という2文字で書かれるのはそうした理由によるものです。
〓また、 [ y ] に変化した υ [ u ] が語頭にあった場合、つねに、その前に [ h ] を生じました。よく、歌を歌うときに 「ゆめ~♪」 のような単語を 「ひゅめ~♪」 と歌うヒトがいますが、それと似たような現象でしょう。
〓つまり、 hydro- 「ハイドロ~」 の語頭の h は、古代ギリシャ人の “口グセ” で生じた h なんすね。
υ [ u ] [ ウ ] → [ y ] [ ユ ] → 語頭の場合 ὑ [ hy ] [ ヒュ ]
――――――――――
ου [ o: ] [ オー ] → [ u: ] [ ウー ]
ου [ ou ] [ オウ ] → [ u: ] [ ウー ]
〓これで、合成語の第1要素に2つの語形がある理由がわかりますネ。
ὕδωρ hýdōr (主格) → ὑδρ- hydr- + -ο- (接合母音) → ὑδρο- hydro-
ὕδατος hýdatos (斜格) → ὑδατ- hydat- + -ο- (接合母音) → ὑδατο- hydato-
〓つまり、「主格」 をもとにつくった造語要素と、「斜格から判断した語幹」 をもとにつくった造語要素の2種類がある、ということなのです。近代ヨーロッパの学術語としては、前者の hydro- の語形が採用されました。
〓ところで、 Hydrangea [ ヒュドラン ' ゲーア ] というのは、学名として立てられたアジサイ属の属名です。だから、「アジサイ」 を hydrangea と呼ぶ、という英語の選択はまったくもって正当なんです。
〓それにもかかわらず、ヨーロッパで 「アジサイ」 を hydrangea と呼ぶのは、ほぼ、英語だけです。
〓それと言うのも、そこには、ヨーロッパに 「アジサイ」 が紹介された経緯が複雑に絡み合っているからなんですね。
【 アジサイには、6度、名前がつけられた 】
〓ヨーロッパで人気を得た “花の集まりが球状をなすアジサイ”、すなわち、「セイヨウアジサイ」 は、主として、日本原産の “手毬咲き (てまりざき) の” 「ホンアジサイ」 をヨーロッパで改良したものでした。
〓日本原産のアジサイは、本来、「ガクアジサイ」 です。『万葉集』 で “あぢさゐ” と呼んでいるものは、「ガクアジサイ」 なのです。
〓アジサイの異名 (いみょう) として、平安時代から江戸時代に至るまで、
よひら / よひらの花
※「よひら」 の表記としては、「よひら」、「四ひら」、「四片」、「四葩」 が見える。
という呼び名が使われています。これは、「ガクアジサイ」 の周囲の装飾花 (飾り花) が、よく目立つ4枚の花びら (植物学的には花弁ではなくガク <萼>) から成っているので付けられた名でしょう。
〓それと並行して、江戸時代には 「ホンアジサイ」 が園芸品種として流通していたようです。「ホンアジサイ」 というのは、「ガクアジサイ」 の中心にかたまっている小さな “両生花” が、周囲の装飾花と同じ “中性花” に変異して、花が球状の集合を成すようになった品種で、今で言う、いわゆる、「アジサイ」 の形をしたアジサイです。
〓これを 「手毬・手鞠 (テマリ) 咲き」 と称します。また、「テマリ咲き」 のホンアジサイを 「手毬花・手鞠花」 (てまりばな) と呼ぶ方言も多く見られます。
〓ただし、標準語では、ヤブデマリの園芸品種である 「オオデマリ」 (大手毬・大手鞠) の異称を 「テマリバナ」 とするようです。
〓しばしば、「テマリ咲き」 の 「ホンアジサイ」 は、ヨーロッパで生まれたもの、という書き方がウェブに見られますが、そうではありません。あとで申し上げるように、
テュンベリーやシーボルトが日本で採取していったアジサイの標本のなかに、
すでに、「テマリ咲き」 のアジサイが見える
のです。
〓「アジサイ」 は、東アジア (日本、中国、朝鮮、ヒマラヤ、インドネシア)、および、南北アメリカ大陸に自生する植物ですが、その存在は、ヨーロッパでは、18世紀の前半から知られていたようです。
〓出島 (でじま) に医師として赴任したスウェーデンの植物学者、テュンベリーが、アジサイの標本を持ち帰ったのが 1778年です。また、やはり、出島に赴任したシーボルトが Hydrangea otaksa 「ヒュドランゲーア・オタクサ」 と命名したホンアジサイをオランダに持ち帰ったのが 1830年。
〓つまり、18世紀後半から、ヨーロッパの植物学者たちが植物標本として日本の 「ホンアジサイ」 を持ち帰るようになりました。
〓しかし、ヨーロッパ人にとって物珍しい花であった 「テマリ咲き」 のアジサイは、それ以前から、学術的な意味ではなく、単なる興味から、少しずつヨーロッパ人の手で持ち帰られていたようです。
〓 hydrangea 「ヒュドランゲーア」 というラテン語名は、オランダの植物学者 Jan Fredrik Gronovius ヤン・フレドリック・グロノヴィウスによるものです。
〓これは、日本の 「ホンアジサイ」 に名付けられたものではなく、北米原産の
アメリカノリノキ (アメリカ糊木)
Hydrangea arborescens [ ヒュドラン ' ゲーア アルボレス ' ケ(ー)ンス ]
「(生長して) 樹木となるアジサイ」
※これはグロノヴィウスが付けた学名ではなく、後年のリンネによるもの。
に名付けられたものです。グロノヴィウスが hydrangea という1語で命名をおこなったのは、これが、
リンネによる二名式の学名が一般化する以前の 1739年に名付けられたもの
だったからでした。
〓この、のちに Hydrangea arborescens と命名される 「アメリカノリノキ」 は、北米の東部 ── カナダからルイジアナの広範囲におよぶ、岩がちの河岸や渓谷 ── に自生するもので、現在では、
Annabelle 「アナベル」 [ 'ænəˌbeɫ ] という園芸品種
で知られています。この季節、お花屋さんの切り花にも、白やグリーンのアナベルが並んでたりします。
〓アジサイの仲間は、「朔果」 (さくか) という実をつけます。これは、熟して乾燥すると、実の皮が裂けて中のタネが撒 (ま) き散らされるもので、この
裂けた実が、「小さな水壺」 を連想させた
ことからグロノヴィウスは hydrangea 「小さな水壺」 という名前をつけたようです。
〓一般に見る 「テマリ咲き」 のアジサイは、すべての花が中性花 (ガクアジサイの装飾花と同じもの) になってしまったものなので、枯れても実がなりません。つまり、「小さな水壺」 を観察することができないんです。
【 アジサイは “オルタンス” という貴婦人の名で呼ばれた 】
〓「ホンアジサイ」 に、のちに全ヨーロッパで使用されるようになる 「通名」 common name を付けたのは、フランスの博物学者 Philibert Commerson フィリベール・コメルソンでした。彼は、1771年ないし1773年に、“フランス語で” アジサイを呼ぶにあたって、
自分の意中の高貴な婦人の名前
を用いた、と伝えられています。
〓当時のフランスの上流階級ではその名前が流行っていたようで、誰なのかは、必ずしも特定できないようです。その名を、
Hortense [ ɔʁ'tɑ̃:s ] [ オル ' ターんス ] 「オルタンス」
と言います。
〓すでに申し上げたとおり、このコメルソンのちょいとした出来心から、後世、ヨーロッパのほとんどの言語で、アジサイをこの名前で呼ぶようになるのです。
〓18世紀なかごろの話であります。
〓フランスの探検家、ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル Louis Antoine de Bougainville は、1766~1769年にかけて、「世界一周の航海」 という冒険に旅立ちました。
〓この一行に博物学者として加わっていたのが、先に申し上げたフィリベール・コメルソンでした。コメルソンがブラジルで発見した花に 「ブーゲンビリア」 Bougainvillea (属名) という名を付けたのは、ブーガンヴィルにちなむものですし、現在のパプアニューギニアに属する 「ブーゲンヴィル島」 という名も、この探検家にちなみます。
〓 Hortense 「オルタンス」 は、この航海に参加していた女性天文学者、ニコル=レーヌ・ルポート Nicole-Reine Lepaute にちなむもの、という俗説がかなり流布していて、彼女の名を勝手に Hortense Lepaute とするものが見られますが、彼女の名前に Hortense は含まれないし、 Hortense が彼女に由来する、という説には根拠がありません。
〓出帆当時、ルポート 43歳、コメルソン 39歳。
〓この航海には、ピカルディ (北仏) 生まれのドイツ=フランスの探検家・軍人である
Karl Heinrich Nikolaus Otto von Nassau-Siegen ドイツ語名
「カルル・ハインリヒ・ニーコラウス・オットー・フォン・ナッサウ=ジーゲン」
Charles Henri Nicolas Othon de Nassau-Siegen フランス語名
「シャルル・アンリ・ニコラ・オトン・ド・ナッソー=シーゲン」
という人物も参加していました。
〓この人物、 やたらに名前が長いのには事情があります。それは、 “Prince de Nassau-Siegen” 「ナッサウ=ジーゲン侯」 を名乗っていたことでわかるように、自称が貴族であったし、当人もそう信じていたからなんですね。
〓しかしながら、当のナッサウ家の人々からはいっさい認められていなかったそうです。なので、ナッサウ家の家系図を見ても、この人物の名は出てきません。
〓当時、フランス海軍の軍人だった、このシャルル・アンリ・ド・ナッソー=シーゲンも、このブーガンヴィルの世界周航の探検に参加していました。当時、23歳。
〓この人物は、探検から帰還したのち、スペイン軍、ロシア軍と渡り歩き、49歳でロシア軍を辞し、そののちは、南ロシアに定住し、農場を経営しました。
〓 Hortense 「オルタンス」 の由来として、このシャルル・アンリ・ド・ナッソー=シーゲンの娘の名が Hortense であった、という説もあります。しかし、この説はまるでツジツマが合いません。つまり、
シャルル・アンリ・ド・ナッソー=シーゲンが結婚したのは、1780年、35歳のときで、
相手は、2年前に、ポーランド貴族サングーシコ Sanguszko を離縁になっていた
カロリーナ・ゴスツカ Karolina Gozdzka という女性で、当時、29歳くらいだった
のです。
〓フィリベール・コメルソンが、アジサイに Hortense という名を付けたのが 1771年ないし 1773年とされているので、シャルル・アンリ・ド・ナッソー=シーゲンに娘がいたわけがないし、そもそも、この夫婦には、生涯、子どもができませんでした。
〓というわけで、コメルソンが、誰の名を取って、アジサイを Hortense と名付けたのかは、永遠の謎、というわけです。
〓フランス語の Hortense 「オルタンス」 という女子名は、古代ローマの氏族名 Hortensius 「ホルテンシウス」 にさかのぼる名前です。古代ローマでは、ある氏族に属する女性は、みな、同じ名前で呼ばれていました。すなわち、
Julius 「ユーリウス氏」 に属する女性は Julia 「ユーリア」 であり、
Hortensius 「ホルテンシウス氏」 に属する女性は Hortensia 「ホルテンシア」
でした。
〓奇妙なハナシですが、古代ローマの女性には 「個人名」 がないのです。
〓男性の場合は、以下のようでした。
Gaius Julius Caesar [ ' ガーイウス ' ユーりウス ' カイサル ]
〓これは、「シーザー」 のフルネームで、「個人名」-「氏族名」-「家族名」 という順番で並んでいます。まとまりの大きさで言うと、「氏族」>「家族」>「個人」 となります。
〓しかるに、シーザーの娘の名は、
Julia Caesaris [ ' ユーりア ' カイサリス ]
のみです。どこにも個人名がないのです。
Julia [ ' ユーりア ] 「ユーリウス氏族の女のひとり」 の意。
Caesaris [ ' カイサリス ] Caesar の属格。「カイサル家の」 の意。
つまり、
「カイサル家に属する、ユーリウス氏族の女のひとり」
としか呼ばれていないんですね。
〓ローマ人の女性にも、かつては個人名があったものの、紀元前2世紀には、これを廃して、「氏族名の女性形+家名の属格」 になってしまったのです。
〓あるいは、こうした呼び方は、かつての多くの文化圏に見られた、「相手の個人名を、直接、口にしない」、「女性の個人名は秘すべきものである」 という禁忌意識を反映したものかもしれません。
〓とはいえ、これは、ローマの支配階級のみで発達した習慣かもしれません。俗ラテン語をしゃべっていた民衆や、ローマ帝国の版図に入った異民族では、このかぎりではなかったでしょう。
〓実際、のちに東ローマ帝国の支配民族になるギリシャ人は、名前は男女とも、個人名のみか、「個人名+父称」 で名乗っていました。
〓で、この、古代ローマの女性の呼び名にあらわれる 「氏族名の女性形」 の中には、そのまま、現代ヨーロッパ諸言語の女子名にスライドして使われるようになったものがあります。
〓たとえば、 Julia (← Julius)、 Aurelia (← Aurelius)、 Cornelia (← Cornelius) といった名前です。フランス語の女子名 Hortense というのもその1つで、もとは、 Hortensius の女性形 Hortensia [ ホル ' テンスィア ] 「ホルテンシウス氏族の女のひとり」 でした。フランス語形は語末の -ia が無音の -e になっています。フランス語では、アクセント音節よりあとの音節は母音が消滅するからですね。
〓ラテン語で 「庭、庭園」 を hortus [ ' ホルトゥス ] と言いました。 hortensius [ ホル ' テンスィウス ] というのは 「庭の、庭園の」 という形容詞です。
〓この奇妙な符合は、コメルソンの命名でも織り込み済みであったかもしれません。あるいは、単に、
flos hortensius [ フ ' ろース ホル ' テンスィウス ] 「庭の花」
に由来するのかもしれません。しかし、それだと Hortense 「オルタンス」 は Hortensius の語末の -ius が -e につづまったものだ、ということになります。
〓コメルソンが通名で Hortense 「オルタンス」 と呼んだ花は、こともあろうに、マダガスカルの東の海に浮かぶモーリシャス島で発見したものでした。アフリカですよ。
〓モーリシャス島のフランス人行政長官、ピエール・ポワーヴル Pierre Poivre の庭園に生えていたものでした。彼はそれを標本として持ち帰りましたが、学名をつけず、ただ、 Hortense という通名を付けたのみでした。
〓これについては、のちに、また、触れます。
〓コメルソンが 「アジサイ」 を hydrangea とは呼ばなかったのは、彼がモーリシャス島で見つけた 「テマリ咲き」 のアジサイと、オランダのグロノヴィウスが hydrangea と名付けた北米原産の地味な 「ガクアジサイ」 とのあいだに関係があるとは、ユメにも思わなかったからでしょう。
〓 Hortense ── これが、最初に 「ホンアジサイ」 に付けられた名前ですが、学名ではありませんでした。
【 日本にやってきたプラントハンターたち 】
〓コメルソンが、出自不明の 「ホンアジサイ」 を Hortense と呼んだ、そのほぼ10年後に、スウェーデンの植物学者 テュンベリー Thunberg が、日本産のアジサイの分類を行いました。そして、
これが、日本原産のホンアジサイが分類された最初の例
です。
〓テュンベリーは “オランダ東インド会社” に医師として勤めていたことがあります。長崎の出島に 1775~1776年の1年間赴任しており、多数の植物標本を持ち帰っています。
〓テュンベリーは、日本産の 「ホンアジサイ」 を、
Viburnum macrophyllum Thunb. (1784)
[ ウィー ' ブルヌム マクロ ' ぴュッるム ]
※ Thunb. = Thunberg。 多くの命名を行っている学者の名前には略記がある。 ( ) 内は学名の発表年。
と分類しました。これが 「ホンアジサイ」 に付けられた2つ目の名前であり、最初の学名でした。
〓その学名には、 Hydrangea の 「ヒュ」 の字も、 Hortensia の 「ホ」 の字もありません。それは、テュンベリーが、日本から持ち帰った 「ホンアジサイ」 の標本が、すでに知られていた、コメルソンの Hortense 「オルタンス」 とはかなり異なっていたからでしょう。
〓ところが、テュンベリーの分類は、「ホンアジサイ」 を所属させる属を誤っていました。すなわち、
Viburnum = ガマズミ属
に分類していたのです。彼は、ホンアジサイをガマズミの仲間だと思ったんですね。実は、アジサイとガマズミというのは外見がよく似ています。
〓種小名 (しゅしょうめい) macrophyllum [ マクロ ' ぴュッるム ] は 「大きい葉の」 という意味。つまり、テュンベリーは 「ホンアジサイ」 を 「大きな葉のガマズミ」 と名付けたのです。アジサイの大きなタマゴ形の葉に注目したのでしょう。
〓5年後、フランスの博物学者 ジャン=バティスト・ラマルク Jean-Baptiste Lamarck が、コメルソンの “出自不明のアジサイ” である Hortense 「オルタンス」 を、
Hortensia opuloides Lam. (1789)
[ ホル ' テンスィア オプロ ' イーデース ]
※ Lam. = Lamarck
と分類しました。
〓これは、先にチョイと触れました、ブーガンヴィルの世界周航の探検に参加したコメルソンが、当時、仏領だったモーリシャス島のピエール・ポワーヴル Pierre Poivre の屋敷の庭園に咲いていたのを持ち帰ったものです。
〓ピエール・ポワーヴルという人物は、モーリシャス島およびレユニオン島の行政長官で、モーリシャス島の屋敷に世界中の植物を集めた庭園をつくっていました。
〓 opuloides 「オプロイーデース」 というのは、
opulus [ ' オプるス ] 古代ローマの博物学者、プリニウスが挙げている 「カエデ」 の一種
※ラテン語で 「カエデ」 は acer [ ' アケル ]。 opulus がどのようなカエデなのかはわからない。
にギリシャ語の -like 「~のような」 にあたる接尾辞 -oides を付けた学術ラテン語の形容詞です。つまり、「カエデのような」 という意味になりましょうか。しかし、ラマルクの言う opuloides は 「カエデのような」 という意味ではないようです。
〓この opulus というのは、1753年にリンネが命名したガマズミ属の 「テマリカンボク」 (手毬肝木) の学名 Viburnum opulus [ ウィー ' ブルヌム ' オプるス ] を念頭に置いているようです。
〓「テマリカンボク」 の葉はカエデに似ているため、リンネはそこに注目して、 Viburnum “ガマズミ” という一般的なラテン語の語彙に、古代ローマのプリニウスが名前を挙げている、正体のよくわからない “カエデの一種” を指す opulus を組み合わせて ── 同格の主格を2つ組み合わせるタイプの学名 ── Viburnum opulus としたのでしょうが、
ラマルクは、 Viburnum opulus 「テマリカンボク」 が 「アジサイ」 によく似ていることから、
「テマリカンボクのような」 という意味で opuloides を使った
ようです。学名ってヤヤコシイね。つまり、
Hortensia opuloides = 「テマリカンボクのようなオルタンス」
って意味でしょう。
〓「オルタンス」 は高貴な婦人に懸想 (けそう) したコメルソンが 「テマリ咲きのアジサイ」 に付けたフランス語の名前でしたネ。ラマルクは、その花が、コメルソンによって持ち帰られたもので、通名が Hortense であったことを斟酌 (シンシャク) したのでしょう。
〓フランス女性の一名前が、正式に植物の属名に採用され、フランス語からラテン語形が逆成された、というかたちになります。
〓これが、日本原産のアジサイについた3つ目の名前で、学名がついたのは2つ目でした。
〓こうして見てくると、
未知の植物群をどのように分類するべきなのか判然としない時代の学者の試行錯誤
がうかがえて興味深いですね。
〓テュンベリー、ラマルクとも、自分たちの分類した植物が、たがいに同種である、とはユメにも思わなかったでしょう。
〓古い時代には、まだ研究も進んでいないし、情報の流通も困難なうえに、分類する対象が変異の大きい亜種や品種の標本を含む、という場合がしばしばあり、同じ種 (シュ) が重複 (ちょうふく) して分類される、のは珍しいことではありませんでした。
「アジサイの話・3」 に続きます。 ↓
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10595694473.html