シベリアトラ Panthera tigris altaica
〓少々、時宜を逸しましてござりますが…… トラの話題でござります。
〓正月にアップしようと、昨年末より書き始めたのですが、細かい点を詰めるのに時間がかかりまして、このザマにございます
〓現在のヨーロッパの民族は、その大部分が 「印欧語族」 (いんおうごぞく) という言語学上のグループに属します。 “インド=ヨーロッパ語族” the Indo-European languages の略ですね。
〓印欧語族の故郷は、黒海・カスピ海の北方のステップ地帯である、というのが伝統的な仮説です。現在のロシア南部・ウクライナにあたり、ドニエプル川・ヴォルガ川の流域です。
〓そう、次の 2014年冬期オリンピックが開催されるソチ Сочи Sóchi の北です。
〓また、現在のトルコ共和国のアジア部にあたる “アナトリア” Anatolia が故郷である、という説もあります。
〓かつて、コーカサス、カスピ海南岸、中央アジアには 「カスピトラ」 Caspian tiger が棲息 (せいそく) していました。その棲息域は、現在の
コーカサス諸国 (グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン)、トルコ、イラン、イラク、
アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、モンゴル
に及んでいました。
1900年 (明治33年) と 1990年 (平成2年) のトラの分布図。
黒海~カスピ海南岸~中央アジアにかけて、独立しているのがカスピトラの分布域。
もちろん、1990年に、その姿はない。 ── Wikipedia より。
〓カスピトラは、残念ながら、1950年代後半に絶滅しました。ただし、現在では、カスピトラは、現存する極東の 「シベリアトラ」 Siberian tiger (アムールトラ амурский тигр) と同一の亜種であった、と考えられています。つまり、かつては、シベリアトラが、ユーラシア大陸の極東からコーカサスに至る広大な地域に広がっていた、ということです。
〓このカスピトラの棲息域は、印欧語族の故郷とビミョウに隣り合っていますが、重なり合ってはいません。そのセイなんでしょうが、
印欧語に 「トラ」 を指す共通の語彙が見られない
のです。
「共通の語彙が見られない」
と言っても、フツーのヒトは、 「ああ、そうっすか……」 でヤンスね。しかし、これは重要なことなのです。
〓印欧語族が故郷を出て、分裂・拡散を始める以前に 「あるコトバ」 を持っていたとしましょう。たとえば、そう、親族の呼び名 「父・母・兄弟・姉妹」、あるいは、基本的な自然物 「水・火」、はたまたナジミの動物 「牛」、「犬」 などという単語です。
〓こうした単語は、東の果てのインドと、西の果ての英国でもソックリなことがあります。たとえば、こういうような単語です。
नाम nām [ 'na:m ] [ ' ナーム ] 「名前」。ヒンディー語
name [ 'neɪm ] [ ' ネイム ] 「名前」。英語
जुग yug [ 'jʊɡ ] [ ' ユグ ] 「軛」 (くびき)。ヒンディー語
yoke [ 'yoʊk ] [ ' ヨウク ] 「軛」。英語
※「クビキ」 は “首木” の意。運搬や農耕に牛馬を使う際に、横に並べた2頭の首をつなぐための横木。
ロシア史で言う、いわゆる、「タタールの軛」 は (монголо-)татарское иго
(mongólo-)tatárskoje ígo [ (マヌ ' ゴーら) タ ' タールスカヤ ' イーガ ]
と言う。この иго ígo も同源。また、ヒンディー語の yug は yoga 「ヨガ」 とも同源。
〓つまり、現在の英国人の先祖も、インド人の先祖も同じところに住んでいたころから伝わっているコトバなんすね。壮大な時間と空間の 「伝言ゲーム」 みたいなものです。もとのお題が同じなら、多少は変化してしまってもAチームとBチームの答えは似ているんです。
〓逆に、どのチームの答えも、まったくテンデンバラバラだとしたら、それは、もとのお題が同じではなかったのです。つまり、
現代の印欧語族に、共通して見られる 「トラ」 というコトバがないのなら、
印欧語族が分散を始めた時点で、「トラ」 というコトバがなかった
可能性が高いわけです。
もっともオーソドックスな 「クルガン仮説」 による印欧語族の拡大経路。
〓「トラ」 という語から見るかぎり、印欧語族の故郷がアナトリアというのは理屈に合わないように思いますネ。アナトリアであれば、印欧語族は、原初からトラを知っていたにちがいありません。
〓また、東へ向かって移動した 「インド=イラン語派」 (現在のインドからイランにかけての言語のグループ) はカスピトラの棲息域を移動したワケだから、原初からの 「トラ」 というコトバを忘れずに、“民族の共通の記憶” として、いっしょに携えて行ったハズです。それがない。
〓とりあえず、印欧語族の 「インド=イラン語派」 とその周辺の語派の 「トラ」 という単語を見てください。ナニがわかるでしょう。
【 印欧語族 】
■ トカラ語派 (現在の中国の新疆ウイグル自治区まで移動した人々の言語。死語)
mewiyo [ メウィヨ ] トカラ語B (クチャ語)†
■ インド=イラン語派 (現在のインドやイランの一帯に移動した人々の言語)
■ イラン語群
□ 北東イラン語群 (アヴェスター語はここに入る)
myw ソグド語† ※ソグド語は母音を表記しないので発音は不明
cf. pwrðnk 「ヒョウ」
тигр tigr (現代)オセート語 ※ロシア語からの借用
□ 南東イラン語群
muya- ホータン語†
پړانګ pṛāng [ 'pɺ̢ɑ:ŋɡ ] [ プ ' ラーング ] パシュトー語 ※「ヒョウ」 を指す場合もある
□ 北西イラン語群
piling [ ピ ' りング ] クルド語 (クルマンジー = 主としてトルコ共和国アナトリア東部)
babir [ バ ' ビル ] クルド語 (クルマンジー)
پلنگ piling [ ピ ' りング ] クルド語 (ソラニー = イラク・イラン国境地帯)
pılıng [ プ ' るング ] ザザキ語 Zazaki (カッパドキアの言語)
مزار mazār [ マ ' ザール ] バローチー語 (イラン東部、パキスタン南西部)
□ 南西イラン語群
ببر babr [ 'bæbɾ ] [ ' バブル ] (現代)ペルシャ語
cf. پارس pārs [ 'pɒ:ɾs ] [ ' ポールス ] 「ヒョウ、ユキヒョウ、チータ」
cf. پارش pārsh [ 'pɒ:ɾʃ ] [ ' ポールシュ ] 「ヒョウ」
cf. پلنگ / پلنك palang / palank [ pæ'læŋɡ / pæ'læŋk ] [ パ ' らング / パ ' らンク ]
「ヒョウ、キリン、まだら模様のあるもの」
پانگ pāng ダリー語 (アフガニスタン)
бабр babr [ ' バブル ] タジク語
■ インド=アーリア語群 (現在のインド、ネパール、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタン、スリランカなどに広がった人々の言語)
व्याघ्रः vyāghrá-ḥ [ ヴィヤーグㇷ ' ラふ ] サンスクリット†
cf. पृदाकुः pṛdāku-ḥ [ プ ' ルダークゥふ ] 「毒ヘビ、トラ、ヒョウ」 サンスクリット
byaggha-, vyaggha- [ ビ ' ヤッガㇵ, ヴィ ' ヤッガㇵ ] パーリ語†
□ 北部インド=アーリア語群
बाघ bāgh [ 'ba:ɡʰ ] [ ' バーグㇷ ] ネパール語
□ 中央インド=アーリア語群
बाघ bāgh [ 'ba:ɡʰ ] [ ' バーグㇷ ] ヒンディー語
شیر sher [ ' シェル ] ウルドゥー語
ਟਾਈਗਰ ṭaigər [ ʈɑiɡəɾ ] [ たイガル ] パンジャブ語 ※ Google India で43件、ウェブ全体で7,560件。
ਸ਼ੇਰ sher [ ʃeɾ ] [ シェル ] パンジャブ語 ※ Google India で13,500件だが、ライオンを指すことのほうが多い。
ਸ਼ੀਂਹ shĩh [ ʃĩɦ ] [ シんふ ] パンジャブ語 ※ Google India で24件。稀用。
※古来より、パンジャブは 「トラ」 の棲息域から外れていた。そのため、同語群の他の言語とは異なり、
「トラ」 という語を持っていなかったようだ。 Wikipedia パンジャブ語版は、「トラ」 を ṭaigər の見出しで立項している。
વાઘ vāgh [ ' ヴァーグㇷ ] グジャラート語
□ 東部インド=アーリア語群
বাঘ bāgh ベンガル語、アッサム語
□ 西部インド=アーリア語群
واگھ vāghu シンド語
□ 南部インド=アーリア語群
वाघ wāgh マラーティー語
वागु vāgu コンカニ語
□ 島嶼インド=アーリア語群
කොටියා koṭiyā [ 'koʈija: ] [ ' コてぃヤー ] シンハラ語 (スリランカ)
މިނިކާވަގު minikāvagu モルジブ語 (Divehi)
※ minikā [ ミニカー ] は “人食い” という意の名詞。
■ アナトリア語派 (現在のトルコ共和国のアジア部の言語。死語)
cf. parsana- 「ヒョウ」 ヒッタイト語†
■ ギリシャ語派 (現在のギリシャに南下した人々の言語)
cf. πάρδος párdos [ ' パルドス ] 「ヒョウ」
cf. πάρδαλις párdalis [ ' パルダりス ] 「ヒョウ」
〓このとおり、印欧語族の故地から東へと広がったグループの言語に見える 「トラ」 という単語には統一性が見られません。
〓まず目を引くのが、「インド=アーリア語群」 の統一性です。「インド=アーリア語群」 とはメンドクサイ呼び名です。しかし、こう言わなければならない理由があります。
〓インドには、もともと、ドラヴィダ語族という民族が住んでいました。現在のインド南部のタミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語などを話す民族がドラヴィダ語族です。
〓ところが、そこに、現在ではインドの多数派の民族となったヒンディー語などを話す印欧語族があとから侵入したんです。なので、「ヨソから来た者です」 という意味で 「アーリア」 を付けるんですネ。
〓「トラ」 という単語について言うなら、この語群は、ほとんどが、サンスクリット、パーリ語に連なるような単語を使っています。
〓インドにおける 「サンスクリット」 というのは、西ヨーロッパのラテン語のような存在なんですが、その成立過程が古典ラテン語や古典ギリシャ語などとはじゃっかん違います。
〓ヒンディー語など、印欧語系の現代インド諸語が 「サンスクリット」 から発展した、というワケではないのです。イタリア語、フランス語、スペイン語などが、ラテン語から発展したのとは違うんですね。
〓古代インドには、バラモン教の聖典 「ヴェーダ」 という宗教文書があって、それは、多様な言語で書かれていました。
〓「サンスクリット」 というのは、分析力に長 (た) けた文法学者が、こうしたヴェーダに使用されていた諸言語から割り出した 「理論上の完全言語」 であり、自然発生したものではないのです。
〓ですから、現代の自然言語がサンスクリットに遡 (さかのぼ) るとは言えません。サンスクリットは、ある意味で、インド=アーリア語群の “再建された祖語” と言えます。
〓古代インドにはパーニニ पाणिनि Pāṇini などという天才的な文法学者がいて、言語学なんて概念のない遙かな紀元前に、そういうハナレワザをやってのけたのでした。
〓ただ、その点さえ踏まえておけば、現代の印欧語系インド諸語の祖語はサンスクリットである、と、オオザッパにみなすことができます。
〓いっぽうで、パーリ語というのは、紀元前のインドのいずれかの地方で 「実際に使われていた方言」 にもとづく言語で、仏教の布教に用いられました。つまり、民衆に教えを説く際に、難解なサンスクリットではなく、当時の民衆の口語により近い言語が選ばれたのです。
〓パーリ語は、スリランカのシンハラ語を記すシンハラ文字を中心として、いろいろな文字で書かれてきました。現在、学術的にはラテン文字で翻字して記述する慣習になっています。なので、一般的には byaggha-, vyaggha- のように書き表します。もちろん、実際に、このようにラテン文字で書いていたわけではありません。
〓以上のような事情から、「サンスクリット」、「パーリ語」、「(印欧語系) 現代インド諸語」 を比べたときに、おおむね、パーリ語がサンスクリットと現代語の中間の語形を示します。たとえば、「トラ」 という単語を取るなら、
vyāghraḥ [ ヴィ ' ヤーグㇷラふ ] サンスクリット
↓
vyaggho, byaggho [ ヴィ ' ヤッゴㇹ、ビ ' ヤッゴㇹ ] パーリ語
↓
bāgh [ ' バーグㇷ ] ヒンディー語、パンジャブ語、ベンガル語、ネパール語
vāgh [ ' ヴァーグㇷ ] グジャラート語
vāghu [ ' ヴァーグフゥ ] シンド語
vāgu [ ' ヴァーグゥ ] コンカニ語
wāgh [ ' ワーグㇷ ] マラーティー語
というぐあいで、実に明快です。
〓サンスクリットの vyāghra- 「トラ」 という単語は、『アタルヴァ・ヴェーダ』 Atharva-Veda という 「ヴェーダ」 (バラモン教の聖典) に使用例があるので、人工的に造られたサンスクリット語彙ではないようです。
〓古くからあるとは言え、サンスクリットでその造語法が明快に説明できる人為的・新語的なニオイのするコトバで、印欧祖語に遡るとは思えません。
vy- (母音の前の語形) ← vi- [ ヴィ ] 「分ける」 の意の接頭辞
+
ā- [ アー ] 「~から」 の意の接頭辞
+
ghrā [ ぐ ' ラー ] 「嗅ぐ」
↓
vyāghrā [ ヴィヤーぐ ' ラー ] 「嗅ぎ分ける、嗅ぎ出す」
↓
vyāghra- [ ヴィヤーぐ ' ラ ] 「嗅ぎ分けることができる(者)」
↓
vyāghraḥ [ ヴィヤーぐ ' ラふ ] 「トラ」
vyāghrī [ ヴィヤーぐ ' リー ] 「雌のトラ」
〓そのいっぽうで、イラン語群はたいへんな混乱ぶりです。
〓まず、死語となってしまったソグド語、ホータン語に共通の語形が見えます。これと、現在の中国西部の砂漠地帯でかつて話されていたトカラ語 (トカラ語派) に類似の語形が見えます。
mewiyo [ メウィヨ ] トカラ語B (クチャ語)
muya- ホータン語
myw ソグド語
〓語派にまたがって、非系統的に類似していることから、祖語に遡るのではなく、近隣語からの借用が疑われます。オモシロイ説としては、中国語の
【 猫 】
meau [ メアウ ] 上古音 (~4世紀)
mau [ マウ ] 中古音 (5~11世紀)
に由来するのではないか、というものがあります。
ソグド人の故地 ソグディアナは、シルクロードの要衝にあたっていた。
上の赤い □ で示したあたりがソグディアナ。タシケント、サマルカンド、ブハラなどの都市があった。
彼らは8世紀にアラブ人によって滅ぼされ、ソグド語も使われなくなり、
明確なソグド人というアイデンティティも失われた。
〓ソグド人は、現在のタジキスタン・キルギスタン・ウズベキスタンの国境が入り組むオアシス地帯 (ソグディアナ) に居住していた灌漑 (かんがい) 農耕民族です。
〓しかし、ソグディアナがシルクロードの中継地にあることから、中央アジアと中国の都とを結ぶ交易に従事するようになりました。とりわけ、5~8世紀はソグド人の全盛で、彼らはシルクロード上の拠点に点在し、交易品をリレーして運びました。
〓彼らの言語、ソグド語は、シルクロードの 「リングワ・フランカ」 lingua franca (通商語、共通語) となりました。
〓この時期、東には中国の世界最大級の都市 “長安” があり、西には新興のイスラーム帝国、そして、千年帝国のビザンチン (東ローマ帝国) がありました。
〓長安には多くのソグド人が住んでおり、彼らは胡人 (こじん) と呼ばれていました。彼らのもたらす西域の文物は、当時の都の中国人を魅了しました。
〓「胡弓」 (こきゅう)、「胡瓜」 (きゅうり)、「胡桃」 (くるみ)、「胡椒」 (こしょう)、「胡麻」 (ごま)、「胡坐」 (あぐら) などは、ソグド人 (胡) がもたらした文物に付けられた名前です。
〓そういう点から考えると、
中国 meau - クチャ mewiyo - ホータン muya- - ソグド myw
はあながちコジツケとも言えないかもしれません。
〓イラン語群で、次に目立つのは、次の一連の語です。
□ pwrðnk 「ヒョウ」。ソグド語
□ pṛdākuḥ [ プ ' ルダークゥふ ] 「ヘビ、トラ、ヒョウ」。サンスクリット
■ pṛāng [ プ ' ラーング ] パシュトー語
■ pāng [ ' パーング ] ダリー語
□ palang [ パ ' ラング ] 「ヒョウ、キリン、まだら模様のあるもの」。ペルシャ語
□ pārs [ ' ポールス ] 「ヒョウ、ユキヒョウ、チータ」。ペルシャ語
□ pārsh [ ' ポールシュ ] 「ヒョウ」。ペルシャ語
■ piling [ ピ ' りング ] クルド語
■ pılıng [ プ ' るング ] ザザキ語
□ párdos [ ' パルドス ] 「ヒョウ」。ギリシャ語
□ párdalis [ ' パルダりス ] 「ヒョウ」。ギリシャ語
〓 ■ は 「トラ」 の義で使われているもの。 □ は 「トラ」 でないものです。これらは、
*prd- [ プルド ] 「ヒョウ」。印欧祖語
に遡 (さかのぼ) る語群です。
〓「ヒョウ」 は 「ユキヒョウ」 も含めると、「トラ」 よりも遙かに棲息域が広く、インド=イラン語派の領域で言うと、かつては、インド全域、イラン全域、トルコのアナトリア、コーカサスの全域に分布していました。
〓特徴的なのは、 *prd- が印欧祖語とは言いながら、ギリシャ語派、アナトリア語派、インド=イラン語派という、東方もしくは南方に展開したグループのみに見られることです。
〓まさしく、彼らは、ヒョウの棲息域の中を移動してきたので、このコトバを共通の記憶として残したわけです。
〓そして、最後、3つ目に見られるグループが、現代ペルシャ語に代表される、トラを babr 「バブル」 と呼ぶグループです。
babr [ ' バブル ] 現代ペルシャ語
babr [ ' バブル ] タジク語
babir [ バ ' ビル ] クルド語 (クルマンジー)
〓一見、孤立しているように見えますが、実は、古い時代にサンスクリットの vyāghra- 「ヴィヤーグラ」 を借用したもののようです。これは、現代語だけを見ていたのではわかりません。
vyāghra-ḥ [ ヴィヤーぐ ' ラふ ] 「トラ」。サンスクリット
――――――――――
վագր vagr [ 'vɑgəɾ (東)| 'vɑkʰəɾ (西)] [ ' ヴァグル | ' ヴァくル ] 「トラ」。アルメニア語
ვიგრი vigri [ 'viɡri ] [ ' ヴィグリ ] 「トラ」。古グルジア語
…………………………
ვეფხვი vephxv-i [ 'vɛpʰxvi ] [ ' ヴェぷふヴィ ] 「トラ」。グルジア語 ※ -i は主格語尾
BPR, BWPR [ ? ] 「トラ」。中期ペルシャ語 ※パフラヴィー文字は母音を記さないので発音がわからない。
ببر babr [ 'bæbɾ ] [ ' バブル ] 「トラ」。現代ペルシャ語
〓ここからわかることは、おそらく、 *vāgr のような訛 (なま) り方をしたサンスクリット語彙がこの領域に伝わり、ペルシャ語では、
語頭の v → b
語中の g → p → b
のように音を変えたものと思われます。
〓印欧語族では、かくまでに 「トラ」 という語彙を欠き、そのため、それぞれの言語でヒッシコいて 「トラ」 という単語をこしらえてきたことがわかります。
〓今まで見てきたのは、実際、東方に移動することで 「トラ」 と出会ってしまった “インド=イラン語派” のようすです。
〓しかし、北方や西方に移動した人々は、けっきょく、「トラ」 と出会うことがありませんでした。彼らは、
ギリシャ人、さらに、ローマ人の知識を通して 「トラ」 を知る
ということになります。
〓それゆえ、ボスポラス海峡から西のヨーロッパの印欧語族では、「トラ」 を指す単語は、ほぼ、すべて、ギリシャ語の
τίγρις tígris [ ' ティグリス ] 「トラ」。古典ギリシャ語
もしくは、これを借用したラテン語の
tigris [ ' ティグリス ] 「トラ」。ラテン語
に遡ります。
話は、まだまだ、長うござります。 2に続きます ↓
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10503922274.html