こちらは “tiger と Tigris” の2にござります。 1 は↓
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ティグリス川上流、トルコ領内の渓谷。
ウルス・ダム Ilısu Dam 付近で、こうした光景はダムの建設で水没するという。
【 Tigris / tigris の語源 】
〓ところで、この tigris という単語の語源は、しばしば、次のように言われます。
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Tigris 「ティグリス川」、 tigris 「トラ」 の語源は、アヴェスター語の tiγriš 「矢」 (あるいは、古期ペルシャ語の tigra- 「尖った」) という語に由来し、それは、「ティグリス川」 の流れが矢のように速いこと、「トラ」 の動きが矢のように素速いことから名づけられたものである。
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〓実は、これに類する説を最初に伝えたのは、紀元前から紀元後 (64/63 BC~AD24頃) にかけてのギリシャ人歴史家・地理学者
ストラボーン Στράβων Strábōn [ スト ' ラボーン ]
でした。その著書 『地理誌』 “Γεωγραφικά” Geōgraphikā の中に、以下のように書かれています。
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εἰσὶ δὲ καὶ λίμναι κατὰ τὴν Ἀρμενίαν μεγάλαι, μία μὲν ἡ Μαντιανή, Κυανῆ ἑρμηνευθεῖσα, μεγίστη, ὥς φασι, μετὰ τὴν Μαιῶτιν, ἁλμυροῦ ὕδατος, διήκουσα μέχρι τῆς Ἀτροπατίας, ἔχουσα καὶ ἁλοπήγια· ἡ δὲ Ἀρσηνή, ἣν καὶ Θωπῖτιν καλοῦσιν· ἔστι δὲ νιτρῖτις, τὰς δ' ἐσθῆτας ῥήττει καὶ διαξαίνει· διὰ δὲ τοῦτο καὶ ἄποτόν ἐστι τὸ ὕδωρ.
φέρεται δὲ δι' αὐτῆς ὁ Τίγρις ἀπὸ τῆς κατὰ τὸν Νιφάτην ὀρεινῆς ὁρμηθείς, ἄμικτον φυλάττων τὸ ῥεῦμα διὰ τὴν ὀξύτητα, ἀφ' οὗ καὶ τοὔνομα, Μήδων τίγριν καλούντων τὸ τόξευμα· καὶ οὗτος μὲν ἔχει πολυειδεῖς ἰχθῦς, οἱ δὲ λιμναῖοι ἑνὸς εἴδους εἰσί· κατὰ δὲ τὸν μυχὸν τῆς λίμνης εἰς βάραθρον ἐμπεσὼν ὁ ποταμὸς καὶ πολὺν τόπον ἐνεχθεὶς ὑπὸ γῆς ἀνατέλλει κατὰ τὴν Χαλωνῖτιν·
アルメニア Ἀρμενίᾱ Armeníā には大きな湖もいくつかある。ひとつはマンティアネー Μαντιανή Mantianḗ で、訳すと “青” の意味である。これは、マイオーティス胡 Μαιῶτις Maeôtis (アゾフ海) に次ぐ大きさの塩水湖で、アトロパティアー Ἀτροπατίᾱ Atropatíā (アゼルバイジャン) にまで及ぶと言い、塩坑もある。また、アルセーネー Ἀρσηνή Arsēnḗ (ヴァン湖) という湖もあり、一名をトーピーティス Θωπῖτις Thōpîtis と言う。その湖水は塩化ナトリウムを含み、衣服をきれいにし、長持ちさせる。しかし、それゆえ、その水は飲料に適さない。
ティグリス Τίγρις Tígris はニパテース Νιφάτης Niphátēs 付近の山国から流れ出したのち、この湖 (アルセーネー=ヴァン胡) を貫流する。その流れの速きゆえに湖水とは混ざらない。それゆえ、 Tígris の名がある。なんとなれば、 “tígris” とはメディア語で 「矢」 を意味するからだ。さらに、この川には多種の魚が住むが、湖に住む魚は一種類のみである。湖の奥まったところに穴があり、川はそこへ流れ落ちる。そして、ひさしく地底を流れたのちにカローニーティス Χαλωνῖτις Khalonîtis 付近で地上に出る。
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〓後世の学者たちは、このストラボーンの記述にとらわれてきたのだけれども、そもそも、メディア語 Median language というのは、古期ペルシャ語よりも古い紀元前8~6世紀の言語であり、その資料はほとんど何も残っていないに等しい言語です。
〓また、メディア語は、イラン語群の中でも、クルド語、ザザキ語 (カッパドキア)、バローチー語などと同じく、「北西イラン語群」 に属し、メディア王国を滅ぼした 「アケメネス朝ペルシャ」 の古期ペルシャ語 (南西イラン語群) とは異なる方言に属します。
〓間接的な資料としては、古期ペルシャ語にそれとわかる多くの借用語を残しており、それによれば、古期ペルシャ語より、むしろ、アヴェスター語 (北東イラン語群) に近い言語と考えられます。それゆえ、アヴェスター語のみに見られ、古期ペルシャ語では文証されない “tigris” 「矢」 という単語がメディア語に存在した、というのは、ありうるハナシではあります。
〓ストラボーンが古代ギリシャの著名な学者とは言え、彼の時代で、すでに、
メディア語が消滅して 500年以上が経っている
のです。多くの資料が残る現代でさえ、わずか100年前のことが知りがたいのに、古代の500年前となれば言わずもがな、でありましょう。
〓ティグリス川は、トルコのアナトリアに源頭 (げんとう=最初の一滴の発する地点) を持ちますが、その場所はヴァン湖よりもかなり西にあります。ヴァン湖は周囲を山に囲まれ、流れ込む川はあっても、流れ出る川がありません。
〓つまり、
ティグリス川が、ヴァン湖の上流に発する
というストラボーンの認識じたいが、少々ちがっているわけです。とりあえず、ここでは、ストラボーンの説を、一時、タナ上げしておきましょう。
〓ところで、そもそも、メソポタミアに最初に文明を築いたのは、言語的に系統が不明な民族、シュメール人でした。彼らは、ティグリス川を
Idigna, Idigla [ イディグナ、イディグら ] 「ティグリス川」。シュメール語 (紀元前31~18世紀)
※シュメール語で id は 「川」。 Idigla は方言形
と呼びました。
〓シュメール人のあとを継いで、この地に国を築いたバビロニア人、アッシリア人は、アラビア語やヘブライ語などと同系のセム語に属するアッカド語を話す民族でした。
〓しかし、彼らは、しばしば、先行するシュメール文明の単語をそのまま用いており、ティグリス川の名前も、
Idiqlat, Diqlat f. [ イディくらット、ディくらット ] 「ティグリス川」。アッカド語 (紀元前2500年~紀元後100年)
※ f. は女性名詞の意
と呼びました。語末の -at は、現代アラビア語のそれと同じく女性名詞の語尾です。
〓イランのビーストゥーン山の断崖に、紀元前6~5世紀に刻まれた 「ビーストゥーン碑文」 بیستون Bīstūn (英名 “ベヒストゥン碑文” the Behistun inscription) があります。これは世界遺産にも指定されたもので、アケメネス朝ペルシャの王、ダリウス一世の経歴や征戦の記録を記したものです。
〓この碑文は、アケメネス朝の公用語であった 「古期ペルシャ語」 を、楔形 (くさびがた) 文字を使って刻んでおり、その戦闘の記録の中に、「ティグリス川」 の名が出てきます。その語形は、
Tigrā f. [ ティグラー ] 「ティグリス川」。古期ペルシャ語 (紀元前525~300年)
※碑文中では Tigrām という対格形であらわれる
となっています。
〓古期ペルシャ語は、印欧語族に属し、名詞には格変化 (曲用) があります。そのため、主格の語尾は限られており、セム語のように -at で終わるわけにはいきませんでした。そこで、ギリシャ語・ラテン語の 「 a-語幹」 (一般に、女性であることが多い) に対応する -ā という語幹が選ばれています。よって、単数主格は Tigrā 「ティグラー」 です。
〓また、メソポタミアで、すでにリングワ・フランカ (lingua franca 通商語) としての地位を確立し、アケメネス朝ペルシャでも、古期ペルシャ語と並んで公用語とされたアラム語 (セム語) では、ティグリス川をこう呼びました。
Deqlath f. [ dɛqlaθ ] [ デくらす ] アラム語 (紀元前1100年~紀元前3世紀)
※アラム語は、程度の差はあっても、現代に至るまで使われ続けているが、
紀元前3世紀に、ギリシャ語によって通商語としての地位を追われた。
※ -ath はアッカド語同様、女性語尾。
〓遙かのちの7世紀に入って、この地域にイスラーム帝国を打ち立てるアラブ人の話すアラビア語 (セム語) では、ティグリス川を
دجلة Dijla(tu) [ 'didʒla(tu) ] [ ' ディヂら(トゥ) ] アラビア語
と言います。
〓現代アラビア語は [ ɡ ] を持たず、古い時代に入った借用語では j [ dʒ ] に転じています。つまり、この語は、もともと、 Diglat- だったわけです。
〓アラビア語では、セム祖語に遡 (さかのぼ) る [ ɡ ] が硬口蓋化を起こし、
[ ɡ ] → [ ɡʲ ] → [ ɟ ] → [ dʒ ]
※ [ ɡʲ ] は “ギャギュギョ” の子音。 [ ɟ ] は日本語の “ギ” と “ヂ” の中間の子音。
と変化しました。『クルアーン』 (コーラン) の時代 (7世紀) には、すでに、硬口蓋化は始まっていたといいます。
〓現代アラビア口語では、語末の -t は発音されませんが潜在的には存在します。アッカド語の -t、アラム語の -th に対応するものです。
〓この語は、アラビア文語では、いわゆる、“二段変化” diptote で、冠詞を取らず、変化は、
主格 Dijlatu / 対格・属格 Dijlata
となります。
【 「ティグリス」 のギリシャ・デビュー 】
〓ギリシャ語では、「ティグリス川」 という河川名は、「トラ」 という単語よりも1世紀早く知られていました。もっとも古い例は、紀元前5世紀、イオーニア (小アジア、ハリカルナーッソス Ἁλικαρνᾱσσός 生まれ) 出身の歴史家、ヘーロドトス Ἡρόδοτος Hēródotos (c.484BC~c.425BC) の 『歴史』 “Ἱστορίαι” における用例です。
〓ちなみに、この当時、メソポタミアは、アラム語・アッカド語 (セム語) を使う 「新バビロニア王国」 が倒れ、古期ペルシャ語 (印欧語) を公用語とするアケメネス朝ペルシャの版図となっていました。
〓ヘーロドトスは、「ティグリス川」 をこのように呼んでいます。
Τίγρης Tígrēs [ ' ティグレース ] 「ティグリス川」
〓現在、一般に知られている 「ティグリス」 という語形と異なります。実は、ギリシャ語では 「ティグレース」 という語形のほうが古く、のちに、
“アレクサンドロス大王の東方遠征” + “ギリシャに 「トラ」 が知られる”
という2つの出来事が重なる時期を契機として、語形が Τίγρις Tígris 「ティグリス」 へと変わるのです。
〓ヘーロドトスの用例は、4回のうち3回は定冠詞がありません。後世の用法が、必ず、定冠詞を伴っているのと対照的です。
〓ここで、ひとつ重要なことを指摘しておく必要があります。すなわち、ヘーロドトスの言語は、ギリシャ語の 「イオーニア方言」 であり、“ティグレース” というのは、アテーナイの 「アッティカ方言」 (古代ギリシャの主要なギリシャ語) の
Τίγρᾱς Tígrās [ ' ティグラース ] “ティグラース川”
にあたる、ということです。
〓古典ギリシャ語にあかるくない普通のヒトにとっては 「?」 なハナシでしょうが、これから、おいおい説明いたします。
古典ギリシャ語時代の方言地図。 エーゲ海をはさんで向かい合っている 「青い地域」 が
アッティカ方言 (Attic) とイオーニア方言 (Ionic)。 ヘーロドトスの時代、エーゲ海の東側の
イオーニア地方などは、ペルシャの支配下にあった。
〓古代ギリシャにおいて、アテーナイ (アテネ) の 「アッティカ方言」 と、小アジアの 「イオーニア方言」 は、他の方言とは異なり、
長母音 ᾱ ā 「アー」 → η ē 「エー」
という変化を起こしました。わかりやすく、日本語で言うなら、「かあさん、ばあさん」 が 「けえさん、べえさん」 になるようなものです。
〓ギリシャ語の女性名詞の多くが、ラテン語のように -a で終わらずに、 -ē で終わるのはそのような理由によります。
〓ただし、
イオーニア方言 (小アジア) では、例外なく ᾱ ā → η ē となったのに対し、
アッティカ方言 (アテーナイ) では、ι, ε, ρ (i, e, r) のあとの ᾱ をそのまま残した
のです。
〓それゆえ、ヘーロドトスは、たとえば、このような書き方をします。
ἐς τὴν Καππαδοκίην es tēn Kappadokíēn
[ エス テーン カッパド ' キエーン ] 「カッパドキアへと」。イオーニア方言
※ ἐς es は英語の to にあたる前置詞で、名詞の対格を取る。
また、 ἐς es というのは εἰς eis のイオーニア方言形。
〓イオーニア方言の 「カッパドキア」 の主格形は、
ἡ Καππαδοκίη hē Kappadokíē [ ヘー カッパド ' キエー ] 「カッパドキア」。イオーニア方言
です。
〓これらは、古典時代のギリシャの主要方言であった、アテーナイのアッティカ方言では、
εἰς τὴν Καππαδοκίᾱν eis tēn Kappadokíān
[ エイス テーン カッパド ' キアーン ] アッティカ方言、対格形
ἡ Καππαδοκίᾱ hē Kappadokiā [ ヘー カッパド ' キアー ] アッティカ方言、主格形
となります。 ι i のあとの ᾱ ā は保存されるからですね。わかりやすく、カナで書くと、
カッパドキアー = アッティカ方言 (アテーナイ)
カッパドキエー = イオーニア方言 (小アジア)
となります。「かあさん」-「けえさん」 の関係ですね。
〓このタイプの -ιᾱ -iā という語尾は、ギリシャ語→ラテン語を経て、現代ヨーロッパ諸語の多数の言語で、地名をつくる語尾として継承されています。たとえば、 Italia 「イタリア」 の -ia です。それが、イオーニアでは、「~イエー」 であったのです。
〓ヘーロドトスの言う 「ティグレース」 という川は、あきらかに、古期ペルシャ語の Tigrā を転写したものだと言えます。
彼の話すイオーニア方言は、「アー」 を 「エー」 と言ってしまう言語だった
ため、ペルシャ語の 「ティグラー」 を 「ティグラース」 ではなく、「ティグレース」 としてしまったんですね。
〓ギリシャ語で、語末に -ς -s が付くのには、当然の理由があります。
〓古典ギリシャ語は、
-α, -ᾱ, -η (-a, -ā, -ē) で終わる女性名詞以外は、男性・女性の別を問わず、
付けられるかぎり、男性・女性のすべての語の主格の語尾に -ς -s を付ける
という性質がありました。ちょっとヤヤコシイですね。
〓もっとも、古典ギリシャ語は、現代英語のような、修羅場をクグリ抜けてきた雑種言語とは違い、語末に立ちうる音にきびしい制約があったので、語幹が -ν -n で終わる語などには -ς -s が “付けられません” でした。
〓今いちど詳しく申し上げますと、語幹が -a で終わる語のうち、女性名詞の主格には -ς -s は付かないが、男性名詞にはこれが付きます。
θάλαττα thálatta f. [ ' たらッタ ] 「海」
※語幹が -α -a に終わる女性名詞なので -ς -s は付かない
νίκη níkē f. [ ' ニケー ] 「勝利」 (Nike 「ナイキ」 の語源の語)
※語幹が -η -ē (← -ā) に終わる女性名詞なので -ς -s は付かない
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νεᾱνίᾱς neāníās m. [ ネアー ' ニアース ] 「若者」
※語幹が -ᾱ -ā に終わるが男性名詞なので -ς -s が付く
ναύτης naútēs m. [ ナ ' ウテース ] 「船乗り」
※語幹が -η -ē (← -ā) に終わるが男性名詞なので -ς -s が付く
※ m. は男性名詞の意
〓また、女性名詞でも、語幹が -a 以外の母音や、s 音を従えうる子音に終わる場合は、 -ς -s が付きます。
ὁδός hodós f. [ ホ ' ドス ] 「道」
※女性名詞だが、語幹が -ο -o に終わる (通例、男性・中性語幹) ので -ς -s が付く
πόλις pólis f. [ ' ポりス ] 「都市」
※女性名詞だが、語幹が -ι -i に終わるので -ς -s が付く
αἴξ aíks f. [ ア ' イクス ] 「ヤギ」
※女性名詞だが、語幹が -γ -g に終わるので -ς -s が付く
aíg- + -s → aígs → aíks → aíx
〓以上のことを踏まえますと、
ヘーロドトスは、ペルシャ人の言う Tigrā 「ティグラー」 を借用し、
それが、類概念で男性名詞とすべき 「川」 であったので、主格の語尾に -ς -s を付けた
わけです。ギリシャ語では、「川」 は ποταμός potamós [ ポタ ' モス ] (男性名詞) です。
〓ヘーロドトスの 『歴史』 には、これを裏付ける語形が2回出てきます。
ἐς τὸν Τίγρην es ton Tígrēn [ エス トン ' ティグレーン ] 「ティグリス川へと」
ἐκδιδοῖ δὲ ἐς ἕτερον ποταμὸν Τίγρην
ekdidói de es héteron potamòn Tígrēn
[ エクディ ' ドイ デ エス ' ヘテロン ポタ ' モン ' ティグレーン ]
「もう1つの川、ティグリスに流れ込む」
〓これは、どちらも対格形です。そして、この 「ティグレーン」 という対格形は、
“ᾱ-語幹” という、主として女性名詞の対格形
なのです。アッティカ方言では、もちろん、
*Τίγρᾱν Tígrān [ ' ティグラーン ] 「ティグリス川を」。対格形
となるべきものです。
〓要するに、古期ペルシャ語を最初に借用したのが小アジアのヘーロドトスでなく、アテーナイの人であったなら、最初から 「ティグラース」 となっていたハズです。
Τίγρᾱ- Tígrā- (語幹) + -ς -s → *Τίγρᾱς Tígrās
〓これなら、ナンの問題も生まれなかったのです。
〓しかし、小アジアの諸都市は、ペルシャの支配下に入っていたため、アテーナイなどより、ペルシャの情報がよく入ってきたのでしょう。地理的に言って、これは仕方のない順序でした。
〓次に、「ティグリス川」 というコトバを書き残したのは、アテーナイの人で、軍人でありながらソークラテースの弟子でもあったクセノポーン Ξενοφῶν Xenophôn でした。
〓彼は、ペルシャ王家の内紛に傭兵として参加した経験を持ちます。当時のギリシャ人が、ペルシャの傭兵となって出稼ぎすることは珍しいことではありませんでした。古代ギリシャの内実というのは、哲学などを通して伝わってくる 「輝かしい古代文明」 というようなユートピアではありませんでした。そこには、実生活も戦争もありました。
〓クセノポーンが従軍経験を記した 『アナバシス』 “Ἀνάβασις” という著書には、「ティグリス川」 というコトバが、主格形で2回、属格形で8回、対格形で6回現れます。実際、メソポタミアに行って戦争しているわけですから当然です。
ὁ Τίγρης ho Tígrēs [ ホ ' ティグレース ] 「ティグリス川」。主格形
τοῦ Τίγρητος tû Tígrētos [ トゥー ' ティグレートス ] 「ティグリス川の」。属格形
τὸν Τίγρητα tòn Tígrēta [ トン ' ティグレータ ] 「ティグリス川を」。対格形
〓ここで、実は、トンデモナイことが起こっているのです。それは、言語学的に言うと、
イオーニアの人、ヘーロドトスが方言で書いた “ᾱ-語幹” のつもりの Τίγρης Tígrēs を
アテーナイの人、クセノポーンがアッティカ方言の “τ-語幹” の名詞として変化させている
のです。
〓これではナンのことかわかりませんね。つまり、ヘーロドトスが 「ティグレース」 と呼んだものを、クセノポーンも 「ティグレース」 と呼んでしまったのです。
ヘーロドトスが 「ティグレース」 と呼んだものを、
クセノポーンも 「ティグレース」 と呼んでナニが問題なの?
と思うかもしれない。
〓ならば、日本語でたとえてみましょう。言うなれば、
ヘーロドトスは 「ちょっとトンカチ、借 (か) ってきて」
と言ったのです。すると、
クセノポーンは、金物屋に行って 「トンカチを買ってきてしまった」
ワケなんです。
〓先ほど申し上げました。イオーニア方言で、ᾱ ā が訛った η ē は、アッティカ方言 (アテーナイの方言) の場合、 ι, ε, ρ (i, e, r) のあとでは η ē とはならずに、もとの発音 ᾱ ā が保存されるんでしたね。つまり、クセノポーンは、
ὁ Τίγρᾱς ho Tígrās [ ホ ' ティグラース ] 「ティグリス川」。主格形
τοῦ Τίγρου tû Tígrū [ トゥー ' ティグルー ] 「ティグリス川の」。属格形
τὸν Τίγρᾱν tòn Tígrān [ トン ' ティグラーン ] 「ティグリス川を」。対格形
と言わねばならなかったのです。
〓さらに、この説を裏付ける決定打を申し上げましょう。すなわち、ヘーロドトスは、「ユーフラテス川」 の名も、まったく同じように “訛って” いるのです。
Εὐφράτης Euphrātēs [ エウぷラ ' アテース ] アッティカ方言形 ※「ユーフラテス」 のもとになったのはこちら
Εὐφρήτης Euphrētēs [ エウぷレ ' エテース ] イオーニア方言形 ※ヘーロドトスの語形
〓アッティカ (アテーナイ) で 「エウプラーテース」、イオーニア (小アジア) で 「エウプレーテース」。実は、こちらは、イオーニアの訛った語形に対して、アッティカ方言ではチャンと訛っていない語形をしめしています。
〓もし、イオーニアの語形が伝わっていたら、現代日本のアッシらも、ユーフラテス川を 「ユーフレテス川」 と言っていたでしょう。
話は、まだまだ、長うござります。 3に続きます ↓
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10504096018.html