『バグダッド・カフェ』 ── なぜ、“バグダッド” なのか? ──5 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   パンダ こちらは 「バグダッドカフェ」 のでござります。 1 は↓

        http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10427467299.html




   げたにれの “日日是言語学”-route 66






  【 なぜ、“バグダッド” なのか? 】


〓映画のタイトルは、


   d“Bagdad Café”


です。そう、初めて、この映画を見たときの疑問を思い出したんですね。なぜ、アメリカで 「バグダッド」 なんだろう、って。映画を最後まで見れば、疑問は氷解すると思いきや、けっきょく、


   なぜ、“バグダッド” なのか?


は不明なママでした。もちろん、パンフレットにも書いてない。



               ガソリンスタント               ガソリンスタント               ガソリンスタント



〓そのまえに、 “Bagdad Café”。ナンか、基本的なことに気づかないでしょうか。そう、


   Baghdad ではない


んですよ。 h が足りない。


〓じゃあ、あのイラクのバグダッドではないのか、というと、そうではありません。もともと、ヨーロッパ諸国では、イラクの首都のバグダッドを、


   Bagdad


と書いていたんです。これが、 Baghdad となったのは、それほど古いことではありません。第二次大戦後に主流となった、いわゆる 「原音主義」 です。つまり、アラビア語で、


   بغداد‎ Baghdād [ baɣ'da:d ] [ バぐ ' ダード ]


と発音するので、あとから h を足したのです。ヨーロッパ諸語では、通例、“摩擦音の [ ɣ ]” を転写するのに -gh- という綴りを使います。


〓アラブ世界の共通アラビア語 (正則アラビア語、フスハー) には、 [ ɡ ] 音がありません。もっとも、エジプト、イエメン、オマーンなど、方言によっては、その口語音に見られますが。


〓アラビア語に [ ɡ ] がない、というのは、 [ p ] がないのと並んで、これ、1つのフシギ。昔からないようで、ペルシャ語などから g 音を持つ借用語が入ると、アラビア人は、これを ج [ dʒ ] で写してきました。


〓いっぽう、ヨーロッパ諸語で、 [ ɣ ] を持つ言語は必ずしも少なくありません。スペイン語・ポルトガル語の母音間の g はこの子音です。あと、現代ギリシャ語の硬音の γ が [ ɣ ] ですね。というか、 IPA (発音記号) の [ ɣ ] はギリシャ語の γ を採用したものです。また、オランダ語、カタルーニャ語、アイルランド・ゲール語にもあります。
〓しかし、カンジンの “英・仏・独・伊” にない音なので、今ひとつ一般的ではない。


〓どうせ発音できないのだから、 Bagdad と書こうが、 Baghdad と書こうが同じことなんですが、そこがやはりタテマエの平等主義なんでしょう。まあ、日本人が、発音し分けられないにもかかわらず、「ベートヴェン」 と書くのと同等の行為です。


〓英語で、バグダッドが Baghdad になったのは、そう古いことではありません。


   “Bagdad” 1949年 (昭和24年) ユニヴァーサルピクチャーズ


という映画があります。つまり、第二次大戦の直後は、まだ Bagdad でした。



〓実は、 Bagdad という地名は世界中にあります。もちろん、イラクのバグダッドを引き合いに出したものです。理由はそれぞれでしょう。 Wikipedia に立項されているだけでも8ヶ所あります。


   Bagdad, Arizona (United States)
   Bagdad, California (United States)
   Bagdad, Butte County, California (United States)
   Bagdad, Florida (United States)
   Bagdad, Kentucky (United States)
   Bagdad, Tasmania (Australia)
   Bagdad, Tamaulipas (Mexico)
   Bagdad, Poland (Poland)


〓米国、オーストラリア、メキシコは砂漠があるからわからないでもありません。しかし、最後のポーランドというのはナンじゃらホイ。
〓英語版、ドイツ語版、ポーランド語版の Wikipedia に立項されていますが、地名の由来が書かれていません。なんでも、第二次大戦前までは、ミェチスワフ・フワポフスキ Mieczysław Chłapowski という貴族の領地だったそうで、おそらく、この領主の趣味で付けられた地名なんでしょう。 Bagdad という音の並びはスラヴ語のそれではありません。


Google Map (US 版) で、オプションを locations (場所) として、


   bagdad usa


と検索すると9ヶ所ヒットします。ワリと大きな地名でも、全米に9ヶ所のバグダッドがある、ということです。


   Bagdad, FL …… フロリダ州
   Bagdad, San Bernardino, CA …… カリフォルニア州
   Bagdad, Yavapai, AZ …… アリゾナ州
   Bagdad, Grant, LA 71417 …… ルイジアナ州
   Bagdad, Erie, PA 16441 …… ペンシルヴェニア州
   Bagdad, Shelby, KY …… ケンタッキー州
   Bagdad, Erie, NY 14034 …… ニューヨーク州
   Bagdad, Caroline, VA 22546 …… ヴァージニア州
   Bagdad, Westmoreland, PA 15656 …… ペンシルヴェニア州


Wikipedia の項目とは4ヶ所がカブッています。



〓ところででゲスね、米国の詳細な地図をシゲシゲと見たことがあるでしょうか。
〓そのいいカゲンな地名の羅列 (られつ) にチカラが抜けること請け合いデス。つまり、英国のみならず、ヨーロッパ、さらには世界中の地名が、小地名として、そこらじゅうに並んでいるのです。しかたがない。


   もともと、地名が付いていない場所ばかり


だったわけだから、入植者の故郷の地名や、好みで選んだ地名が付くわけです。北海道も、アイヌ語にちなんでいない地名の中には、


   北広島


などというのがありますが、これは、「北の広島」 という意味です。広島県の広島市と同名になってしまうために “北” がついているわけです。いくら探したところで、北海道に、東広島、西広島、南広島を見つけることはできません。



               ガソリンスタント               ガソリンスタント               ガソリンスタント



〓ヴィム・ヴェンダースの映画 “Paris, Texas” 『パリ・テキサス』 は、うまいこと、テキサスにパリという地名を見つけたもんだ、と思うかもしれませんが、そうでもありません。


〓ウソだと思うならば、たとえば、 “multimap” http://www.multimap.com/  というような地名検索サイトで調べてみると、 Paris なんて地名は、全米に、少なくとも24ヶ所もあるんですわ。


〓米国の中には “世界” があるんですよ。ご覧なはれ。


   Balcelona バルセロナ …… 4ヶ所
   Bombay ボンベイ …… 4ヶ所
   Calcutta カルカッタ …… 4ヶ所
   Shanghai 上海 …… 4ヶ所
   Belgium ベルギー …… 5ヶ所
   Flanders フランドル …… 5ヶ所
   Stockholm ストックホルム …… 5ヶ所
   Tokio 東京 …… 5ヶ所
   Bordeaux ボルドー …… 7ヶ所
   Poland ポーランド …… 7ヶ所
   Sweden スウェーデン …… 7ヶ所
   Madrid マドリード …… 9ヶ所
   Versailles ヴェルサイユ …… 9ヶ所
   Greenwich グリニッジ …… 10ヶ所
   Manila マニラ …… 10ヶ所
   Amsterdam アムステルダム …… 11ヶ所
   Bremen ブレーメン …… 11ヶ所
   Odessa オデッサ …… 11ヶ所
   Strasburg ストラスブール …… 11ヶ所
   Venice ヴェネツィア …… 11ヶ所
   Alexandria アレクサンドリア …… 12ヶ所
   Naples ナポリ …… 12ヶ所
   Dresden ドレスデン …… 14ヶ所
   Denmark デンマーク …… 16ヶ所
   Dublin ダブリン …… 17ヶ所
   London ロンドン …… 17ヶ所
   Milan(o) ミラノ …… 17ヶ所
   Damascus ダマスカス …… 18ヶ所
   Scotland スコットランド …… 18ヶ所
   Vienna ウィーン …… 18ヶ所
   Lisbon リスボン …… 19ヶ所
   Cairo カイロ …… 20ヶ所
   Warsaw ワルシャワ …… 20ヶ所
   Palestine パレスチナ …… 21ヶ所
   Athens アテネ …… 22ヶ所
   Egypt エジプト …… 22ヶ所
   Rome, Roma ローマ …… 22ヶ所
   Moscow モスクワ …… 24ヶ所
   Paris パリ …… 24ヶ所
   Berlin ベルリン …… 25ヶ所
   Florence フィレンツェ …… 25ヶ所
   Hamburg ハンブルク …… 25ヶ所
   Holland オランダ …… 25ヶ所
   Petersburg ペテルブルク …… 25ヶ所


〓米国の地名というのはこういうモンなんですね。ついでに言うなら、 Tokyo という地名は見つからず、 Tokio で見つかります。つまり、「バグダッド」 が Bagdad であったように 「東京」 は Tokio だったことがわかります。 Tokyo も “原音主義” に沿った綴りなんですね。



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〓『バグダッド・カフェ』 のバグダッドという地名は実在のものです。先に掲げた一覧にも含まれています。


   Bagdad, California (United States) …… Wikipedia
   Bagdad, San Bernardino, CA …… Google Map


というのがそれです。

〓映画の初めのあたりで、バグダッド・カフェを訪れたばかりのヤスミーンが、女亭主のブレンダに向かって、


   「センターはどこ?」


と訊く場面がありますね。


   ヤスミン d“The center? It is far?” 「センター(中心)は? 遠いの?」
   ブレンダ d“What center? The shopping center?” 「何のセンター? ショッピングセンター?」
   ヤスミン d“Center of Bagdad?” 「バグダッドのセンター(中心)よ」
   ブレンダ d“Oh, this is Bagdad.” 「ああ、ここがバグダッドよ」
   ヤスミン d“This is all?” 「これで全部?」
   ブレンダ d“This is it!” 「ここがそうよ!」


〓このトンチンカンなヤリトリ1つでも楽しめます。字幕の翻訳ではトンチンカンな会話に思えますが、英語では center が 「町の中心」、「特定の機能が集中している場所 (~センター)」 の両義を持っているので、自然に成り立つ珍問答です。
〓ザンネンながら日本語にしてしまうとオモシロクない。


〓日本語というのは、外来語を積極的に使って、概念を分割してゆく例が多いです。これは、あんがい、現代日本語の特徴の1つなんです。
〓たとえば、「長靴」 と 「レインブーツ」、「ロウソク」 と 「キャンドル」。同じものではないですね。しかし、英語だと rain boots, candle で区別はできません。世界中の多くの言語はそういうものです。

〓マクロファージのごとく外来語をドンドン呑み込んで 「物の呼び名の細分化」 を活発におこなう現代日本語のような言語は珍しいように思います。


〓たとえば、中国語では、「町の中心」、「ショッピングセンター」 はどちらも “中心” zhōngxīn [ ちょんシン ] で表現されるので、上のヤリトリを自然に訳せます。


   巴格达中心 Bāgēdá zhōngxīn [ パークーター ちょんシン ] 「バグダッドの中心」
   购(購)物中心 gòuwù zhōngxīn [ コウウー ちょんシン ] 「ショッピングセンター」


〓町に center 「中心」 がある、と考えるのがヨーロッパ人らしい。その center を 「ショッピングセンター?」 と解釈するところがアメリカ人なわけです。

〓ところで、ヤスミーンのこんなトンチンカンな質問にはワケがあるんです。



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げたにれの “日日是言語学”-route 66


〓「ルート66」 (シックスティシックス) を知ってはりまっか?


Route 66 というのは、歌に歌われ、映画やTVドラマに登場し、会社名や商標などにもなった有名な米国の国道です。
〓そのものズバリ、 “Route 66” という R&B の歌は、ナット・キング・コール Nat King Cole によって1946年 (昭和21年) に歌われ、その後、チャック・ベリーやローリングストーンズなどにカバーされてきました。日本の CM にも使われたことがあるので、たぶん、その一節を聴けば、誰でも、「ああ、あの歌」 と思うはずです。


   Get your kicks on Route 66 音譜
    ゲッチュア・キックス・オン・ルート・シックスティシックス


――――――――――――――――――――
If you ever plan to motor west,
Travel my way, take the highway that's the best.
Get your kicks on route sixty-six.


クルマで西に行く気になったら、
ボクのお気に入り、最高のハイウェイを使ってよ。
ルート66を走れば、ワクワクすることいっぱいだよ。



It winds from Chicago to LA,
More than two thousand miles all the way.
Get your kicks on route sixty-six.


シカゴからロスまでうねって続く、
全長2000マイルを超える道。
ルート66を走れば、ワクワクすることいっぱいだよ。



Now you go through St. Louis [ sæn 'lu:i ],
Joplin, Missouri,
And Oklahoma City is mighty pretty.
You see Amarillo,
Gallup, New Mexico,
Flagstaff, Arizona.
Don't forget Winona,
Kingman, Barstow, San Bernardino.


サンルイ (セントルイス) を抜けて、
ミズーリのジョプリン、
オクラホマシティはすごくシャレた街。
それから、アマリロ、
ニューメキシコのギャラップ、
アリゾナのフラッグスタッフ。
忘れちゃいけない、ウィノーナ、
キングマン、バーストー、サンバーナーディーノ。



Won't you get hip to this timely tip:
When you make that California trip
Get your kicks on route sixty-six.


このウマイ話をもっと知りたくないかい。
カリフォルニアに旅行するならさ。
ルート66を走れば、ワクワクすることいっぱいだよ。



Won't you get hip to this timely tip:
When you make that california trip
Get your kicks on route sixty-six.
Get your kicks on route sixty-six.
Get your kicks on route sixty-six.

――――――――――――――――――――



Route 66 というのは、カリフォルニアのサンタモニカ Santa Monica と、イリノイ州のシカゴを結んでいました。シカゴというのは、南部で奴隷から解放された黒人たちが職を求めて殺到した街です。だから、ブルースと言えばシカゴなんすね。

〓伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンの “Sweet Home Chicago” も Route 66 を背景に歌っているらしいんですが、どうやら、彼は地理を混乱していたらしい。



――――――――――――――――――――
Oh, baby don't you want to go,
Oh, baby don't you want to go,
Back to the land of California,
To my sweet home Chicago.


ああ、ベイビー、帰りたくないかい。
ああ、ベイビー、帰りたくないかい。
カリフォルニアの地、
なつかしの我がふるさとシカゴへ。
――――――――――――――――――――



〓そんなバカなアメリカ地図はないハズだけれども、ロバート・ジョンソンが Route 66 の始点と終点の地名を小耳にはさんでいたからこうなったんでしょう。両者がゴッチャになった。
〓さすがに、ブルース・ブラザース the Blues Brothers はこう歌っていました。



――――――――――――――――――――
Back to the same old place
Sweet home Chicago


昔と変わらない街、
なつかしのふるさとシカゴへ。
――――――――――――――――――――



Route 66 があまりに有名なので、今でも存在していると思っている日本人は多いと思いますが、この1926年 (大正15年/昭和元年) に全通した国道は、1985年 (昭和60年) に公式に 「廃線」 となっています。ただ、その人気の高さ、歴史的意義から、1990年以降、


   “Historic Route 66”


として、各地で再整備がされているようです。


Route 66 をカバーするべく後から整備された新しい道路は、随所で、もとの Route 66 からはずれるので、地域によっては、旧ルートがまったく使用されなくなったり、ほとんど使用されなくなっていることがあります。つまり、 Route 66 は、すでに実用的な国道ではなく、歴史的遺物なんですね。



   げたにれの “日日是言語学”-route66&interstate40
    モハヴェ砂漠の南端で 「湾曲する Route 66」 と 「直進する Interstate 40



〓バグダッド・カフェと関連する部分のハナシを申し上げましょう。カリフォルニア州の


   バーストー Barstow ~ ニードルズ Needles (アリゾナとの州境の街) 間


にはモハヴェ砂漠 Mojave Desert があり、 Route 66 はこれを避けるように大きく南を迂回していました。しかし、これに代わる “新道”


   Interstate 40 「州間高速40号線」
       ※カリフォルニア州のこの区間は “ニードルズ・フリーウェイ” Needles Freeway とも言う。


は、モハヴェ砂漠の南端をほぼ一直線に突っ切るカッコウで 1964年に開通しています。



〓「水曜どうでしょう」 で “アメリカ横断” を見たヒトならば、あれが Interstate 40 だと諒解すればよいでしょう。ただ、“どうでしょう班” は、ナッシュヴィルを出たあと、テネシー州ノックスヴィル Knoxville の少し先で、Interstate 81 に乗り換えます。というより、道ナリに進むと 81号に入ってしまうんですね。こちらが、ニューヨークやワシントンへ向かう道です。
Interstate 40 は右折になります。そして、道はそのまま東進しノースカロライナ州ウィルミントンで大西洋にぶつかります。



               車               車               車



〓現在、このカリフォルニア州のモハヴェ砂漠の南に位置する Bagdad という町について調べると、


   ghost town オバケオバケ


とされています。「ゴーストタウン」。なるほど、


   ゴーストタウンだったら、 Center もクソもない


〓すでに町がないのです。



               ガソリンスタント               ガソリンスタント               ガソリンスタント



〓モハヴェ砂漠の南のフチを通る Route 66 には、かつて、東海道の宿場のように町が連なっていました。交通がさほど発達していないころ、クルマの性能もそれほど良くなかったころ、ヒトは、こうした、途中の町で宿を求めたんでしょう。


〓バグダッド・カフェで、ヤスミーンが宿泊したい、というと、ブレンダが信じられない、という顔をして 「キャブを呼んでやるよ」 と言いますね。そういうことです。



〓砂漠の縁を通るあたりの町を並べると、こうなります。



   げたにれの “日日是言語学”-route66-bagdad
     が Bagdad


   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──────
   【 バーストー ~ ニードルズ間の Route 66 に “かつて” 並んでいた町 】


   Barstow 「バーストー」。人口21,119人。このあたりでいちばん大きい街。ブレンダの買い物はここか。
   Daggett 「ダゲット」。人口200人。
   Newberry Springs 「ニューベリー・スプリングス」。人口約4,000人。スポーツ施設などを持つ観光地。
   Ludlow 「ラドロー」。人口23人。
   ……………………………………………………
    ラドローを出たあと、 Route 66 は Interstate 40 から大きく南へと離れて行きます。
   ……………………………………………………
   Klondike 「クロンダイク」。ゴーストタウン。
   Siberia 「サイベリア」。シベリアのことだ。バグダッドの隣町にシベリアがある皮肉。2001年からゴーストタウン。
   Bagdad 「バグダッド」。ゴーストタウン。1883年 (明治16年)、鉄道の駅が置かれ、その苛酷な気候から Bagdad と命名された。
     ※1912年10月3日から、1914年11月8日まで、767日間、雨が降らなかったという米国記録を持つ。
      いかにも 「バグダッド」 の名にふさわしい町だ。むしろ、イラクのバグダッドのほうが年間に177ミリの雨が降るという。
   Amboy 「アンボイ」。人口20人以下という。アンボイ・クレーターがある。
   Chambless 「チャンブレス」。ゴーストタウン。
   Essex 「エセックス」。人口は2005年で89人。
   Fenner 「フェナー」。ゴーストタウン。
   Goffs 「ゴフス」。2009年1月の人口23人。
   ……………………………………………………
   ここで、 Route 66 は、ふたたび、 Interstate 40 と合流する。
   ……………………………………………………
   Needles 「ニードルズ」。人口4,830人。このあたりでバーストーの次に大きな町。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──────



〓どうだろう。 Route 66 は歴史的な遺物とは言いながら、 Interstate 40 からはずれてしまったクロンダイクからゴフスまでの区間に100人余のニンゲンしかいないのです。これからも住民は減るいっぽうでしょう。


   バグダッド・カフェというのは、そういうゴーストタウン銀座にある


という設定なんですね。


〓ところで、この映画を見ていて、このカフェの立地がヘンテコなことに気づかなかったでしょうか? つまり、


   店の正面に道路 (Route 66) が通っている。しかし、店の背後には、
   もっと交通量の多いハイウェイ (Interstate 40) があり、
   その向こうに鉄道 (アムトラック) が通っている


ということです。そもそも、


   Bagdad がゴーストタウンになったのは Interstate 40 から外れたから


だったハズです。

〓実際の 「バグダッド」 だったら、こういう位置関係はありえません。


〓実は、『バグダッド・カフェ』 が撮影されたのは、バーストーから程近い “ニューベリー・スプリングス” でした。



               ガソリンスタント               ガソリンスタント               ガソリンスタント



〓バグダッドが大きな町になり始めたのは19世紀末。近くで金鉱が発見されたためでした。1900~1910年のあいだは、金鉱を経営する 「オレンジ・ブロッサム・マイン」 the Orange Blossom Mine の城下町として繁栄し、電報局、郵便局、ホテル、図書館、軽食堂、レストラン、酒場、学校、さまざまな店舗が立ち並びました。


〓1918年 (大正7年) に大火 メラメラ があり、ほとんどの建物が焼失しました。町の凋落 (ちょうらく) が始まり、1923年に郵便局が、1937年に図書館が閉鎖。1930年代末には数棟の建物しか残っていなかった、と言います。


〓その後、1940、1950、1960年代までは、数件の家やガソリンスタンド、そして、この近所では人気のあった、



   げたにれの “日日是言語学”-original Bagdad Cafe

   アリス・ローレンスの “バグダッド・カフェ”
     Alice Lawrence's “Bagdad Café”

         コーヒー 遠くから見えるように、屋根に大きく “BAGDAD” と書いてあったらしい



が残っていました。この付近で、唯一、ジュークボックスとダンスフロアを持った店だったということです。


〓 1964年 (昭和39年)、 Interstate 40 が開通。バグダッド・カフェがいつ閉店になったのか、バグダッドがいつゴーストタウンになったのか、インターネットでもその記録は見つかりませんでした。



               ガソリンスタント               ガソリンスタント               ガソリンスタント



〓ということで、1980年代には、バグダッドで “バグダッド・カフェ” を映画にしようと思っても不可能だったんですね。町がない、人がいない、物資がない。


〓撮影が行われたのは、バグダッドからバーストーに向かって4つ目の町、ニューベリー・スプリングスでした。ロケに使われたのは 「サイドワインダー・カフェ」 the Sidewinder Cafe という実際に営業しているカフェでした。サイドワインダーとはガラガラヘビのことです。 side 横に wind くねりながら進むからです。


〓ニューベリー・スプリングスは、今でも、4000人の人口をかかえる、ゴーストタウンになることを免れた町です。その町で、 Route 66 に面したのがこのカフェでした。もっとも、映画で見るとおり、店の後ろは新道の Interstate 40 です。この店は旧道と新道に挟まれたハザマの土地に建っているんです。


〓『バグダッド・カフェ』 は、米国においても、ドイツ映画としては異例のヒットを記録しました。米国内の興行収益は $3,587,000 でした。この映画が米国で公開された 1987年は、円高・ドル安が進んだ時期で、1ドル=120円台にまでなっていました。125円で計算すると、


   4億4,837万円


となります。映画の製作費は $2,000,000 (2億5千万円) だったそうです。


〓まあ、メジャー映画に比べればケシ粒みたいハナシですけど……



               コーヒー               コーヒー               コーヒー



〓この映画がヒットしたあとで、 Sidewinder Cafe は名前を Bagdad Café と変えて営業しているようです。場所を知りたければ、Google Map で Bagdad Cafe と入力すればカンタンにわかります。オリジナルのカフェの場所も、サイドワインダー・カフェの場所もヒットします。

〓日本人でも、米国人でも、あの映画にヤラレたというヒトは多いようで、現在の Bagdad Café (映画に登場したのと、ほぼ同じカマエ) に行ってきました的なブログを書いているのを目にします。



               コーヒー               コーヒー               コーヒー



〓ペルシー・アドロン監督は、1980年代当時、奥さんのエレオノーレ Eleonore とともに、たびたび、米国中をクルマで旅していたそうです。


〓当時のインタビューでは、役者としてロサンゼルスで亡くなった伯父さんに関する映画 “Louis with a Star” を撮りたい、と話していたようで、彼がアメリカに惹かれたのも、亡き伯父さんの記憶のセイかもしれません。


〓 1985年 (昭和60年) のクリスマス、アドロン一家が、あの映画の舞台となったあたりをクルマで旅行している際に、地図に Bagdad という地名を見つけました。しかし、いくらその町を探しても見つからなかった。もちろん、すでに廃墟になっていたからです。

〓そのあとで、立ち寄った “サイドワインダー・カフェ” に、あの映画の絶好のセッティングを見出したのでした。


〓つまり、旅行者として、偶然、映画のタネを見つけてしまったんですね。



〓しかし、単なる偶然とも言えないのかもしれません。


〓生まれ故郷のドイツをあとにして、単身、ハリウッドに渡り、“アドロン公爵” を名乗りながら、短い生涯に30本の映画に端役として出て、名を成さずに終わってしまった伯父さんが、彼を呼び寄せたのかもしれないのですね。



   げたにれの “日日是言語学”-現在のバグダッドカフェ
   現在のバグダッド・カフェ





パンダ 「バグダッド・カフェ」 について、映画、全巻の終わりであります。