“正義の眉毛”。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   中野美奈子1



クローバー 先だって、10月8日の “ヘキサゴン” の番組終わりに、Pabo 『グリーンフラッシュ伝説』 を披露しました。今週の水曜日、22日に発売される


   “WE LOVEドキドキヘキサゴン”


に収録されている曲ですね。


クローバー ナンとも奇遇というか、偶然というか、この


   グリーンフラッシュ


というのは、アタクシが、9月8日に紹介した “緑の光線” のことです。エリック・ロメールの映画ですね。フランス映画です。 “緑の光線”、“Green Flash” は、フランス語で “le rayon vert” (ル・レヨン・ヴェール)。


クローバー この映画でも、「緑の光線」 は、“愛をかなえる伝説の光” として描かれているんです。


クローバー 『グリーンフラッシュ伝説』 の作詞は、“カシアス島田” こと島田紳助さんです。いったい、このネタをどこから引っぱってきたのかしらん。「グリーンフラッシュ」 は、比較的、“離島” において見られることが多い、というので、「石垣島」 で仕入れてきたハナシなのかもしれないですね。


クローバー この曲における、Pabo の3人の “キャンディーズ” をも超えんばかりのアイドルぶりは、クイズで珍答を連発しているのと同一人物とは思えません。



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   candies  キャンディーズが解散コンサートで着ていた衣裳。


クローバー とりわけ、“ユッキーナ” こと、木下優樹菜さんの、首をかしげて、



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   “連れてって!”



はスゴイですね。当人は、最近、実家に 「帰りずれぇ」 んだそうです。昔のヤンキー仲間と顔を合わせるのが気まずいらしい……



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  【 正義の眉毛 】



もみじ はい~、ここからは別のハナシです~ 


もみじ もう2ヶ月以上前の7月15日のハナシです。フジテレビで 「めざましテレビ大感謝祭」 という番組を放送しました。通勤・通学族のみなさんなら、フジテレビ、朝の 「めざましテレビ」 はご存じですね。それの特別バージョンをゴールデンタイムに放送したんです。


もみじ 大塚範一 (おおつか のりかず) さんが、横浜の赤レンガ倉庫から、フジテレビのあるお台場まで、100キロを自転車で走った、あれです。


もみじ 番組の中で、大塚さんの相方をつとめた歴代の女性キャスターのなつかしい映像が流れました。今のメインキャスター、高島彩アナウンサーは “めざまし” 初登場のとき、こんな感じでした。



   高島彩



もみじ そしてですね、高島アナウンサー不在のときは、メインをつとめる情報キャスターの “ナカミー” こと


   中野美奈子アナウンサーの “めざまし” 初登場


の映像も流れました。


もみじ そのとき、ちょっと 「あれれのれ」 と思ったんです。中野アナウンサー、今よりも、眉尻をホンの少し上げてます。




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   2002年の中野美奈子アナウンサー



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   今の中野美奈子アナウンサー




もみじ ビミョウに印象がちがうでしょ。眉尻をチョッとソリ気味にあげる眉毛って、1990年代の前半に流行ってたと記憶しています。


もみじ それというのも、ワタクシは 「加藤紀子さん」 のファンでして、ファンクラブにも入っておったんですが、「眉毛」 については、かなり印象的な記憶があるからなんです。


もみじ 加藤さんは 1991年 (平成3年) に “桜っ子クラブさくら組” ── 有名なところでは、井上晴美、菅野美穂、中條かな子、中谷美紀、持田真樹なども在籍した ── の一員としてデビューしたんですけど、今ひとつ鳴かず飛ばずでした。


もみじ 1994年 (平成6年) の春までに、“加藤紀子” 個人名義のCDを4枚出しています。デビューシングルは、森高千里さんの曲 『今度私どこか連れていって下さいよ』 で、レコード大賞新人賞を獲っているんですが、それでもあまり売れなかったようです。


もみじ 1994年9月 “桜っ子クラブさくら組” が解散になって、そのあと、彼女は、当時、全盛時代を迎えつつあった 「マジカル頭脳パワー」 にちょくちょく出るようになるんです。初出演は 1994年11月。そこで、いわゆる、


   天然ボケ


で、徐々に注目されるようになりました。


もみじ 約1年後の 1995年10月からは、千堂あきほさんと入れ換わりにレギュラーに昇格。このころには、いわゆる “バラエティ・アイドル” としてかなりの人気を集めるようになっていました。


もみじ 同じ時期の 10月10日には、1年以上もリリースの止まっていた新しいシングルCDを発売し、翌年5月にはアルバム (セカンド) もリリースしています。


もみじ CDの売れ行きは、飛ぶようにとは行かないまでも、オリコン・チャートの前半分に顔を出すようになりました。

もみじ 彼女自身には不本意としても、バラエティ・アイドルとしてブレイクしたんですね。





もみじ たぶん、ファンじゃなかったヒトたちには、まったく知られていないと思うんですが、ブレイク前と、ブレイク後では、加藤さんの眉のメイクはまったくちがうんです。




   加藤紀子1
   ブレイク前の加藤紀子さん



   加藤紀子3
   ブレイク後の加藤紀子さん




もみじ どうですか。女性は、眉1つでこんなに表情が変わるんですね。


もみじ 1980年代後半から1990年代初頭までの “バブル景気” のころは太眉が流行ってました。1991年にリリースされた森高千里さんの “ザ・森高” のジャケ写真を見ると、まだ、彼女は太眉です。


もみじ 1990年代に入り、“バブル景気” の崩壊があきらかになり始めるとともに、女性たちの眉毛が、少しずつ細くなっていったような気がします。当時の歌手やアイドルの写真をたどってみると、それぞれに個人差はありますが、少しずつ、眉が細くなってゆくようです。


もみじ 加藤紀子さんの場合は、1993年 (平成5年) 10月刊行の写真集 “storm” では、まだ、太眉です。しかし、その1年後の 1994年10月刊行の “Pure” (ピュール) では、その後の “眉尻をあげた眉毛” への中間的な、ややシャープな眉になっています。



   加藤紀子2

   写真集 “Pure” の表紙の写真。



もみじ この時代、少しずつ、眉の形を細めに、シャープに変化させていったのは、加藤さんだけではありません。全体的な傾向でした。


もみじ “ラビー” こと、関根勤 師匠は、深夜のTBSラジオ “コサキン” で、いい年をして、年がら年じゅう、アイドルのハナシをしているので、ワタクシは、とても尊敬しておるんですが、加藤紀子さんがブレイクした当時、


   「彼女の眉毛が好き。昔のハリウッド女優みたいで。正義の眉毛」


なんてことを言っていました。加藤さんの1995年の眉毛を言ってるんですね。昔のハリウッド女優みたい、というのは、おそらく、往年のグレタ・ガルボ Greta Garbo のような細眉を、漠然と思い浮かべていたんでしょう。



   グレタ・ガルボ


もみじ 1995年 (平成7年) は、安室奈美恵さんが avex に移籍した年で、この年の秋から 「小室哲哉プロデュース体制」 に入ります。そして、1996年に “アムラー” が流行るんですね。
もみじ 今度は、極端に細い眉です。しかし、安室さんの細眉は、眉尻をあげるタイプではありませんでした。



   安室奈美恵




〓でね、ちょっとフシギだったんですよ。2002年の中野美奈子アナウンサーは、どうして、若干 “正義の眉毛” だったんだろうって。


〓アムラーが流行った後も、“眉尻きゅっと派” がいなくなったわけではない、のは確かだと思います。実は、加藤紀子さんは、今でもずっと、“眉尻きゅっと派” です。

〓それに、ずっと “眉尻きゅっと派” を続けている代表選手としては、他に、田中麗奈 (れな) さんがいますし、内山理名 (りな) さんも、ワリと “眉尻きゅっと” です。



   田中麗奈
    田中麗奈さんは、ずっと “眉尻きゅっと派”



   内山理名

    内山理名さんは、時期によって若干ちがうようですが、ワリと “眉尻きゅっと派” です。





〓中野美奈子アナウンサーは、ご存じのとおり、今では、“眉尻きゅっと派” ではありません。


   「造反きゅっと派」


に鞍替えをしたんですね。その理由はナンだったのかな~。



〓とまあ、それだけのハナシです。“造反有理” ── さて、その理とは……