「日本語」 で数えやう。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓今日は、昨日に続きまして、実際、昔の日本人が、どのように数詞を使ったのか、実例を拾ってみました。面白いことに、歌集の序文なんというのは、数のことをいろいろ書かざるを得ないようで、貴重な例がたくさん出てきますよ。

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このほか、大納言公任朝臣 (だいなごん きんとう あそん)みそぢあまり六つの歌人 (うたびと) を抜き出でて、かれが妙なる歌、もゝちあまりいそぢを書き出だし、又、十あまり五つ番ひ (つがい) の歌を合せて、世に伝へたり。

                                        『後拾遺和歌抄』 (和歌集) “序” 1086年
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〓面白いのは、「歌人」 という “人” を数えるのに 「つ」 を使っていることです。

   「みそぢ余り六つ」 の歌人 36人の歌人


〓「三十ぢ余り六つ」 は “36” ですね。また、

   「とを余り五つ」 つがい  15組

という言い方も興味深いです。「つがい」 は古くは “動物” に限らず、対になっているものを全て指すことができました。今なら、“15組” と言うところですね。「つがい」 を使ったとしても “15つがい” です。平安時代は、今で言う 「助数詞」 (じょすうし) を必ずしも使うとは限りません。

〓今では常識とされているような 「助数詞」 の体系は、まだ、形成過程にありました。たとえば、

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【 枚 】 [ マイ ]

白き唐の紙四五まいばかりをまきつづけて、すみつきなどみ所 (みどころ) あり。
                                        『源氏物語』 須磨 1001~14年ころ
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〓『源氏物語』 で初めて出てきたんですね。ただ、和語の 「ひら」 となると、古くから見えます。

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【 片 】 [ ひら ]
(しくま) の皮七十枚 (ななそひら) を献る。

                                        『日本書紀』 斉明四年是歳 720年
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〓「しくま」 もしくは 「しぐま」 は、「ヒグマ」 の古い言い方です。と言うより、「ヒグマ」 という言い方が登場したのは 18世紀終わり、もう、19世紀に入るころです。もうすぐ、江戸も終わるというころですね。
〓ここには、「ななそひら」 という助数詞を使った言い方が出てきます。

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【 匹 】 [ ひき ]
御馬四十疋 (おんうま よそひき)
、左右の馬寮 (うまつかさ)、六衛府 (ろくえふ) の官人 (つかさびと)、上より次々に牽きととのふるほど、日暮れ果てぬ。

                                        『源氏物語』 若菜上 1001~14年ごろ
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〓助数詞としての 「匹」 の初出も 『源氏物語』 です。しかも、お馬が “40ピキ” ということです。今の常識と違いますね。じゃあ、「頭」 (とう) を使うようになったのは、もっと遅いんじゃないか、という感じがしますが、そうじゃない、「犬・牛・馬・鹿」 などを勘定する 「頭」 は 「匹」 より早い10世紀から使われています。どういうことか。
〓古い時代の日本語では、「漢文」 と 「和文」 で使う助数詞を分ける傾向がありました。つまり、

   漢文で 「マイ」/和文で 「ひら」
   漢文で 「トウ」/和文で 「ひき」

ということです。「ヒキ」 も、もともとは漢字音なんですが、布などを測る単位として早くから定着していたので、“訓読み” 同然と考えられていたんです。


〓オヨヨ。なんか、ものすごく複雑なコースで道草を食っちまった……


〓上の 『後拾遺和歌抄』 (和歌集) の序文のクダリで注目したい用例は、

   妙なる歌、もゝちあまりいそぢを書き出だし

です。「すばらしいデキの歌を、150首、抜き書きした」 と言ってるんですね。

   「ももち余りいそぢ」 150首

ですね。これで、150の言い方がわかりました。
〓しかしですね、今までは、数の要素が2つで成り立っているものばかりでしたよね。大きな数字なら、3つ、4つと要素が増えるハズです。全部の要素のあいだに 「余り」 を入れるんでしょうか。

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すがた秋の月のほがらかに、ことば春の花のにほひあるをば、 (ち) うた二 (ふた) もゝち十 (とお) あまり八つを撰びてはたまきとせり。名づけて後拾遺和歌抄 (ごしゅういわかしょう) といふ。

                                        『後拾遺和歌抄』 (和歌集) “序” 1086年
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〓今度も 『後拾遺和歌抄』 (和歌集) の序文からです。

   「千 (ち) うた二 (ふた) ももち十 (とお) 余り八つ」 1,218首

〓実際、『後拾遺和歌抄』 に納められている歌は、1,218首です。この数字の言い方から2つのことがわかります。まず、

   「余り」 は、最後の2つの数詞のあいだに入れる

〓これを覚えておくと、100以上の数が言えますね。それとですね、問題は、

   「千」 (ち) = 1,000

です。もともと 「千」 にも、“はたち”、“ももち” 同様 「ち」 が付いていたらしいんですね。それが、意味を変えてしまった。

   「千ち」 → 「千々」 (ちぢ)

〓「心は千々に乱れ」 なんぞと言うときの 「千々」 です。“ひじょうにたくさん” の意味です。おそらく、そのため、「千」 (ち) は定型の助数詞 「ち」 を失ってしまったようで、千を超える数字を言うときは、「千」 のあとに 「具体的な助数詞」 を入れる必要が生まれたんですね。それで、千の位が 「千歌」 (ちうた) で始まるのです。
〓そのあとに、何気なく、

   「はたまき」 二十巻 20巻

が出てきます。今、「ニジュッカン」 と言うところは、この時代、「はたまき」 と言ったんですね。

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丙午 (ひのえうま) に境部連石積 (さかいべの むらじ いわつみ) 等に命して更に肇めて新字 (にいな) 一部 (ひととも) 四十四巻(よそあまりよまき) を造ら俾 (し)

                                        『日本書紀』 天武11年3月 720年
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〓「新字」 (にいな) というは、「辞書」 のことですね。「ひととも」 の “とも” は、「共」 のことで、“ひとそろい” で44巻と言っているわけです。

   「よそ余りよまき」 44巻

「よそぢ余りよまき」 でないところが注目点ですね。『日本書紀』 のころから、先行する数詞の 「ち」 を省く例があったらしい。
〓ふたたび、『後拾遺和歌抄』 の序に戻ります。

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天暦の末より今日にいたるまで、世は十つぎあまり一つぎ、年は百とせあまりみそぢになん過ぎにける。住吉の松 (すみよしのまつ) 久しく、あらたまの年も過ぎて、浜のまさごの数知らぬまで、家々 (いえいえ) の言の葉 (ことのは) 多く積りにけり。

                                        『後拾遺和歌抄』 (和歌集) “序” 1086年
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   「とつぎ余りひとつぎ」 11世代

〓これまた、面白い用例です。助数詞をくり返すタイプですね。「つぎ」 は “月” ではありませんよ。漢字を宛てるなら “継” です。つまり、「11世代が過ぎた」 と言ってるんですね。

   「ももとせ余りみそぢ」 130年

〓これまた、「助数詞+“ち”」 というタイプです。「ももとせ余りみそとせ」 と言っても通じたハズだし、まちがいではないと思います。おそらく、どのような言い方を選ぶのかは、“リズム” なんでしょう。文体のセンスですね。
〓「とせ」 は “歳・年” という漢字が宛てられます。年数を勘定する助数詞ですね。今の 「年 ネン」 に当たります。

〓これまでは出てきませんでしたが、「あまり」 の略形に 「まり」 という言い方も見えます。

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七つぎの御代にまわへる百箇 (ももち) 万利 (まり)の翁 (おきな) の舞たてまつる。

                                   『続日本後紀』 (しょくにほんこうき) 承和12年正月乙卯 845年
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   「ももちマリとを」 の翁 110歳のおじいさん

〓すごいですね。尾張浜主 (おわりのはまぬし) という、奈良時代から平安時代初期にかけて活躍した “楽人” です。112歳まで生きたという。これは、「ももち余りとお」 と言ってもよいハズです。
〓この 845年の例が初出なので、9世紀の半ばから、「あまり」 の “あ” が落ちることがあった、ということですね。

〓ここに見えるように、年齢は 「~ち、~つ」 で言いあらわしました。主として漢文では、「~歳」 (さい) も9世紀の初めごろから使われています。

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天皇、年五十七歳 (いそち あまり ななつ)

                                        『日本書紀』 継体即位前 720年
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〓天皇の年齢が、「ごじゅうと ななつ」 というのはケッタイな響きですが、このころは、まだ、「歳」 という助数詞がないんですね。


〓どうでしたでしょうか。今日は、脈絡もなく、古代の日本語の数詞の言い方の例を見てみました。「今年は 2008年」 は、ナンと言えばいいでしょう。残念ながら、2000から先の言い方は見つかりませんでした。たぶん、そんな数字を言う必要のない時代だったんでしょう。勝手に 「ふたち」 という数詞をつくって言ってみましょうか。

   人だね、年を経 (ふ) ること “ふたちとせ余りやとせ” になりにけり