「はたち」 について | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓ええっと、「二十歳のみなさん」 ね。うらやましいです。金や地位のあるなし、なんてのは、ニンゲンの “動的” な特性であります。しかし、年齢っつうモンは、そうはいかない。どこをどうあがいたって、若いほうの勝ちなのですよ。
〓「いや、そうではない」 という哲学的なことを言い出すゴジンもいるかもしれない。しかし、そういうヘリクツは、「そうではない」 と思いたいヒトがひねり出すもんですね。
〓コンピューターのフォントだって 「大」 になってまさあね。「小」 はムリですけんね。紙に印刷された辞書なんてのは、文字の大きさが変わりません。ええ、いちいちメガネをはずすのもテーヘンでげす。


〓ええっと、「二十歳」 をどう読むか。

   正しいのは 「にじゅっさい」 じゃなくて 「にじっさい」
   なんてクダラナイ論議は、ゴヨウ学者にまかせておきましょう


〓そうですね。「はたち」 と読むことがありますね。

   「二十歳」 は “はたち” と読むんだぞ!

なんぞと、別にエバッテ言うほどのことじゃござんせん。ただの 「宛て字」 (あてじ) です。
〓んぢゃあ 「はたち」 って何だ? ってことでさあね。

   ――――――――――――――――――――――――
   「指 (および) をかがめて、十 (とを)、はた、
   
みそ、よそ、など数(かざ)ふるさま」
                                『源氏物語』 空蟬 1001~14年ごろ
   ――――――――――――――――――――――――


〓「指を折って、十、二十、三十、四十、というように数えるようす」 ということですね。そうです。日本人が、中国語の影響で 20を 「ニジュー」 と数えるようになるまでは、「はた」 と数えていたんですよ。
〓いろいろな説があるでしょうが、

   「とを」 towo
   「(は)た」 ta
   「(み・よ・い)そ」 so

という towo, ta, so は、もとは同じものだった、と考えるほうが自然じゃないかしら。
〓日本語で、語中の t 音が s 音化する例は、さほど多くなく、

   ぐ → ふ (塞ぐ)
    → け (消す)

が目立つところでしょうか。「けつ」→「けす」 の変化は、初出年の比較により間違いないことがわかりますが、

   「ふたぐ」 830年ごろ
   「ふさぐ」 720年

という “初出年” の逆転はアタマの痛いところです。もっとも、上代において、すでに、「ふたぐ」 を使うことが稀になっていた、という説明もできるし、たまたま、古い使用例が伝わっていないだけだ、と主張することもできるでしょう。

〓実際、語頭における t のような破裂音は、むしろ、“声立て” になって有用なのですが、語中の閉鎖音は、「数を数えるような場合」 にジャマになるのは確かです。

   mito → miso
   yoto → yoso

という、まあ、音便ですね。20以降の “日本語本来” の数え方を示してみましょうか。



   20 はた
   30 みそ
   40 よそ
   50 いそ    
※奇妙だが、古くは、単に 「い」 と言った。
   60 むそ
   70 ななそ
   80 やそ
   90 ここのそ



「むそ」、「ななそ」、「ここのそ」 あたりは聞いたことがないでしょう。他は、固有名詞でそれとなく現代まで伝わっていますね。

   山本五十六 やまもと いそろく
   西条八十  さいじょう やそ
   小錦八十吉 こにしき やそきち


〓その先も行ってみましょうか。



   100 もも
   200 ふたもも
   300 *みもも
   400 よもも、よほ (よお)
   500 いほ (いお)、いつほ (いつお)
   600 むほ (むお)、むもも
   700 *ななほ (ななお)
   800 やほ (やお)
   900 ここのほ (ここのお)
 

             ※ ( ) 内は 「現代語音」。



〓百の位については、300 と 700 の用例が見つかっていないようです* を付けたのは推定形という意味です。「~もも」 と 「~ほ」 が混在していますね。400を境として入れ替わるという感じでしょう。こちらも、よく聞くものとそうでないものがあります。

   五百頭真    いおきべ まこと
   八百屋、八百善 やおや、やおぜん
   八百万の神    やおよろずのかみ




〓っとっと、そういう主旨ではなかった。

〓「はたち」 ですね。


〓「は」 は、「ふた」 の変音したものかもしれないですね。古くは、

   「ふた・と・ち」

という語形だったかもしれない。「たと」 が 「た」 に縮まると、

   「ふたち」

〓語源がわからなくなると、後ろの ta の影響で、pu → pa と変化する。

   「はたち」

〓もっとも、これについて証拠として挙げられるものはナニもありません。



〓「はたち」 の 「はた」 を 「果て」 の母音交替形とする説があります。つまり、両手、両足の指を全部使うと、20が最高である。なので、

   20が “果て” の数

ということです。しかし、両手、両足を使う文化は、たとえば、現代フランス語あるいはブルトン語にその痕跡を残すケルト人の場合がそうですが、

   数の体系も20進法になるはず

なのですね。日本語に 20進法の痕跡は見出せません。どう見ても 10進法でしょう。

〓ところで、「ち」 というのはナンでしょう。これはですね、「ひとつ」~「ここのつ」 の “つ” に対応する、20以上の数詞に付く 「接尾辞」 なのです。漢字では、「箇・個」 が宛てられてきました。

   20個  「はたち」
   30個  「みそち、みそぢ」
     
   90個  「ここのそぢ」
   100個 「ももち」

   200個 「ふたももち」
     
   900個 「*ここのほぢ」


というふうに勘定するんですね。
〓後世になるほど 「ち」 が 「ぢ」 と濁ることが多くなります。現代語では 「じ」 と発音するのが普通で、「路」 を宛てられるようになってしまいました。

   「三十路」 みそじ
   「四十路」 よそじ
   「五十路」 いそじ
   「六十路」 むそじ
   「七十路」 ななそじ
   「八十路」 やそじ
   「九十路」 ここのそじ


〓これらのコトバは、本来、「30」、「40」~「90」 というジャストの数字を言うものでしたが、「路」 を宛てられたことで、

   30~39歳 = 三十路

というような誤解が生まれ、現在に至っています。「はたち」 は 「二十路」 と書かれなかったため、現代語でも 「はたち=20歳」 のままの語義が残りました。

〓「みそち」 を “30” の意味で使っている例を見ていただきやしょう。

   ――――――――――――――――――――――――――――――
   「みそ余り 二つの相 (かたち) 八十種 (やそくさ)

   具足 (そだれ) る人の 踏みし跡 (あと) どころ 稀 (まれ) にもあるかも」
                                          『仏足石歌』 753年ごろ

   「三十二相八十種好 (さんじゅうにそう はちじっしゅこう) と
   十分にそなえた人の踏んだ足跡とは稀少であるなあ」
   ――――――――――――――――――――――――――――――

   【 原文 】

   弥蘇知阿麻利 布多都乃加多知 夜蘇久佐等
   曾太礼留比止乃 布美志阿止止己呂 麻礼尓母阿留可毛
   ――――――――――――――――――――――――――――――


「仏足石歌」 (ぶっそくせきか) は和歌の形式のひとつです。「仏足石」 (ぶっそくせき) は、初期のインドの仏教で、ブッダの死後、偶像崇拝を避けながらもブッダを偲ぶヨスガとしたもので、すなわち、ブッダの足跡を石に刻んだものを言います。「仏足石歌」 は、その脇の歌碑などに刻まれるものです。
〓「そだる」 (具足る) は “そなわっている” の意。

   「みそち余り二つの相 (かたち) 八十種 (やそくさ)」

とこれで1つのコトバですね。現在では、

   三十二相 八十種好
     さんじゅうにそう はちじっしゅこう

と言います。これは、仏像、仏画を制作するときの基準ともなるもので、

   ブッダの体には、32個の大きな特徴と、
   80個の細かい特徴があった


と言うんですね。「みそち余り二つの相 八十種とそだれる」 というのは、遠回しにブッダを言っているワケです。
〓この

   三十二
   八十種
 

を略して、

   「相好」 (そうごう)

と言いました。「相好をくずす」 などと言うときの “相好” ですね。仏教用語から転じて、「顔の表情」 を言い表すようになりました。

〓ところでですね、

   みそち あまり ふたつ

という言い方ですね。これナンだと思います? 古い時代の “和語による勘定の仕方” なんです。すなわち、



   10  とを
   11  とを あまり ひとつ
   12  とを あまり ふたつ
   
   19  とを あまり ここのつ
   20  はたち
   21  はたち あまり ひとつ
   22  はたち あまり ふたつ
   
 
   29  はたち あまり ここのつ
   30  みそち
   31  みそち あまり ひとつ
   
   40  よそち
   41  よそち あまり ひとつ
   
   99  ここのそぢ あまり ここのつ
   100  ももち
   101  ももち あまり ひとつ


となってゆくわけです。
〓万事このとおりで、単位が 「ち・つ」 でない場合は、次のようになります。

   ――――――――――――――――――――
   「それの年のしはすの二十日あまり
   
ひとひの戌の時に、門出す」
                  『土左日記』 承平4年12月21日 934年
   ――――――――――――――――――――

〓日付からもわかるように、

   21日 = 「はつか あまり ひとひ」

となっています。「ついたち」 は “月の第一日” の呼び名であるので、ここでは 「ひとひ」 という日にちを勘定する言い方が使われているんですね。
〓「日にち」 を勘定するときは、「ひとひ」、「ふたひ」 という言い方が使われます。ただし、「みっか」 から先は “日の呼び名” と同じになるようです。つまり、「みひ」、「よひ」、「いひ」 という語形はない。



〓これを読みながら 「三十一文字」 (みそひともじ) というコトバを思い出していたヒトもいるかもしれません。

   「あれは、“あまり” を使ってないぞ!」

と疑念を抱かれるかもしれない。しかし、このコトバが、日本語本来の数の数え方について、その 「数え方の変遷」 を知るのにちょうどよいコトバなのです。“三十一文字” というのは、「和歌の短歌」 を指す風雅なコトバです。

   みそもじ あまり ひともじ 「三十文字余り一文字」
       905~914年 『古今和歌集』 初出 (平安時代)
      
   みそぢ あまり ひともじ 「三十箇余り一文字」
       1204年 『百詠和歌』 初出 (鎌倉時代)
       
   みそじ あまり ひともじ 「三十字余り一文字」
       ※「ぢ」 と 「じ」 の発音が同じになったため解釈違いが起こる
       
   みそひともじ 「三十一文字」
       1814~42年 『南総里見八犬伝』 初出 (江戸時代末期)

〓「あまり」 が消えたのは、江戸時代であろうと言います。普通に数を数える場合には、もっと早くから、「あまり」 が省略されていたかもしれません。



〓今日は、「二十歳」 というコトバから、いろいろ考えてみました。今日あたりですね、風呂に入ったら、遠く昔の日本人になった気分で、「とお余りひとつ」、「とお余りふたつ」 と 「ももち」 まで数えてみてはどうでがしょう。