ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ) -5ページ目

ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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桃園神社の入り口(桃園県忠烈祠)(台湾桃園)

神馬を前日に登場させてしまったのですが 正面玄関に戻って桃園県忠烈祠の入り口へ



桃園県忠烈祠の石碑があるわけですが「桃園」の文字だけ新しい
何故だろう?

桃園神社
戦後、桃園神社は新竹県忠烈祠に改称した(当時はまだ桃園県はなかった)。1950年に桃園県忠烈祠となった。


桃園神社→新竹県忠烈祠→桃園県忠烈祠ってことで この部分だけやり変えた跡だったわけですね。結構器用なことができるようだ。
しかし なんと言ってもこの石碑 日本スタイルで 表の字体もなんとなく日本時代のものを引き継いでいるような気がして 裏にまわり痕跡を探す



「中華民国三十五年六月十七日建立」とある
民国35年は1946年だから戦後の日付となる
桃園神社は1935年(昭和10年)に創建が決まり、1938年(昭和13年)6月10日に落成

どうせなら6月10日にしてもらいたかったが やはり字体からして この文字の一部を書き換えたのかな?石碑そのものは日本時代のじゃないかな?


「奉獻(奉献)」の文字 狛犬とか灯篭が持っていたのであろうか 


昭和十三年六月吉日(九月?)の文字が お約束通り昭和の文字は削られている


参道を進むことにする。


以上
2009/9/22(火) 投稿
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桃園神社の神馬(桃園県忠烈祠)(台湾桃園)


馬総統とは遭遇したくもないが過去に2度もまじかで目撃 このおっさんがどれだけでしゃばりかよく分かるなんて話はどうでもよく 神馬に会いたくて桃園神社跡に(現桃園県忠烈祠)へ



銅という金属 優れた素材ですねって思います。




お尻で失礼 一応四方から撮影することにしています。


戦後のお約束で神社の紋(紋って言うのかな?)は中途半端に消されています


左右の口が 両方開いているので日本時代の狛犬じゃなくて 戦後忠烈祠に据えられた唐獅子かな?って思います。
桃園神社
桃園神社(とうえんじんじゃ)は、日本統治時代の台湾新竹州桃園郡桃園街大檜渓(現・桃園県桃園市)にあった神社である。現在は桃園県忠烈祠となっている。日本統治時代の外地の神社では珍しく当時の社殿がそのまま残されており、台湾の国家三級古蹟に指定されている。・・・・・・・


以上
2009/9/21(月) 投稿
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桃園駅


台湾の桃園駅 なんてことないです。(小技で専属モデル写ってます)


桃園駅のロータリーにある 禿の銅像 撤去したい。

以上
2009/9/18(金) 投稿
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慈湖紀念雕塑公園(蒋介石銅像)(台湾大渓)


蒋介石御陵に付設された蒋介石の銅像を集めた公園 もともと台湾全土に建てられた蒋介石の銅像が 何らかの理由でここに移設されたもの 学校などもとにあった場所の履歴がプレートされていた。蒋介石がイッパイ



台湾の民主化と本島化の成果としてこれからも 蒋介石の神格化のために全土に建てられた銅像は徐々に撤去され ここに集められていくことになるだろう 蒋介石の御陵付設の公園であることから まさに銅像の墓場。肝試しするならもってこいの場所かもしれない 銅像の数以上に台湾は地獄をみたのだ。



以上
2007/2/17(土) 投稿
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蒋介石御陵(台湾大渓)



「蒋介石御陵から憲兵隊撤退」ということで話題になったその墓というか棺、湖は慈湖



蒋介石の墓の前にある韓国人から送られた碑、中華民国も戦勝国ということで 蒋介石に韓国独立の恩があるとした歴史のひとつ 今となって そう思う韓国人がいるかどうか?大韓民国臨時政府も大韓民国光復軍司令部も一応 中華民国内にあったということ。



以上
2007/2/16(金) 投稿
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