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桃園神社の入り口(桃園県忠烈祠)(台湾桃園)
神馬を前日に登場させてしまったのですが 正面玄関に戻って桃園県忠烈祠の入り口へ

桃園県忠烈祠の石碑があるわけですが「桃園」の文字だけ新しい
何故だろう?
桃園神社
戦後、桃園神社は新竹県忠烈祠に改称した(当時はまだ桃園県はなかった)。1950年に桃園県忠烈祠となった。
桃園神社→新竹県忠烈祠→桃園県忠烈祠ってことで この部分だけやり変えた跡だったわけですね。結構器用なことができるようだ。
しかし なんと言ってもこの石碑 日本スタイルで 表の字体もなんとなく日本時代のものを引き継いでいるような気がして 裏にまわり痕跡を探す

「中華民国三十五年六月十七日建立」とある
民国35年は1946年だから戦後の日付となる
桃園神社は1935年(昭和10年)に創建が決まり、1938年(昭和13年)6月10日に落成
どうせなら6月10日にしてもらいたかったが やはり字体からして この文字の一部を書き換えたのかな?石碑そのものは日本時代のじゃないかな?

「奉獻(奉献)」の文字 狛犬とか灯篭が持っていたのであろうか

昭和十三年六月吉日(九月?)の文字が お約束通り昭和の文字は削られている

参道を進むことにする。
以上
2009/9/22(火) 投稿

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