風の新竹へちょこっと2 新竹駅(台湾新竹) | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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風の新竹へちょこっと2 新竹駅(台湾新竹)

雨の降る中在来線で新竹に向かうも 着いたら晴れ~
奥さんのお友達が迎えに来るまで 私はとりあえず大目的の新竹駅を撮影


新竹は台北から車で2時間のエリアである為 新竹には列車で来たことはなかったし 台湾のシリコンバレー新竹科学園区もここからは離れているので この周辺は顧客はほとんどいないので台湾駐在時には 遠くから駅舎をみた程度だったのでま近かでみて感激


現存する日本統治時代の駅舎の中では 台中駅も立派だけれど やはりこの駅舎が一番じゃないだろうか




台湾鉄路管理局のHPで駅の沿革を紹介すると
台湾鉄路管理局のHP
清光緒十二(1886)年,台灣巡撫劉銘傳,鑒於島內交通不便及鐵路對國防與經濟發展之重要,奏准清廷興建台北至新竹間鐵路,遂於光緒十三(1887)年開始動工,光緒十九年(1893年)完工通車,同年11月開始營業,當時每日行車次數僅有6次,旅客人數每日平均約400人。位於今憲兵隊附近(公園里東大路邊)的新竹火車站票房是最早的新竹站,日本據台之初曾因戰時而暫停營業,到光緒卄二年(1896年)7月5日恢復通車,站址遷移至今東大路與鐵道交叉處北側,亦即今日的貨運站附近,日據時代稱之為『新竹驛』,站房面積僅44坪,十分簡陋,但卻仍是台灣鐵路的大站。

現有站房完成於大正二年(1913 年)3月31日,是台灣西部縱貫線上現存日治時代『長老級』的火車站,由日人松口崎萬長設計,和台灣總督府、台北新公園內博物館都屬於同期的巴洛克式風格的西式建築,外觀上最大的特色是有座兩段式傾斜度大的屋頂,搭配一座?力甲式有四個方向的鐘塔及比例修長的拱圈門廊,內部有文藝復興時代的浮雕裝飾,造型優美典雅兼具歷史與藝術價值,是新竹市的地標及特殊的都市景觀,也是台灣近代交通的重要見證;87年3月5日經「台灣省古蹟評鑑審議會議」決議列為二級古蹟,復於87年6月23日經省府公告指定為省定古蹟,範圍包含車站本體及與車站本體同寬之第一月台。

昭和三年(1928年)增建右側?甓公室,二次大戰期間曾遭盟軍轟炸部分毀損,民國38年初才整建完成。
民國55年為因應本線、支線貨運量激增與調車業務日趨繁忙暨配合台灣肥料公司新竹場擴建後之運輸需要,擴建貨運站;民國58年6月完成起用,客貨運業務正式分開,以迄於今。
本站於民國87年由內政部列為二級古蹟,於民國89年10月12日鑒於站房老舊,年久失修,由內政部編列預算,新竹市政府發包整修,於民國90年11月30日竣工。


駅舎の中は人が一杯 やはり100年経っても 現役でいることが建物にとっては良いことなのだろう 中もきれいで窓の良いデザインから取り込む光がよい

日本統治前にも台湾には鉄道があって最初に結ばれたのがここ新竹
設計は「松口崎萬長設計」となっていますが『松崎萬長』の間違い 完成は1913年。現在「二級古蹟」に指定されている。
松崎萬長さんをWikipediaで調べると
松崎萬長Wikipedia
安政5年10月、孝明天皇の侍従長堤哲長の次男として京都・二階町に生まれる。甘露寺勝長の養子。幼名は延麿。

孝明天皇の稚児だったため、慶応3年(1867年)10月、孝明天皇の遺詔により、堂上公卿に列した(孝明天皇の子どもだったという噂もある)。同年11月、松崎姓を称し、明治2年(1869年)30石3人扶持を賜った。

明治4年(1871年)12月、岩倉使節団に加わり、ドイツ(当時のプロイセン)に渡り、明治16年(1883年)から2年間エンデのもと、ベルリン工科大学で建築学を学んだ。明治17年(1884年)7月、男爵を賜り、同年12月、帰国。

明治18年(1885年)4月に皇居造営事務局御用掛、明治19年(1886年)に内閣臨時建築局工事部長として官庁集中計画に携わり、留学の経験を生かし、ドイツから建築家のエンデとベックマンを招聘するとともに、職人たちのドイツ留学を手助けした。

明治19年(1886年)3月15日、辰野金吾、河合浩蔵、妻木頼黄とともに造家学会(のちの日本建築学会)の創立委員となり、設立に貢献した。なお、造家学会創立委員会は、同年3月20日に松崎邸で開催された。

明治26年(1893年)3月、裁判所から資産分散の宣告を受け、明治29年(1896年)10月、爵位を返上した。爵位の返上は経済的な理由と考えられる。

明治34年(1901年)5月に仙台に転居し、仙台の七十七銀行本店の設計などにもあたった。
旧青木家那須別邸
基隆駅
新竹駅
台湾総督府交通局鉄道部

明治40年(1907年)、台湾総督府鉄道局に勤務するため、日本を離れ、基隆駅や新竹駅などの建築にあたった。大正10年(1921年)2月3日、東京で死去。

ニ男三女の子女あり。

* 旧青木家那須別邸(1888年、栃木県那須塩原市、国の重要文化財)
o 青木周蔵の別荘。日本国内に現存する唯一の作品である。
* 七十七銀行本店(1903年、現存しない)
* 台北西門市場(1908年)
* 基隆駅(1912年、現存しない)
* 新竹駅(1913年)
* 台湾総督府交通局鉄道部(1917年、台北市)
* 台中公会堂(1918年)

現存する 台北西門市場(現紅樓劇場)とか台湾総督府交通局鉄道部をみると 屋根に▲の塊があって 同じ人のなんだー 個人の特徴がでてるのかなーと こんな感じで建物と設計者を眺めてみるのも面白い

以上
2009/10/15(木) 投稿
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