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台湾の戦地追軍売春婦問題(所謂「従軍慰安婦」問題)のいい加減さ
日韓合意で慰安婦問題が台湾に飛び火して拡大するだろうと予測される中
日本統治時代開校の女子高、元慰安婦に卒業証書を授与へ/台湾昨年の暮れにこんな報道があった。
台南 30日 中央社)日本統治時代の1917(大正6)年に創立された「台南高等女学校」を起源とする台南女子高校はこのほど、元慰安婦の鄭陳桃さんに卒業証書を授与することを決めた。
同校への登校中に日本人に捕まり、海外で慰安婦にさせられたという鄭陳さん。「日本の謝罪」のほかに、「卒業」を一生の願いとしていたことから、フェイスブックでは学校側に卒業証書授与を求める活動が起き、30日までに1万人以上の支持を集めていた。
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同校への登校中に日本人に捕まり、海外で慰安婦にさせられたという鄭陳さん。「日本の謝罪」のほかに、「卒業」を一生の願いとしていたことから、フェイスブックでは学校側に卒業証書授与を求める活動が起き、30日までに1万人以上の支持を集めていた。
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ここに出てくる 生きている最高齢の自称「従軍慰安婦」鄭陳桃というひとで 以前このブログでもこの人を取り上げたので 過去記事を紹介
過去記事「台湾人の所謂元『慰安婦』が来日 政治家の妄言に抗議に思うこと」リンク
日本共産党の赤旗サイトより引用
【日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。ジープは学校の前を通り抜けました。着いた先は小さな旅館。「魏」という姓の夫婦に引き渡されました。ほかに二十余人の若い女性がいました。 翌日、高雄のふ頭から「アサヒマル」という軍艦でインド洋のアンダマン島へ。一年二カ月後には、サイパン島へ連行されました。鄭さんも妊娠しました。】
なんだ インドといってもビルマの南のベンガル湾に浮かぶこの諸島のことかと とりあえず現在はインド領だし間違いはないので 記事の不親切を怒る。
もうひとつの疑問『18歳の時、登校途中』の部分 当時の進学状況を考え この手の商売に身を落とす家庭の場合 まず学校に行ったといっても国民学校すなわち小学生通いがいいところだろうから えらく歳を取った小学生じゃの~と感じていた部分も 赤旗の記事『高等女学校への通学途中』ということで 半分解決。しかし高等女学校というのは5年制で12歳~16歳 卒業時で17歳 事情があっても1年程度の遅れだろうから 卒業間近ということなんだろうなって考えつつ どこの女学校なんじゃって疑問がわいてきていろいろあたってみる。
世田谷にある日本キリスト教会 東京告白教会にある『台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会』のサイトから引用
【鄭陳桃 さん (1922年生まれ。台北市出身)
1942年にインド洋アンダマンへ連れて行かれる。アンダマンの海をみながらいつも泣いていた。学校へ行く途中だった。普通の女の子だったのに・・・。 】
裁判を支援する会なんだから生まれた日と 連行された年は間違ってないのだろう。間違ってたら裁判にならないですもんね?ということで この人鄭陳桃さんは 二十歳で女学校に通っていたってこと。
そしてこの裁判を支援している情報として間違ってたらしゃれにならないサイトにはこのような記述も
それは
【学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日、警察の前を通ったときに、日本の警官が車でおくってあげるといわれ、そのまま高雄の港へ連れて行かれました。】
えええええ『学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日』ってことは1年生ってこと 12歳で普通1年だから彼女は20歳で高等女学校の1年だったってことですか~
ないないないない 絶対ない
まあ 普通 ありえない!ということで 他を当たってみることに
台湾の人権団体「婦女救援基金會」のサイトをみると
【「私は1942年6月4日の朝に起きたこと、私の一生の運命を変えた出来事を決して忘れることはできません。もう60年もたちましたが、はっきりと覚えています。当時、私は中学生でした。学校へ行く途中、ジープを運転する渡辺という日本の警察官が通りかかり、車に乗るように言われました。私を学校まで送っていくというのです。車は前へ前へと進んでいきますが、それは学校へ行く道ではありません。私が泣きながら「学校へ行きたい」と言うと、その人は私を罵り、静かにしろと言います。そうして着いたのは高雄港で、そのまま船に乗せられ、インドのアダマン島へ連れていかれました。 】
おや~赤旗の記事だと『学校の前を通り抜けました。』とあるのにこのサイトでは『それは学校へ行く道ではありません。』とある。学校の前を通り抜けたなら学校へ行く道だったってことでしょ?全く この証言の核心となる拉致場面ぐらいは 証言を統一してくれなきゃ困っちゃうね。
どこの女学校か判明しないのでさらに調べると 台湾「聯合報」の報道で
【台南女子中学校に通っていた鄭さんは、ある日、自宅のある屏東県から台南県に車で向かう途中、派出所の前を通りかかった。その時、日本人に強制的に別の車に乗せられて高雄に連行された。その翌日、船でインドに送られ、悲惨極まりない「慰安婦生活」が始まった。】
とあり 彼女の通っていた学校は 台南の第一高女もしくは第二高女 日本人が多い第一には台湾人は一学年数名しかいないので 台湾人の第二高女にしても名門の子女がほとんど まして台湾人がすこぶる力を持った地域で 高女の子女を拉致すれば 日本人だってただではすまない。彼女の運転手も『処分』して海にでも流したのかね ばかばかしい。
さらに愕然したのは 『自宅のある屏東県から台南県に車で向かう途中』今だってありえない 当時の列車と駅から学校までの時間を考えたら そんな通学圏じゃないし 高雄県が間に入ってるし 車だって高速のない時代何時間かかるんだ!まして戦時中 両親を早くに亡くした彼女を 車でおじさんが通わせてたとしたら超セレブときたら もう話は支離滅裂。
それに 車で走ってるのを呼び止めて 車で学校へ送っていってやるってこの警察官 どんな発想じゃ~
最初はたぶん歩いて学校に行ってたと言っていたんだろうけど じゃあどこの学校と聞かれ 屏東には屏東高等女学校があるけど地元じゃ嘘がばれるから 台南と答え どうやってと聞かれたら歩いてとは答えられず 列車でも無理だから 苦し紛れに 車でって嘘の上塗りしたのではないかね。
彼女を支援する人たちに言いたい 疑問を本当に感じないのかね 君たち。
それにね 証言に出てくるジープって 戦後の乗り物なんですけど トラックにしときゃよかったんじゃないの?
【日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。ジープは学校の前を通り抜けました。着いた先は小さな旅館。「魏」という姓の夫婦に引き渡されました。ほかに二十余人の若い女性がいました。 翌日、高雄のふ頭から「アサヒマル」という軍艦でインド洋のアンダマン島へ。一年二カ月後には、サイパン島へ連行されました。鄭さんも妊娠しました。】
なんだ インドといってもビルマの南のベンガル湾に浮かぶこの諸島のことかと とりあえず現在はインド領だし間違いはないので 記事の不親切を怒る。
もうひとつの疑問『18歳の時、登校途中』の部分 当時の進学状況を考え この手の商売に身を落とす家庭の場合 まず学校に行ったといっても国民学校すなわち小学生通いがいいところだろうから えらく歳を取った小学生じゃの~と感じていた部分も 赤旗の記事『高等女学校への通学途中』ということで 半分解決。しかし高等女学校というのは5年制で12歳~16歳 卒業時で17歳 事情があっても1年程度の遅れだろうから 卒業間近ということなんだろうなって考えつつ どこの女学校なんじゃって疑問がわいてきていろいろあたってみる。
世田谷にある日本キリスト教会 東京告白教会にある『台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会』のサイトから引用
【鄭陳桃 さん (1922年生まれ。台北市出身)
1942年にインド洋アンダマンへ連れて行かれる。アンダマンの海をみながらいつも泣いていた。学校へ行く途中だった。普通の女の子だったのに・・・。 】
裁判を支援する会なんだから生まれた日と 連行された年は間違ってないのだろう。間違ってたら裁判にならないですもんね?ということで この人鄭陳桃さんは 二十歳で女学校に通っていたってこと。
そしてこの裁判を支援している情報として間違ってたらしゃれにならないサイトにはこのような記述も
それは
【学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日、警察の前を通ったときに、日本の警官が車でおくってあげるといわれ、そのまま高雄の港へ連れて行かれました。】
えええええ『学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日』ってことは1年生ってこと 12歳で普通1年だから彼女は20歳で高等女学校の1年だったってことですか~
ないないないない 絶対ない
まあ 普通 ありえない!ということで 他を当たってみることに
台湾の人権団体「婦女救援基金會」のサイトをみると
【「私は1942年6月4日の朝に起きたこと、私の一生の運命を変えた出来事を決して忘れることはできません。もう60年もたちましたが、はっきりと覚えています。当時、私は中学生でした。学校へ行く途中、ジープを運転する渡辺という日本の警察官が通りかかり、車に乗るように言われました。私を学校まで送っていくというのです。車は前へ前へと進んでいきますが、それは学校へ行く道ではありません。私が泣きながら「学校へ行きたい」と言うと、その人は私を罵り、静かにしろと言います。そうして着いたのは高雄港で、そのまま船に乗せられ、インドのアダマン島へ連れていかれました。 】
おや~赤旗の記事だと『学校の前を通り抜けました。』とあるのにこのサイトでは『それは学校へ行く道ではありません。』とある。学校の前を通り抜けたなら学校へ行く道だったってことでしょ?全く この証言の核心となる拉致場面ぐらいは 証言を統一してくれなきゃ困っちゃうね。
どこの女学校か判明しないのでさらに調べると 台湾「聯合報」の報道で
【台南女子中学校に通っていた鄭さんは、ある日、自宅のある屏東県から台南県に車で向かう途中、派出所の前を通りかかった。その時、日本人に強制的に別の車に乗せられて高雄に連行された。その翌日、船でインドに送られ、悲惨極まりない「慰安婦生活」が始まった。】
とあり 彼女の通っていた学校は 台南の第一高女もしくは第二高女 日本人が多い第一には台湾人は一学年数名しかいないので 台湾人の第二高女にしても名門の子女がほとんど まして台湾人がすこぶる力を持った地域で 高女の子女を拉致すれば 日本人だってただではすまない。彼女の運転手も『処分』して海にでも流したのかね ばかばかしい。
さらに愕然したのは 『自宅のある屏東県から台南県に車で向かう途中』今だってありえない 当時の列車と駅から学校までの時間を考えたら そんな通学圏じゃないし 高雄県が間に入ってるし 車だって高速のない時代何時間かかるんだ!まして戦時中 両親を早くに亡くした彼女を 車でおじさんが通わせてたとしたら超セレブときたら もう話は支離滅裂。
それに 車で走ってるのを呼び止めて 車で学校へ送っていってやるってこの警察官 どんな発想じゃ~
最初はたぶん歩いて学校に行ってたと言っていたんだろうけど じゃあどこの学校と聞かれ 屏東には屏東高等女学校があるけど地元じゃ嘘がばれるから 台南と答え どうやってと聞かれたら歩いてとは答えられず 列車でも無理だから 苦し紛れに 車でって嘘の上塗りしたのではないかね。
彼女を支援する人たちに言いたい 疑問を本当に感じないのかね 君たち。
それにね 証言に出てくるジープって 戦後の乗り物なんですけど トラックにしときゃよかったんじゃないの?
かいつまんで説明すると
19歳(誕生日が11月なので20歳から訂正)旧制の高等女学校に入学するなんてあり得ないし
屏東から台南へ通学とかも1億パーセントあり得ない
そんな偽証を鄭陳桃はしているわけで こんな単純な詐話に台湾人は騙されているのか?ということで卒業証書授与のニュースを検索その経緯を調べることに
小桃阿嬤畢業證書引質疑 南女計畫不變
中央社記者張榮祥台南30日電)國立台南女中決定頒發紀念版畢業證書給日據時期慰安婦「小桃阿嬤」,引來歷史學界的質疑,但校方「選擇性」地相信阿嬤,頒發計畫不變。
「小桃阿嬤」鄭陳桃19歲考上台南女中後,在上學途中被日本人強押到海外當慰安婦,當時阿嬤已上學,但未正式登錄學籍。
在網路傳出阿嬤希望完成學業,多人請求南女頒發畢業證書後,校方幾經考量,決定頒發紀念版畢業證書。
消息傳出後,校方今天收到歷史學界的質疑,認為阿嬤未登錄學籍,未完成學業,不能取得南女畢業證書,何況以日據學制,阿嬤19歲才就讀南女前身的台南州立台南第二高等女子學校,年紀也太大了。
校方表示,當時學校及老校友也都有同樣的質疑,校方代表2013年南下屏東拜訪阿嬤時,阿嬤可以清楚地描述出學校的場景及規定,還能唱日據時期的校歌,若要造假,也未免太深入了。
南女決定頒發紀念版畢業證書計畫不變,但校方強調,紀念版畢業證書僅具象徵性,證書只蓋學校關防的「小章」,不蓋「大章」,不是正式的畢業證書。
台南女中前身是台南州立台南第一高級女子學校及台南州立台南第二高級女子學校,一高女現址就在台南女中,學生以日本人為主,二高女現址在中山國中,學生以台灣人為主;台灣光復後兩校合併,才成為今日的台南女中。1041230
「小桃阿嬤」鄭陳桃19歲考上台南女中後,在上學途中被日本人強押到海外當慰安婦,當時阿嬤已上學,但未正式登錄學籍。
在網路傳出阿嬤希望完成學業,多人請求南女頒發畢業證書後,校方幾經考量,決定頒發紀念版畢業證書。
消息傳出後,校方今天收到歷史學界的質疑,認為阿嬤未登錄學籍,未完成學業,不能取得南女畢業證書,何況以日據學制,阿嬤19歲才就讀南女前身的台南州立台南第二高等女子學校,年紀也太大了。
校方表示,當時學校及老校友也都有同樣的質疑,校方代表2013年南下屏東拜訪阿嬤時,阿嬤可以清楚地描述出學校的場景及規定,還能唱日據時期的校歌,若要造假,也未免太深入了。
南女決定頒發紀念版畢業證書計畫不變,但校方強調,紀念版畢業證書僅具象徵性,證書只蓋學校關防的「小章」,不蓋「大章」,不是正式的畢業證書。
台南女中前身是台南州立台南第一高級女子學校及台南州立台南第二高級女子學校,一高女現址就在台南女中,學生以日本人為主,二高女現址在中山國中,學生以台灣人為主;台灣光復後兩校合併,才成為今日的台南女中。1041230
一応卒業証書を与えた学校の方も 学籍が確認できず 通常12歳で入学のところ19歳で入学とあり得なさに疑問は認識しているようです。
しかしそれでもなおかつそうなったのは 学校側の事情調査に
学校の当時の状況や規則、校歌を覚えていていたからというただそれだけのくそあいまいな理由で卒業証書を授与することになったようです。ただし学校側も正義の良心があるのか正式な卒業証書ではないとのこと。
この人のことを詳しく調べている 左翼系サイトによれば
どこの中学かは記述なしで中退 16歳で継母と叔父に台北に売られた経緯が紹介されていました。
その後逃げ出して19歳で再び高雄に売られたということですが そこで騙されて連れて行くという手段はあったようです。これも売主と買主がそう彼女に説明したのでしょう。
ここでも 継母と叔父に売られた経験がどうも原体験となって彼女の証言に置き換わっている可能性が指摘されていました。
結局
「この継母や叔父に騙され売られた哀れな売春婦のその後の創作の日本軍や警察の強制の話が真実であろうがなかろうが 当時取り締まる法律がなくても警察が人身売買を黙認して日本軍の使う慰安所で働かされたわけだから日本の責任だ」ってことに韓国も台湾の場合もそうなっていているのが現状のようです
そんな理由が成り立つなら 今現在行われている売春婦も国に謝罪と賠償金を求めることが出来るってことでしょう?それでは困るので この詐話は すくなくとも韓国政府は強制的に連行したということがなければ困るってことだけなのですが 韓国国民には既に拉致などの強制性など関係なく日本が悪い事に変りがないわけです
韓国や台湾の20万人の性的奴隷とは 普通の売春婦も含め 警察が人身売買を黙認し
売春宿の必要性を感じ軍の近くに慰安所があったのだから 本人の意志に反するこの様な社会状況の放置は 「強制的に慰安婦に売春婦にされたことだ」という認識ってことになっているのです。したがって軍の直接関与が確認できる売春婦がいないと 日本の政治家が発言すると 「慰安婦(売春婦)がいなかったなんて信じられない妄言だ!日本人は狂っている」ってことになっているのではないでしょうか。
日本人向けには 親に売られた証言の部分は伏せられて 日本人は当然もうめちゃくちゃだと怒るわけですが 韓国では我々の予想以上に 偽証や親に売られた部分も認識しながら この様なかわいそうな境遇は日本が悪いのだから謝罪なく 売春婦もいなかったという日本人(韓国人はそう思い込んでいる)は 嘘つきということになるわけです。
韓国人と中国人のものごとを把握し理解する能力が欠けている限り 区別して彼らを諭すことなど不可能なのかもしれないのです。そもそも挺身隊と慰安婦でさへ厳密に区別で来ていない現実も信じられないかもしれませんがあるのです。
要するに永遠に話はかみ合わないってことかな。韓国政府が元売春婦のおばさんを説得できるわけはないのです。
以上
2016/1/7(木) 投稿

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