台湾人の所謂元『慰安婦』が来日 政治家の妄言に抗議に思うこと | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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台湾人の所謂元『慰安婦』が来日 政治家の妄言に抗議に思うこと



92歳最高齢“元慰安婦”が訪日へ、政治家の妄言に抗議、東京で6日から「慰安婦」展開催―中国メディア
・・・・・台湾籍の元“慰安婦”、鄭陳桃さん(92)が台湾婦女救援基金会の付き添いで来日し、当時受けた被害の様子を語るという。鄭さんは「昨今の日本の右翼政治家による慰安婦の史実を歪曲するでたらめな発言」に対して、抗議したいとしている。

台湾籍の元慰安婦は現在8人が存命で、鄭さんは最高齢にあたる。18歳の時、登校途中で日本籍の警察官に拉致され、インドに連れていかれて従軍慰安婦にされた。21人の女性が一緒だったが、今でも存命なのは鄭さんだけだという。・・・・・


最高齢の『元慰安婦』鄭陳桃という人物のニュースをたびたび見るので このひとこの手の『イベント』があるとここ数年は 最高齢という世間の注目看板を手にしてからやたらと登場するので気にはしていた。ニュースの中のインドという単語にそれはありえないだろうと調べてみることに。
共産党の赤旗のサイトに 当時84歳ってことは最低8年もこの詐話師の商いをしているのかと先入観を持ちつつ

 日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。ジープは学校の前を通り抜けました。着いた先は小さな旅館。「魏」という姓の夫婦に引き渡されました。ほかに二十余人の若い女性がいました。 翌日、高雄のふ頭から「アサヒマル」という軍艦でインド洋のアンダマン島へ。一年二カ月後には、サイパン島へ連行されました。鄭さんも妊娠しました。

なんだ インドといってもビルマの南のベンガル湾に浮かぶこの諸島のことかと とりあえず現在はインド領だし間違いはないので 記事の不親切を怒る。 
もうひとつの疑問『18歳の時、登校途中』の部分 当時の進学状況を考え この手の商売に身を落とす家庭の場合 まず学校に行ったといっても国民学校すなわち小学生通いがいいところだろうから えらく歳を取った小学生じゃの~と感じていた部分も 赤旗の記事『高等女学校への通学途中』ということで 半分解決。しかし高等女学校というのは5年制で12歳~16歳 卒業時で17歳 事情があっても1年程度の遅れだろうから 卒業間近ということなんだろうなって考えつつ どこの女学校なんじゃって疑問がわいてきていろいろあたってみる。

世田谷にある日本キリスト教会 東京告白教会にある『台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会』のサイトに

鄭陳桃 さん (1922年生まれ。台北市出身)
1942年にインド洋アンダマンへ連れて行かれる。アンダマンの海をみながらいつも泣いていた。学校へ行く途中だった。普通の女の子だったのに・・・。


裁判を支援する会なんだから生まれた日と 連行された年は間違ってないのだろう。間違ってたら裁判にならないですもんね?ということで この人鄭陳桃さんは 二十歳で女学校に通っていたってこと。
そしてこの裁判を支援している情報として間違ってたらしゃれにならないサイトにはこのような記述も
それは

学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日、警察の前を通ったときに、日本の警官が車でおくってあげるといわれ、そのまま高雄の港へ連れて行かれました。

えええええ『学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日』ってことは1年生ってこと 12歳で普通1年だから彼女は20歳で高等女学校の1年だったってことですか~
ないないないない 絶対ない
まあ 普通 ありえない!ということで 他を当たってみることに
台湾の人権団体「婦女救援基金會」のサイトをみると

「私は1942年6月4日の朝に起きたこと、私の一生の運命を変えた出来事を決して忘れることはできません。もう60年もたちましたが、はっきりと覚えています。当時、私は中学生でした。学校へ行く途中、ジープを運転する渡辺という日本の警察官が通りかかり、車に乗るように言われました。私を学校まで送っていくというのです。車は前へ前へと進んでいきますが、それは学校へ行く道ではありません。私が泣きながら「学校へ行きたい」と言うと、その人は私を罵り、静かにしろと言います。そうして着いたのは高雄港で、そのまま船に乗せられ、インドのアダマン島へ連れていかれました。

おや~赤旗の記事だと『学校の前を通り抜けました。』とあるのにこのサイトでは『それは学校へ行く道ではありません。』とある。学校の前を通り抜けたなら学校へ行く道だったってことでしょ?全く この証言の核心となる拉致場面ぐらいは 証言を統一してくれなきゃ困っちゃうね。
どこの女学校か判明しないのでさらに調べると 台湾「聯合報」の報道で

台南女子中学校に通っていた鄭さんは、ある日、自宅のある屏東県から台南県に車で向かう途中、派出所の前を通りかかった。その時、日本人に強制的に別の車に乗せられて高雄に連行された。その翌日、船でインドに送られ、悲惨極まりない「慰安婦生活」が始まった。

とあり 彼女の通っていた学校は 台南の第一高女もしくは第二高女 日本人が多い第一には台湾人は一学年数名しかいないので 台湾人の第二高女にしても名門の子女がほとんど まして台湾人がすこぶる力を持った地域で 高女の子女を拉致すれば 日本人だってただではすまない。彼女の運転手も『処分』して海にでも流したのかね ばかばかしい。
さらに愕然したのは 『自宅のある屏東県から台南県に車で向かう途中』今だってありえない 当時の列車と駅から学校までの時間を考えたら そんな通学圏じゃないし 高雄県が間に入ってるし 車だって高速のない時代何時間かかるんだ!まして戦時中 両親を早くに亡くした彼女を 車でおじさんが通わせてたとしたら超セレブときたら もう話は支離滅裂。
それに 車で走ってるのを呼び止めて 車で学校へ送っていってやるってこの警察官 どんな発想じゃ~

最初はたぶん歩いて学校に行ってたと言っていたんだろうけど じゃあどこの学校と聞かれ 屏東には屏東高等女学校があるけど地元じゃ嘘がばれるから 台南と答え どうやってと聞かれたら歩いてとは答えられず 列車でも無理だから 苦し紛れに 車でって嘘の上塗りしたのではないかね。

彼女を支援する人たちに言いたい 疑問を本当に感じないのかね 君たち。

それにね 証言に出てくるジープって 戦後の乗り物なんですけど トラックにしときゃよかったんじゃないの?

以上
2013/7/6(土) 投稿

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知識は記憶作業で作られる これは実体験にはよらない 記憶も同様、人の「経験した」という記憶の半分以上はそのようなものらしい 記憶は上書きされて実体験とは乖離していく この所謂「従軍慰安婦」が作話師ではないとしても 不幸な経験の記憶を無意識にその責任を最も遠い存在であるものに転嫁 それは曖昧であればよいし同調者が多ければそれを確定させていく そんな事例だと考えている。