18) アンチテーゼ 2004/ 9/18 投稿1508
イデオロギーや宗教にはまり チェーン商法にハマル人を考えると これらの人に共通した他者との関係の構築方法の未熟さを感じる 未熟な社会化といえるのではないだろうか。
人は教育や躾を通し自然に社会化させられるものであるが 「はまる」という言葉のように イデオロギーや宗教にはまる人は きっかけは別にして自らこれを選択し これらを通し社会との関係をつくろうとして他者との軋轢を引き起こす。
「ハマリに至る環境や条件」なども一つのテーマではあるが、ハマッタ後の行動様式、思考パターン「ハマッタ人の理論」を考えると ものの考え方のたて方なるものが はたでみていて見事に歪んでいても 本人はなんの疑問も持たず 三次元の動物が二次元の動物に物事を説明するに等しく その問題点を自覚させることは難しい
これは自然につくられた社会との関係という経験から説明しても 未熟な社会との関係をもともと持たない彼らに「共通軸」を通して自覚せしめることが困難なのである。個人の考え方の差という範疇でなく そもそも軸が欠落しているのだ。
言葉というものは既に存在しているものをあらわしており これを経験に照らし合わせながら学んでいくものである。「哲学性を持った抽象的な言葉」も例外ではなく 哲学者や宗教家が社会や人の関係や心理を考え抜いて言葉にしたものを 経験に投影しながらその形を知覚していくものである。
左翼イデオロギー用語、宗教・哲学用語は 鍛えられていない、すなわち経験則のない脳細胞に消化のできるものではない 先行した言葉の習得の上に経験を置いてみせるという空想家となる理由はここにあり 会話が成立しないのである。
以上
2006/5/7(日)投稿