17)すべてのものには値がある 2004/ 9/ 4 投稿 1412 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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17)すべてのものには値がある 2004/ 9/ 4 投稿 1412

男性と女性の性差は 見える部分の身体的差以外に 考え方も随分違うようで
「地図の読めない女 人の話を聞けない男」というような そんなことを書いた本が数年前ベストセラーになった。
ジェンダー論争は ものの本質の1%のよいところを際立たせるため 本質でない1%の悪いところをひたすら否定するという人たちのイデオロギー闘争である。 
否定のための新理論にすがりながら人格が成り立っているひとの傾向として 「代価」は払わない。
理想という成功しか未来に見ない人は実にテキトウな存在で 基本的に失敗は全て外部要因。
左翼的論者の幼児性は恥を感じない。

男であること女であること
人間の生き方として これはあきらめることもであり 受け入れなければならないこと。
誰も人間であることを受け入れるか受け入れないか考えてはいない。

「きれいにあきらめる」ことに価値を見出せる為の字引きが信仰のかたちでひとにうまく伝える力があり 悔い、後悔を残さなくそのことを「昇華」という。

 ジェンダー論者が法的根拠に頼らざるをえないのは 文字のさかしらを求めているのであろう。
琴線に触れない論争であり 心が動かず 思いが寄らないのは 無機質な感情で「国」や「人」を取り扱うことが これらをただの物体として扱うことと同義であるのだ。
教育基本法はそうであってはいけない。


以上
2006/4/27(木) 投稿