19)死刑制度存続 2004/ 9/18 投稿1509、1539 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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19)死刑制度存続 2004/ 9/18 投稿1509、1539


死刑制度廃止論者の主張として 死刑制度が中国などの独裁イデオロギー国家を存続させる力、恐怖政治を行うための手段となっているというものがある。
しかしこれは 中国などの法治主義の伝統も運用面での実績もなく 形だけの法の適応で野蛮な国家体制を恐怖支配の道具としている国の死刑制度の話であって 日本などの法治国家(法の整備、司法の中立、厳密な適応)での死刑制度とは分けて考えるべきものである。

また「冤罪事件」の存在からの指摘があり その可能性からすれば1%の冤罪の存在は99%の真実よりも重くなければならないというのも理解できる。しかし天文学的数値で有罪の可能性のあるものへの法の適用と司法判断が確実に冤罪の可能性を排除できるものであるなら 戦後一時期の冤罪を生んだ条件は不幸な過去であるだけだ、同一人物の複数機会の複数殺人を現在の司法判断の能力からすれば冤罪の可能性など存在するというレベルの数値にならなくなる。
人は神でないので間違いを起こす可能性を指摘するならば 教育的処置や治療の効果もまた判断できないとも言えるわけで 無期懲役を廃止し終身刑にせねばならなくなる。

さらにもうひとつの理由が死刑は憲法の「残酷刑禁止条項」ならば終身刑、無期懲役も残酷な刑となるのではないか。

「死刑廃止」というヒューマニズムは安直なフェミニズムであり社会にまったく責任を取らず その主張に整合性はない。

死刑判決を受け初めて死と向かい合い 悔い改め 人間になって死を受け入れる事の方が 人間の姿をしたゴキブリの自然死よりよほどよいことに違いない 手の付けようもない鬼畜を最後の一瞬でも たち直させる方法は「死刑」という力を持ってしか可能性はいまのところ存在しない。

以上
投稿2006/5/7(日)