9)恥を知ること 2004/ 5/30投稿
あまりにも多くの日本人論で「恥じ」という言葉は語られ陳腐であるが やはり日本を日本人考えると「恥の概念」を考えなければならない。
「修身」という躾も恥をかかないための日本人社会内での社会化に必要なことなのだろう。
最近なくなられた金田一晴彦さんの「日本語」(岩波新書)にも「恥ずかしい」「決まりが悪い」「みっともない」「照れくさい」「かっこがつかない」「ひっこみがつかない」「てれる」「はにかむ」「はじらい」などという言葉が紹介されていたが 恥という意識をもった文化がこれだけ関連した言葉を生み出したといえる。やはり日本は「恥を知る」の文化なのだ。
「家の恥じ」、裏を返せば「家(郷土)のほこり」、「国家を誇るな」ことなども 恥を知る日本文化が生み出したもので 日本人は「家」「郷土」「国」に対して恥じない行為を求めてきた。この行為はまた清らかでなければならず 武士道はその結晶である。
「正義はひとを傷つける」というのも本来は 「相手に恥じを欠かせてはならない」という意味合いも中に含有され 日本人の忌み嫌うことだ。
「正義感ぶる」「正義づら」なんていうのも恥かしい行為と認識される。
「期日なき約束事」は守れない約束とみなされ恥ずかしい約束である。恥の文化はイデオロギーを根付かせないのだ。
以上
2006/3/28(火)投稿