6)知恵の継承 2004/ 5/18投稿
狩猟民族の中には 親の亡骸の脳を食するものもあると聞く。親の知恵を受け継ぐ儀式のようなものだ。こんな儀式とおなじく 知恵の再生は 集落なら司祭の再生への願いと繋がるのだろう。これが複雑化し大きくなると形式化し 墓も古墳という形になっていったのであろう。
古墳は権力のみで労働力を提供せしめたのでなく権威でもあった。古墳というものへの生産性のないものへの投資を時代が下がるにつれ躊躇しはじめると同じくして 安上がりな合理性も獲得し生きた人間で権威の再生をつなげていくことになる。
イスラム社会の権威の象徴であるカリフの例なども入り これは人類共通のものである再生への発想といえる。しかし日本のような モンスーンに四季の明瞭な国においては あたかも自然な成り行きでの循環、モンスーンに四季の明瞭さにより大きく育つ要素となったのだろう。さくらは春に花咲き、散る そして梅雨、台風と自然の恵みの繰り返し、自然の様が そのまま重なったのだ。
日本語の結果の「なり」は 「果実、み」が「なる」と同じであり 結果が自然の成り行きで実るとの発想は 人為的干渉なく受け入れるものだったのではないか。
後に輪廻転生という仏教的物の考え方を この国がゆるやかにむかいいれたことはこんな土壌によるものであろう。であるから日本人は チベットでは輪廻転生のダライラマの存在が象徴となっているのも理解できるのだろう。先人の知恵は一見非合理的にみえても なにかしら意味があると知っているからだ。
以上
2006/3/27(月) 投稿