どうでもよさそうな台湾ダメ記事 四日目<13> | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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どうでもよさそうな台湾ダメ記事 四日目<13>



昨日のアルコールが一日たっても抜けない感じで 記事作っててよかった UPして速攻で寝ます。


林本源園邸(林家花園)から駅に戻るのに特に見所も無いようだったので 学校が固まってあるエリアを歩いて帰ることに。
林家花園の直ぐ横に 北門福徳宮があり。福徳正神を祭る土地公さんだ。北門とあるので行きがけの東門地下道との位置関係から 城壁の大きさを推測出来る。
途中交差点に 横断歩道のオブジェが建っていた。確かに学校の多いエリアであるので スクールゾーンを示す交通安全啓蒙の意味合いもあるのだろうが 考えなきゃわからないので効果はあるのだろうか。
国立板橋高級中学が出てくる。台湾の高校は国立が結構存在するのが特徴。
台湾の高校は卒業生の進路を 日本の予備校のように○○大学に何名と貼り出すのが常で ここでは名前を貼り出していた。左から台湾大学、精華大学、交通大学、成功大学とある。ナンバー1が台湾大学とは知っていても次に続く大学の評価はまちまち この順番も一つの序列とみてよいでしょう。精華大学、交通大学は蒋介石が大陸から持ってきた大学。
何時の時代も受験は大変なんだろうけれど 日本と同じ台湾も少子化で受験事情も随分変化してきたのではないだろうか。
ところで話は変わり 板橋の地名 wikipediaによると
板橋は古くは擺接と称した。これはこの地区に居住していたケタガラン族が建てた武朥湾社に隣接する擺接社に由来する。後に閩南語で近い発音の枋橋に置き換えられた。現在でも台湾語では板橋のことを枋橋(pang-kiô)と称している。更に日本統治時代の大正九年の地方制度改革とともに枋を略字の板に変え[2]、発音も日本風の「いたはし」と正式に変更されたが[1]、戦後は漢音による発音も使用され、NHKのニュース番組では「ばんきょう」と読まれている。また別の地名由来の説もある。昔この地に河があり、住民の交通に不便を来たしていたのだが、そこに望族林本源家木が私財を投じ木橋を建設し、それにより板橋という説もある。この木橋は現在の留侯里、流芳里付近に位置していたが、現在はその位置に橋は伝わっていない

台湾の西海岸の地名の成り立ちから考えれば平埔族由来が正解でしょうね。 


以上
2012/9/12(水) 投稿

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