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板橋の林本源園邸(林家花園)四日目<12>

板橋でガイドブックに紹介されるような観光名所といえば林本源園邸。
MRT府中駅から徒歩で15分ぐらいだった。写真の画像情報を見てみると日本時間でPM6:00 台湾時間で5:00 当然曜日に関係なく閉園の時間は過ぎていた。
なんで来たんだろうと愚かさをいつものように悟りながら 外壁の外から撮影。
壁沿いに歩いてきたのでその広大さがわかる大邸宅だ。ものの資料によると一族のビル建設などの用地へ用途を変えたため半分の規模まで縮小されているとあるが どれだけでかかったのかと想像もつかない。
「林本源」というのは【板橋林家とも称し、清朝統治下の台北板橋における家族の総称。「林本源」は個人名称ではなく、板橋林家の屋号である。(wikipedia)】とのこと
板橋の林一族というのは清朝統治に大きく関わり 林維譲、林維源の兄弟は 日本の台湾出兵後の台湾北部山地及び原住民区域の実質的な統治者であり、
清仏戦争においては清朝へ財政援助、茶葉、樟脳輸出に 鉱物鉄道の建設、西太后の還暦祝賀式典へ費用を拠出、林維源は日本領台時の「台湾民主国」においては議院議長に就任と歴史的人物。その後廈門へ逃れ客死となった。


当時の調査で林維源の総資産1億1千万両、下関条約による清朝の賠償金が3億両強と比較して天文学的資産家であった。
板橋林家の存在から分かるように 日本統治時代に飛躍的に拡大した 茶や樟脳、砂糖は既に清朝時に台湾の主要産業であり 鉱山経営はなされ鉄道も敷設され 郵便などのインフラも前近代的ながら整いつつあった。
清朝時代 近代化の最前線は台湾にあり 資本が集約し既に資本家が誕生していたことが分かる。
また清朝末期の台湾巡撫(台湾統治の官職)の劉銘伝のように 近代化に対応した政治家も台湾に送り込まれていたことを考えると 台湾の近代化は日本統治によって完成するわけではあるけれど 清朝時代の下地とその時代からの台湾の名家と言われる地元資本家の存在がなければ ここまではやく成功することはなかったと言えるのではないだろうか。
今回は邸宅内に入ることが出来なかったのですが 内部の建物、庭、建物、壁の装飾等 写真に撮るべき素材が数多くあり 再度訪問したい場所となった。

以上
2012/9/11(火) 投稿

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