読売
ユーモアあふれる“どくとるマンボウ”シリーズや、大河小説「楡家(にれけ)の人びと」で知られる作家、芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が、24日死去した。
84歳だった。告別式は親族で行う。
近代短歌を代表する斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。旧制松本高を経て東北大医学部に進学。卒業後の1954年、初の長編「幽霊」を自費出版した。
60年には、水産庁の調査船に船医として半年間乗った体験をユーモアを交えて描いた「どくとるマンボウ航海記」を発表。「昆虫記」「青春記」などマンボウものを出版して人気を博した。
先日 通勤途中携帯が鳴り 母親からだった。
声を聞く前に実家からの着信とわかり 電話は用事もないのに掛けて来るなと日頃言っていることもあり
父が倒れたかと一瞬にして身構えて携帯をとる
「お父さんが 玄関で・・・・」
・・・・(ついに来たかと唾をのむ)・・・・・
「お父さんが 玄関で大変なのよ あなたのビートルズのレコードとか 邪魔なものは棄てるって もう玄関に積み上げて どうする?」
最近 母親に言わせれば父は死ぬ準備に忙しく不要なものをとことん棄てるのが日課のようだとのこと
「どうする?」
「どげんするって? あん父親がきめんしゃったら きかんやろうもん とめられんけん しかたなかね」と博多弁で答えたら文章的に面白そうだが 実際は標準語で会話をしている。
我が家族は基本的に標準語なのだ 父も母も長州人で山口育ちだが 方言の遣い手ではなく 博多の生活も長くなったので 多少博多弁的標準語を使う程度ので脚色。
木ノ内みどりのLPマニアだったら1000円ぐらいで売れたかもしれない 100枚ほど雑多にLPレコードがあってもプレーヤーは既にないので置いておいてもしかたないので
「もったいなかね 売りに行ったら お金になるちゃろうけど・・・よか」
昭和一桁の我が父はリーマンショックの直前に会社をたたみ 損金0で一般の退職金ほどのお金は残らなかっただろうが 起業して直ぐにオイルショック その後事業としては成功だったとはいえないが 幸運であったのだろう 75まで働いて同年代の人が一線を退場していく中 仲間内ではトリを取った。
社会人となりひとの出会いが人生の収穫であった。思い返して終戦前に生まれた人との会話が好きで 今時点もう全て会社生活の中で引退され 接する年長者は団塊世代 個人的な思いを言えば 終戦を境にして人種が違うほどギャップがある。
我が父は 旧制の中学で入学し新制で卒業し 旧制の中教育を受けたことを羨ましく思うことがある。
24日になくなられた北杜夫さんのマンボウシリーズは読書の扉を開いてくれた。旧制の学生生活を描いたドクトルマンボウ青春記のような学生生活にあこがれた。
なんだか寂しいな 台湾の日本語世代も少なくなって来たし、いま色々聞いておかなければいけないことが結構ある。

以上
2011/10/27(木) 投稿