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台湾北投、華僑会館にある梅の花
(さくらの写真が撮れるまで代用)
「敷島の大和心を人問わば、朝日ににほう山櫻花」
宣長が肖像画を描かせたのは 61歳。
久方の 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
<紀貫之>
さくらの大和心へ染み込んだイメージは その色合いだけでなく 散る美しさ
さくらの存在は 日本の風土そのものを 象徴し 風土とそこで暮らすひとにしみこむ
和辻哲朗の「風土」には
■日本の人間の感情の昴揚は、しばしばこのような突発的な猛烈さにおいて現われた。それは執拗に持続する感情の強さではなくして、野分のように吹き去る猛烈さである。だからそれはしばしば執拗な闘争を伴わずして社会を全面的に変革するというごとき特殊な歴史的現象をさえ作り出している。さらにそれは感情の昴揚を非常に尚びながらも執拗を忌むという日本的な気質を作り出した。桜の花をもってこの気質を象徴するのは深い意味においてもきわめて適切である。■
■きれいにあきらめるということは 猛烈な反抗・戦闘を一層嘆美すべきものたらしめるのである。■(昭和4年ごろの文章)とある。
しかし 勇猛果敢な戦闘の賛美に きれいに、あっさりというさくらのイメージを描き出すことはどうもできない
吹き荒れる風のなか 一緒に散りさり次世代への芽になると特攻隊員は思ったのではないだろうか。
繰り返される四季の中での一瞬の出来事を生む風土 うつりはやりの短さはアッサリとなる。
自然は克服できない対象でありあきらめに近い、同じ温帯モンスーンである台湾に 日本語から根付いた言葉が「あっさり」であり さくらはよく植えられ観賞され年中行事となっている。
以上
2006/3/20(月) 投稿

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