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北海道の修道院
明治政府の偉いところは 多くのお雇い外国人を雇ったことでしょうか、田舎の教師までに大臣より高い給料を払ったとか。中等教育に国家財政をつぎ込んだ明治政府は 国家の設計があってのことでしょう立派です。 高すぎる彼らの給料と二束三文の美術品 副産物としてこれら美術品の海外流失となりましたが 日本文化の今に繋がる海外紹介もまた副産物。そしてその人たちの仕事は人に大きな影響を与えました。その中のひとりクラーク先生は 9ヶ月ぐらいの短い来日期間だったそうでその影響力は大きく 新渡戸さんなどは直接はクラークさんに会っていないとか。クラークさんが校風に影響を与え その結晶が 新渡戸さんと内村さんの 日本精神の西洋への紹介(輸出と言ってもよいかもしれません) 先生、教師が天職の人は こんな形で 生徒に影響を与えるのでしょう。 吉田松陰も宮沢賢治もこの範疇のひとなのでしょう、教師肌とはあるのです。校風はつながる この雰囲気のようなものはなんとも貴重なものです。 国柄もそんなもののひとつでしょう。美術品と共に海外に流失し伝わった日本文化もまた クラークの弟子の内村、新渡戸によってなされた大和心の海外紹介に興味を持たせるきっかけとなった。
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2006/3/19(日) 投稿