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沖縄平和祈念公園(防長慰霊の塔説明書き)
「大東亜戦争」という単語は GHQの指令によりその使用を排除された。 半世紀のときは流れ 未だにその使用をためらわせ そのような単語を遣えば「軍国主義を肯定的にとらえることになる」と無邪気に信じ批判し 排除すべきことの出来る自分こそ 正しくリベラルであることの証明のようにその使用を検閲的に禁止し言葉狩りの尖兵のように振舞う人がいる、存在するのは正義感である。日中戦争、インドシナでの戦争、ニューギニアなどのオセアニア、フィリピン、アリューシャン、ハワイまでもおよんだ インド洋沿岸から太平洋、東、東南アジアでのこの大戦争を「太平洋戦争」とする史実と地理的な不整合に疑問をはさまない妄信振りと 太平洋と言葉を切り取ってまで 大東亜会議、大東亜憲章をなきものとしなければ 都合の悪いことが出てくるのだろう。 検閲という情報統制の中でのみ思考を許されないということがファシズムと一卵性のものであり ひとは夢から覚める夢を見ることの出来る思い込みの動物である。まさに噴飯物である。
以上
2006/3/19(日)投稿