愛国心批判 幸徳秋水 2002/ 8/22 大和心809、816 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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愛国心批判 幸徳秋水 2002/ 8/22 大和心809、816
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【廈門(アモイ)の日本領事館跡】今は大学を退官した教授の住宅になっているとか


幸徳秋水の愛国心の批判愛国心を彼は 「廿世紀之怪物帝国主義」のなかで「この主義(愛国主義)や常に専制政治家が自家の名誉と野心を達するの利器と手段に供せられる」「久米邦武氏が神道は・・古俗なりと・・教授の職を免ぜられたりき、・・内村鑑三氏か勅語の礼拝を拒むや、教授の職を免ぜられたりき・・尾崎行雄氏・・共和・・大臣の職を免ぜられたりき」「これ明治聖代における日本国民の愛国心の発現なり」「外国に対する愛国主義の最高潮は、内治における罪悪の最高潮を意味する」「いわゆる一致せる愛国心は、征戦ひとたびおわれば、国家国民に向かって何の利益をかあたうるや。見よ、敵人の首を砕ける鋭鋒は、直ちに同胞の血をなめんとす」と 徹底的に 愛国心を批判。 ものごとというものは 大多数の人が正しいのであると 疑うことをしなくなると その正しいものは誰も気が付かないうちに変容していくものである。 そのころ 中国の孫文は「三民主義」のなかで 「中国には家族主義と宗族主義があるのみで、国族主義がない。外国の傍観者は、中国人はひとにぎりのばらばらな砂だという。・・・・・・ところが国家のこととなると、絶大な精神をもってその犠牲になった、などということは、ついぞあったためしがない。・・」「・・日本は・・彼には民族主義があり・・・・かれらには民族主義の精神があった・・・日本こそよい模範のひとつである。」 民族主義の精神は 愛国心に他ならないわけで 要するにそのときの状況がどうか効用がかわるもの 孫文の意識した日本の愛国的民族主義は バラバラの砂をまとめるには取り入れる必要はあった。孫文の輸入するべきとした愛国心は みごとにバラバラな砂を大きな塊にし 塊となった今 負の作用を行なっている。そして現在の日本は 個人主義、家族主義、組織という族主義のはびこった 孫文のいう バラバラな砂になっており 幸徳秋水の心配した危険性はないが 小さな社会的最小の単位である家にたいしてそれをまとめるものが必要ではある。愛国心などというものは その効用が切れたとき服用すべきものなのであろう。愛国心というものは家族愛、郷土愛の延長とすれば 一つの道徳律。宗教をはじめとして飲みすぎれば原理主義となりアヘンとなる。

以上
2006/3/19(日)投稿