☆先生の話 2002/ 8/15 大和心740 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

自称「台湾総合ブログ」です。 台湾の「芸能」「観光」
「映画・ドラマ」「歴史」「古跡」「地理」「人文」
「言語」「民俗習慣」「グルメ」「図書・書籍」
「風景・自然」「社会」「宗教」と台湾生活のことなど
Yahooブログから 引っ越し中

☆先生の話 2002/ 8/15 大和心740

 【福岡の慰霊の塔】(沖縄)

中学の国語の先生が 特攻隊の生き残りであった。終戦がなければ特攻をしていたとのこと。授業中に淡々とではあったが 目に涙を浮かべておられた。
高校の生物の先生は 福岡大空襲のあと「後片付け」に行かれたと話された 丸焦げの遺体を軍手をして運んでいると なぜ素手で扱わないかと叱られたと。
また他の先生は戦後進駐軍でアルバイト 女性の将校に手招きされ「四つんばい」になるようにと
何をされるかと思っていると 靴磨きの台にさせられたとか 屈辱を語られた。
そして高校の化学の先生 宮崎で本土決戦の土豪を掘り 訓練中に打った銃の薬莢が耳にあたり それで方耳の聴力をうしなったと。
世界史の先生は 田舎のあぜ道小学校時代帰宅途中 グラマンに追いかけられ死ぬ思いで逃げたと 遊ばれたのか 殺されるところだったと。
英語の先生の多くは 日本軍と天皇の悪口が多かった。「なんで ガキの浩宮に敬語を使う必要があるか」かと。
小学校の担任は5人中3人が被爆者であった。 原爆投下後の話はかなり聞いた。

以上
2006/3/19(日)投稿