国の守りの御製 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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国の守りの御製

我心 およばぬ国の はてまでも よるひる神は 守りますらむ
明治大帝御製

為政者の勤めというものは 国というものを隅々まで気を配り そして対外的な外の世界との関係を意識しながら 政を行うものだと思う。当然日本なら日本という国を中心に据えて物事を考えなければ 国民の総枠の中に国益をもたらすことなど出来ない。
台湾人意識などあるはずもない中国生まれの中国人総統は 台湾人がほとんどの南部地域で発生した88大水害における救済活動の初動の遅れをもたらした。法的には関係はあるが 他人なのだから 無理からぬことである。そして大惨事ということがわかると 家族意識、ここでいうなら同胞意識があるなら 面子など考えずに お隣さんである日本などの外国に援助を申しでるのは 家族を救いたい意識があるのなら当然のはずなのだが 彼の家族愛は 台湾人ではなく中国人に示された。彼にとっては台湾人は他人、他人の命を道具にして 彼の祖国 中国と言う国のお手柄にしたい為 ご近所である日本や友人である米国が手を差し伸べているにもかかわらず にべもなく断る非道を行ったのだ。彼の美しい中国に対する家族愛によって台湾人が殺されるのだ。
日本人は日本人のものではないとし 日本国の象徴である日の丸を切り刻みながら それを我が神聖なる党旗を作らなかったとする 日本人意識のない人に 国の中の諸問題に 気が配られるわけがない。村山という首相が 阪神大震災で日本人を見捨てたのも 日本人意識が欠如していたことは否定できないことだ。

国という単位で 人がまとめられ その構成員がお金を出し合い その構成員によって国の機能をいかに発揮させるかという前提に 国民意識というものが必要であることはいうまでもない。


今日よりはかへりみなくて大君のしこの御楯(みたて)と出て立つわれは
万葉の防人の歌

天皇や日の丸というものが用意されているのは 国民意識の確認の統合の為の象徴である、それは人はシンボルマーク無につどえない性質をもっているからなのだ なければ民はバラバラになるだけである。そして国民意識のないトップを持つと 村山や馬のように人を殺してしまうと言うことなのだ。

以上
2009/8/22(土)投稿