爆撃に たふれゆく民のうえをおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも
昭和天皇御製(終戦時)

北海道道庁の展示 昭和20年8月20日 樺太真岡郵便局
ソビエト侵攻により 郵便局の交換台を守り自決した9人の英顔
樺太に 命をすてし たをやめの 心を思えば むねせまりくる
昭和天皇御製(昭和43年「乙女の碑」)
※たおや‐め【手弱女】; たおやかな女性。なよなよと優美な女性。たわやめ。
からふとに 露と消えたる 乙女らの 御霊安かれと ただいのるぬる
香淳皇后御歌(昭和43年「乙女の碑」)
国のため いのちささげし人々の ことを思えば むねせまりくる
昭和天皇御製 昭和35年3月28日千鳥ヶ淵戦没者慰霊苑
いくさなきよを あゆみきて おもひいづ このかたきひを いきしひとびと
今上御製 平成17年9月23日建立千鳥ヶ淵戦没者慰霊苑の歌碑
戦日に 逝きし船人を 悼む碑の 彼方に見ゆる 海平らけし
昭和天皇御 製戦没船員の碑 御製歌碑

かく濡れて 遺族らと祈る 更にさらに ひたぬれて 君ら逝き給ひしか
香淳皇后御歌 戦没船員の碑 御製歌碑
先の大戦で300万以上の犠牲者を出した日本 南方の海に沈んだまま、またジャングルの土に埋もれたままで半世紀以上が過ぎても 遺骨すら戻っていない人がいる。
今の日本が戦争を回避し 繁栄と国際関係の安定を維持しているのは このなくなられた先人の崇高な犠牲と精神によるものである。
靖国に戻って来た魂を慰霊するのは国が交わした約束、魂は靖国に戻ってこられているわけだから 約束の地に出向いていかなければ 国としての慰霊は不可能である。
変更は不可能、また数百万の遺族感情をどのように考えているのだろか、魂の取り扱いをないがしろにする首相になんの政治が出来るのだろうか?このような首相はいらない。
以上
2009/8/15(土) 投稿