島根大学皮膚科森田栄伸教授の退任記念業績集が届きました。寄稿した文章の一部を抜粋します。
私(古川)は退職のどこがめでたいか、長い間さっぱりわかりませんでした。しかし、自分が大学(和歌山県立医大)の定年(2017年3月)を迎えさらに現職(高槻赤十字病院院長)の定年を間近に控えると、何かしらホットする気持ちと、健康に育ててくれた父母、支えてくれた家族、医局員、職員に対して心から素直にありがたいことだと感謝するようになりました。ですから、『ご退職おめでとうございます』と声をかけられた際には、素直にありがとうございますと返事ができるようになりました。多分、栄伸先生もそうではないかと思います。
私は、広島県山県郡北広島町(元 千代田町)に生まれて、中学校を卒業するまで中国山地の山の中で過ごしました。川の水は、島根県を通って日本海に注ぐ江の川に注ぎました。子供の頃から海水浴は、浜田に行ったものです。栄伸先生も広島の田舎の出身に違いないと信じて、神楽の話、正しい広島弁の話などさせていただきました。1999年に私は浜松医大から和歌山医大に移りましたが、文科省の班会議のメンバーになっていただいて、南紀白浜で膠原病の光線過敏の会議を開催したときは、わざわざ駆けつけてくださいました。
(その時の写真、前列右端が栄伸先生)
忘れられないのは、2008年3月8日の夕方 一畑ホテルの近くで、島根医科大学腫瘍センター教授石倉浩人先生を交えての会食です。石倉先生は、地元(松江市)の高校から京大に入学し私と同じく1978年に卒業いたしました。北白川アカデミーと称して国試の勉強も一緒にしていました。体調的にすぐれないことも知っていましたが、栄伸先生の計らいで貴重な時間を共有することができました。残念ながら、2009年5月に石倉君は帰らぬ人となりました。
古川福実:森田栄伸先生のご退職に際して、森田栄伸教授退任記任業績集 17-18、2023
