左右(とにかく)なんとか過ごしてはきた 宇和島から島田市民病院編 | FF残日録のブログ

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広島県出身。各地で皮膚科の医療に関係してきました。2017年から,高槻の病院に勤めてます。過去の文書や今の心のうちを,終活兼ねて記して行こうと思ってます。2023/1/8に、dermadreamからFF残日録のブログに名称変更。

左右(とにかく)なんとか過ごしてはきた 宇和島から島田市民病院編

山田瑞穗

皮膚病診療:Vol.24, No.10;「私の歩んだ道」1170〜1174, 協和企画(2002)

 

月月火水木金金

 1日も早くこの病院(宇和島)を去るべし,との病院長の意向にうってつけの話が出てきて,京大系では東の端の静岡県島田市民病院に赴任した.皮肉なことに今度は,皮膚科と泌尿器科の両刀使いが欲しいというのが私に白羽の矢の立てられた理由であった.静岡県には,看板は掲げていてもまともに腎摘のできる泌尿器科医はいないも同然であったので,1人で皮膚科と泌尿器科をやるのはかなり多忙であった.CPCが必須であるとの認識から,いろいろ調べて,病理の専門家でなくても保健所長の許可と家族の同意があれば,死後の病理解剖はできるということがわかり,事前でなく事後の許可でもよいということになり,年間十数件の病理解剖ができた.外科,内科のノイヘレンと一緒に解剖を行い,肉眼所見をきちんと記載した後は,京大病理学教室で標本をつくって,詳細な病理所見と,診断を付けてもらい,不明な死因を解明できたことも少なくなかった.雑誌会,集談会,ハリソン内科書の輪読会等の勉強会が毎日熱心に続けられ,病院をあげて,文字どおり月月火水木金金で頑張った.

 院長が辞めて,副院長が昇格した時,同僚であった私がいてはやりにくかろうし,ほかの大学から泌尿器科助教授の口がかかってきたが,手術で勝負する外科系は私には不向きで,皮膚科専門を貫くためには,このままでは先がみえているので,勉強し直すしかないとの結論に達し,大学に戻ることになった.

 

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https://www.wakayama-med.ac.jp/med/hifu/derma/contents/professor-furukawa/Professor-1.html