左右(とにかく)なんとか過ごしてはきた 宇和島編
山田瑞穗
皮膚病診療:Vol.24, No.10;「私の歩んだ道」1170〜1174, 協和企画(2002)
鰯の刺し身が美味かった:宇和島で大活躍であったがーー
着任早々,いくつかの新聞社(?)の記者の訪問を受け,名刺交換と称する金を毟りとられて怪しげな記事を書かれ,訳もわからず市会議員の某々に怒鳴りつけられ,赴任して2年間は学会にも行かせてもらえないなど,地方の病院とはこんなものかと驚きもしたが,論文の校閲を受けるため,京都まで駅弁を4回食べて十数時間の汽車の旅はさせてもらった.
泌尿器科と分離し,皮膚科単独というものの,むずかしい泌尿器科の手術は手伝い,1人で頑張っていた整形外科医の手伝いもし,病院には役立っている心算だったが,病院のあり方などで批判をし(私自身もいい勤務医であったと思わないが),謀反人の烙印を押され,2年足らずで,鰯の刺し身,河豚の刺し身,鉄ちりの味を堪能し,晩酌の味を覚えたことを土産に,この地を去ることになった.
しかしこの地で,幼児の新しい皮膚疾患をみつけ,後に,遠心性腹壁皮下脂肪萎縮症(lipodystrophia centrifugalis abdominalis infantilis)として世界に問うことになったという貴重な経験をした.
http://pop-a.net/mizuho/tonikaku.html
https://www.wakayama-med.ac.jp/med/hifu/derma/contents/professor-furukawa/Professor-1.html