このタイトルは恩師山田瑞穗先生ブログで、皮膚病診療:Vol.24, No.10;「私の歩んだ道」1170〜1174, 協和企画(2002)に発表されたものです。
私も10年以上前に出した単行本の改訂版を出すことになり、後任のJ教授と今から編集会議です。
その時に山田先生の「左右(とにかく)なんとか過ごしてはきた 」思い出しました。URLは下記にありますが、何回かに分けて掲載します。山田先生が作成された能面を載せます。
私の歩んだ道
プロローグ
医者のほとんどが理乙出であるが,理甲出で技術者になるはずの私は,占領軍によりサイクロトンが海に投げ込まれ,焼け残った工場が片っ端から破壊されていく状況をみて,敗戦を機に工学部を退学し,医学部に転向した.公職追放の満洲引き揚げ一家とあって,何科にしろ無給で大学の医局に入るなどとうてい不可能で,生きていくだけの面倒はみてやるということで,インターン終了後,そのまま国立病院に定員外の雇員の身分で,医師国家試験の前ながら皮膚泌尿器科医員となった.昭和26年のことである.
http://pop-a.net/mizuho/tonikaku.html
https://www.wakayama-med.ac.jp/med/hifu/derma/contents/professor-furukawa/Professor-1.html
