本の編集で思い出すもの 左右(とにかく)なんとか過ごしてはきた (1) | FF残日録のブログ

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広島県出身。各地で皮膚科の医療に関係してきました。2017年から,高槻の病院に勤めてます。過去の文書や今の心のうちを,終活兼ねて記して行こうと思ってます。2023/1/8に、dermadreamからFF残日録のブログに名称変更。

このタイトルは恩師山田瑞穗先生ブログで、皮膚病診療:Vol.24, No.10;「私の歩んだ道」1170〜1174, 協和企画(2002)に発表されたものです。

 

私も10年以上前に出した単行本の改訂版を出すことになり、後任のJ教授と今から編集会議です。

 

その時に山田先生の「左右(とにかく)なんとか過ごしてはきた 」思い出しました。URLは下記にありますが、何回かに分けて掲載します。山田先生が作成された能面を載せます。

 

 

私の歩んだ道

プロローグ

 医者のほとんどが理乙出であるが,理甲出で技術者になるはずの私は,占領軍によりサイクロトンが海に投げ込まれ,焼け残った工場が片っ端から破壊されていく状況をみて,敗戦を機に工学部を退学し,医学部に転向した.公職追放の満洲引き揚げ一家とあって,何科にしろ無給で大学の医局に入るなどとうてい不可能で,生きていくだけの面倒はみてやるということで,インターン終了後,そのまま国立病院に定員外の雇員の身分で,医師国家試験の前ながら皮膚泌尿器科医員となった.昭和26年のことである.

 

http://pop-a.net/mizuho/tonikaku.html

 

https://www.wakayama-med.ac.jp/med/hifu/derma/contents/professor-furukawa/Professor-1.html