日光からこんにちわ。
前回書いた記事、「書き損じのはがきでカンボジアの地雷撤去支援」
今回は、なぜカンボジアの地雷撤去支援を行っているのかについて。
というのか、ベトナム・カンボジアを旅して感じた
「生きているだけで幸せ」と、本当に、心の底から思った体験を
皆さんとシェアできたらいいなと思って
書くことにしました。
それまでも、「生きているだけで幸せ」という言葉は知っていたし、
そう感じようともしていたし、
実際に、そう感じたつもりでいたけど、
心から「生きていること」に感謝し、
「あたりまえの、普通の生活を、普通に送ることができる幸せ」を
しみじみ感じた出来事です。
この感覚があるので、
自分が右往左往したときや、息子にイライラしたときなど、
自分軸に戻れるのだと思います。
ちょっと長いかもしれませんが、
良かったらお付き合いください。
2011年 秋に、当時小学3年だった息子と
ベトナム・カンボジアの旅に行きました。
そこで、宿泊したゲストハウスで出会った一冊の漫画で
カンボジアでの地雷について、その被害について、
ポルポト時代、内戦について詳しい出来事を知りました。
私とほぼ同い年の作者が描いていた漫画「密林少年」
その方も自分のカンボジアで出会ったことの
体験をもとに、漫画を描いたのだそうです。
「自分がドリフを見て笑っているころ、こんなことがあったなんて・・・」
というようなくだりがありました。
私も土曜日は「8時だよ 全員集合!!」を見て大笑いしてた一人。
そんな大笑いしてた頃、こんなことがあったなんて・・・というのが
漫画を読み終わった後、私の心にもワサワサと響きました。
地雷の悲惨さ、地雷作りにかかわった子供たちがいたこと。
遺跡や文化を壊し、家族もばらばらにされ、
簡単に人の命が奪われていくことがあったこと。
1ドル(100円)くらいで簡単に手作りの地雷を作ることができ、
それを子供兵が作り、仕掛けて、一番最初に歩かされていたこと。
など等たくさんの、知らないことが描かれていました。
当時8歳だった息子。その漫画を読んでいたときの表情は
今でも忘れません。
その漫画がきっかけで、
地雷博物館も、キリングフィールドも、リハビリテーションセンターも
実際に行ってみました。
アンコールワットのある町に近い「アキ・ラ地雷博物館」。
漫画の主人公で、実際にカンボジア少年兵として生き、
その後地雷撤去活動をしているのアキ・ラさん
そのアキ・ラーさんが、
自身で撤去した地雷や不発弾を集めて安全処理・展示をして
「地雷博物館」として運営。
寄付を元に、地雷の被害にあった子供たちの自立を支援もしています。
地雷は人を殺すのではなく、人を負傷させるものである。
負傷者を助ける兵士がいるということは、
負傷兵+助ける兵士で、2名~数名の戦闘能力を奪うことができる。
でも、殺してしまっては、死んだ兵士はそこに置き去りになるので、
戦える兵士の数が一人減っただけ。
だから、戦えない兵士の数を減らすには、殺すのではなく、けがをさせる。
そのための地雷である。
死ねずに、手足がなくなり、苦しむのが地雷である。
地雷をオモチャと思って、子供が拾ってしまい被害に遭うことがある。
そのほかにもたくさん知らなかったことを
見て、聞きました。
シェムリアップのリハビリテーションセンターでは、
実際の義足を作るところや、今でも地雷で被害にあった人たちが
治療を受け、入院している場所。
内戦は終わっても、地雷は埋まっていて被害は今も続いているのを知りました。
キリングフィールド
虐殺で命を落としたたくさんの人々の骨が
ガラス張りの塔の中にたくさん納められていて、
その出来事が、私がまだ小学生、中学生時代に
起こった出来事であったことを改めて実感しました。
どこを見ても衝撃的で、
私の中では、戦争というのは、オジイチャンの時代の出来事と
思っていたので、
自分が生きてきた時代、
小学校の入学式がどうだとか、誰を好きになったとか、
キャンディーズや、ピンクレディーで踊ってた時代に、
こんなことがあったということに、
カンボジアに生まれていたらどうなっていたのかということに
ただ、ただ、何とも表現できない感情で、驚いたというか、
ショックだったというか・・・。
ゲストハウスで漫画を読んで思ったこと、想像したことが、
「同時代に生きた人たちが、地雷や、内戦、ベトナム軍におびえ、
もし、私が、カンボジアに生まれていたら、子供兵になっていた。」
「もし、その時代にカンボジアで息子を生んでいたら、
この子は、私から引き離され、他で育てられて
10歳になったら、兵士にされて、戦いの中に送り込まれるんだ。
人を殺めるか、この子が殺されるか、
又は、仲間からどんな扱いを受けるのか、
大人からどんな扱いを受けるのか・・・。
眼鏡をかけている私は殺され、もう子供に会えないんだ・・・。」
小さいころから親と離れて暮らし、集団で育てられ、
10歳になると、少年兵として、銃を持たされ、地雷を作り、
戦闘に加わらなければ、それもまた、大変なことが待っていて。
ということでした。
ベトナム軍に捕まれば、ベトナム兵となって
友達だったカンボジア兵と戦った実在した漫画の主人公は、
私の2つ下。
カンボジアに入る前に訪ねたベトナムでも
も、同時代のベトナム戦争の衝撃的な写真や資料を見て
想像もしましたが、ゲストハウスのお兄さんは、28歳。
ポルポト内戦時に生まれ、安全な居場所へ向け、
家族で転々としていたとのこと。
5人兄弟みんな違う場所で生まれ、
小学校でも、銃声があれば逃げ、地雷のあるかもしれない場所も
通ってきたとのこと。
その時、私は45歳。
宿のお兄さんが生まれたころは、
18歳、バブリーはじける東京で大学生活真っ最中。
このベトナム・カンボジア旅、
息子と「生きているだけで幸せ」という同じ思いを
同じ空気感の中、感じることができ、実感した経験は
私の、たぶん息子の大きな、大切な何かを作っています。
読んでいただきありがとうございました。
取り留めなくなってしまいましたが、
何か、感じてもらえたら幸いです。