今日は、日光東照宮の千人行列という春の例大祭でした。
お天気もよく、昨日が雨だったので、新緑がきれいに映えて、
一年で一番、若い、成長のエネルギーがあふれている時です。
我が家は、おじいちゃん、息子が、毎年参加します。
(女性は参加できない)
朝、町内の人と一緒になって、社務所に向かって、
お昼も町内のおじさんたちと
ブルーシートに座って、遠足のように一緒にお弁当を食べ、
衣装を直したり、鎧を付け直したり、
身支度整え、、合図の花火がなると
午後の帰りの行列へ参加するために、
御旅所へ戻っていきます。
そういう時間が持てる息子も、じいちゃんも
その他の人のいっしょにその場で過ごした人は
なんとも幸せだなぁと思います。
江戸時代の衣装を着て歩くのは、
本当に大変そうだけど、
穏やかに流れる時間や、近所のおじさんお話を聞きながら
話に交じって会話する息子も、周りの方々も
見ていていいなぁと思いました。
そういう時間や、その時の安心感は
子供の心にきっと刻まれて、
心の大切な部分になっていくのだと思います。
このすごさを
改めて感じることは、息子もじいちゃんもないと思いますが(^^;)。
あたりまえに、毎年同じことをしているのだけど、
その、毎回同じあたりまえがあること、
それが、また、できることって
ありがたいことです。
そのあたりまえにあることが、
実は、とても奇跡であること、尊いことだなぁと、
東照宮の社務所の庭園で、カエルの鳴き声を聞きながら
感じたのでした。
「あたりまえ」は、「あたりまえではない」ですよ。
あたりまえの尊さに気づくと、
あたりまえが、あたりまえでないことに気づくと
大切なものが見えてきます。
