日光からこんにちわ

夢の活かし方のお話です。今回は、夢が過去への「浄化」と今の「安心」をもたらした話です。
前回からの続きです。前回のブログはここをクリック

前回までは、夢をきっかけに、子離れを決めた私の「車」の夢を中心に
書いてきましたが、今回は別の視点から見ていきますね。

キーワードは、最初の場面の
知人女性と集合場所を探していたこと。

この場面には息子は出てこないのですが、
その「息子が出てこない」ことが

子離れの夢だと思った一つです。

いつも見ているパターンと、夢のパターンが変わっていました。
私への現状での変化を感じさせる場面でした。


今までなら、
こういう夢の時は、息子を連れています。

手を引っ張っていたり、後からついて来させたり、
ついてきているかを心配しながら、確認しながら、
息子を何とか目的地へ連れて行こうと
訳も分からないまま、必死に連れて、目的地(それがどこかは?)
急いでいたり、迷っていたり、そんな夢が多かったです。

でも、今回は、息子ではなく、知人女性。
一緒に、ここかな?とのんびり探していました。

このことは、目覚めたときには気づかなかったことです。

夢の印象的な場面をノートに書き残していますが、
その時に「あ、息子がいない」と思いました。

いつもなら、息子の手を引っ張ってるなぁとか気づき、

「あー、この場面も、息子はもう私が必要ないんだなぁ。
 自分で探せるようになったんだなぁ」と、しみじみ切なさを
感じながらも、少しづつ、子離れをするとは
どういうものかと、頭ではなく、感覚(心)として感じ、
覚悟を決めたわけです。

車の夢だけでは、「そうなんだよね…」で終わっていたかもしれません。

そして、子供を連れて電車に乗ろうとしていた夢や、
駅で乗り場を探したり、電車に乗ったけど行先を間違える夢等のことを
思い出しながら、今までの自分を思い出し、泣きました。

最近、どんなカードをひいても、「過去を清算」が出てました。
今回、今までの子育てや、子供を連れてどこかへ行く夢を思い出し、
深いところに押し込んだ
悲しい思いが浮き上がってきました。

子供を連れて、実家に帰った時、
私はしっかり、子供の手をつかんでいました。



その時のことと、夢で手を引っ張って歩く自分と重なりました。
また、実家にいるとはいえ、海とも山ともつかない子育て。

「私は平気よ」って顔しても、
心の中は、全く平気じゃなかったし、
無我夢中だったり、ぶつかっては砕けてみたり、
意地を張っていたり、いろんなところが傷ついても

「へんっ」て思って、自分の悲しさや、寂しさなどを
奥に押し込んでいたようです。

生き方のクセなので、出しても、すぐに押し込んでしまう。

押し込められた気持ちが出てきてくれたことは、
とてもうれしいです。

子育てで、自分を責めたり、自分のできなさに
フォーカスしてしまっていた時だったので、

押し込まれていた「がんばってた私」も日の目を見ました(^^)。
浄化です。


最終章へ続く