日光からこんにちわ。

前回の 子離れを教えた車の夢 その1の続きです。

前回は、の夢が、
私に「もう子離れの時だよ、子ども扱いをやめる時だよ」ということを
教えてくれたという内容で、「車」が持つ意味を書きました。

今回は、どんな夢を見たのか、
そこから、どんなメッセージを受け取ったのかを、お話したいと思います。

今回見た夢は、

最初は、知人女性と、どこかの集合場所で待っていたら、
「集合場所はあっちだよ」と教えてくれる人が来て

「あ、ここならわかる、すぐ近くだね。」と知人女性と2人で、
駅前広場のようなとこに行って、集合場所と思うビルに
行ったけど、違っていて、
「どこだろうね、ここじゃないんだね」と
話をしている場面を覚えています。

次に覚えている場面が、「車」で人の家を訪ねる場面。

今回は、私が一人で車に乗っていて、私が運転しています。

目的地の、訪ねた先の家の駐車場に車を止めようとしましたが、
三角形の駐車スペースの真ん中に、1台の車が停まってて

「隣に停めてしまうと、もう1台が入らない感じ。
 これじゃ、息子の車が停められないくなる」と、

いつものように、車を並べて停めることは難しそうなので、
先の端っこのほうへ、Uターンしてなんとか停めた私。

あとからくる息子のために、停めやすい場所を空けておきました。

が、

あとから来た息子は、私の空けた場所、私の思っていた場所には停めず、
他の道端に停めて降りてきました。

運転していたのは息子。一人で運転してやってきて、
スムーズに、自分の考えて駐車スペース(道端)に停めて
何もないような顔で、車から降りてきました。

  「車」の夢では、車は自分のことを表しています。

   自分の生き方、行動力や人間関係というものを暗示していて、
   自分自身をコントロール出来ているのかどうかを
   示したりしています。

   自分で運転しているか?、スピードは?、だれを乗せているか?、
   ブレーキは?、どんな道を走ってる?など、
   いろんなキーワードがあります。

  例えば、
   自分で運転していると自分の人生を自分でコントロールしている、
   他人の車に乗っているのは、他人に依存してるとか。

この夢を見て、
「あ、子供を子ども扱いするな、もう自分の意志で自分を生きていく人なんだから」
と思ったわけです。



今まで見た車の夢では、息子はいつも、私が運転する車や、
誰かが運転する車に私と一緒に乗っていました。

息子は、もう一人で車を運転するときが来たんだなぁ・・・と。
目覚めたときにしみじみ感じ、

私の考えている、まだ子供 の息子への「決別」を決め、
一人の同居人として
関わっていくことを決め、実際にそのように、私がシフトチェンジ
しているところです。

この夢を見るまでは、
頭でわかってはいても、行動がついていかない
=わかっていないか、拒否をしていたのですが、

この夢を見て、覚悟が決まりました(^^;)

「幼い我が子、と思っている自分」との決別です。

最近、口の利き方や、話し方が大人ぶって、
私に対しても意見や文句を言ってくる息子に「カチン」としていて、
親だからとか、なんとか言い訳して
親の権力で強気に出てはこじれていた親子関係。

でも、この夢を見て

どこか、やっぱり、今までのようでいてほしい思いがあったことに気づき
(いや、気づいていたけど、見たくなかったというべきかなぁ…)、

・自分が子離れできていないこと
・自分が心配しすぎなこと、先回りしてしまったり、口うるさかったりすること

そこには、息子の問題ではなく、
私の問題が潜んでいて、息子を隠れ蓑にしていたこと、
全部、「認めろよ(笑)」ということを認めざるをえなくなった私でした。

そう、息子に何かがあるのではなく、
「私」捉え方、関わり方、心の持ち方一つの話です(^^;)

次回へ続く