日光からこんにちわ。
昨夜は、DVDを見て、踊るシーンでは、息子と一緒に踊って笑って、
「これって、はたから見たら、かなり変」と思いながら、
そんな関係になれる息子を授かったことを、感謝しながら
心の中で、がんばった私と息子を褒めたのでした(^^)
そして、
そんな風に思える自分を、また褒めた私でした(^^)。
昔は、自分で自分を褒めるなんてできません!
人に褒められても「え、そんなことないですよ」と謙遜、受け入れない(笑)
でも、今は、ちゃんと自分で自分をほめてます。
昨夜のDVDは、ディズニー映画「ラマになった王様2」
息子が7歳の時、息子を一人で育ててて、無職になって、自信もなくしていた時、
「言葉も通じない知らない土地で、2人で1か月旅したら、
この後も生きていけるかもしれない」と(ほかにも理由はありましたが)
1か月間ペルーに旅したことがあり、
息子にとっては、初めての海外旅が、マチュピチュ、ナスカ、アマゾンでした。
『ラマになった王様』=インカ帝国の国で、クスコという若い王様が、
傲慢な性格が災いして“ラマ”に変えられてしまい、
人間に戻るために、心優しい農夫の珍道中、ドタバタコメディ。
その続編が『ラマになった王様2 クロンクのノリノリ大作戦』
劇中の急に始めるダンスシーンに合わせて、
息子が踊りだすと私もそれに続き、
鶴太郎がひょうきん族で踊っていたピヨコちゃん(アヒルがガーガー♪)
のように、手を突き出して歩いてみたり、
ウェイブダンスの部分では、そのまま二人で並んで
手を波のように動かしては、2人で波のやり取り(^^)。
打ち合わせや、これをやってと言わずとも
息子はきっとここで踊りだすはず(私)
お母さんは、ここできっとこれをやってくれるはず(息子)
という、無言だけど、息の合ったダンスタイム。
そのシーンが終わると、何事もなかったように座って続きを見る。
この、説明や打ち合わせなく
続きを見られると
「きまった!」感があって、すごく気持ちがいいのです(^^)。
この「きまった感」の裏には、きっと信頼関係があるのだと思います。
「この人ならこうしてくれるはず」という思いが
「やっぱりこうしてくれた」になって
「やっぱり、自分のことをわかってくれる」となって
嬉しいものです。
こんな我が家も、子供が小さい時には
「おかあさん、僕を生まなきゃよかったね」と言われた時もあります。
5,6歳の子供に言わせてしまった この言葉、
息子が覚えているかはわからないけど、私はしっかり覚えてます。
その時の私も気持ちもしっかり、心に刻まれています。
これを、
「おかあさん、僕、生まれてきてよかったよ」と思ってもらえるように、
わかってもらえた感、認められた感、居ていいんだという安心感の
上書をたくさんしていきたいという思いが、
私の子育てのベースにあります。
まぁ、その後も、けっこうガチガチやって、
嫌な思い出の上書きもたくさんしちゃいましたが・・・
「反省しても消えない! だから、よいものを上書き!」と思っても
そうは簡単にはいかない。゚(T^T)゚。
いまでも、嫌な思い出の上書きもしています(苦笑)

よく、友達に、我が家のやり取りは漫才のようだとか、
お笑いのようで、見ていて面白い! と言われるけれど、
やってる本人たちはいたって真剣。でも、楽しい(そうでない時もあるけど)
今でこそ、そんなことができるようになったけど
ここまで来るには、
いろーんなことがありました。
その2へ続く
昨夜は、DVDを見て、踊るシーンでは、息子と一緒に踊って笑って、
「これって、はたから見たら、かなり変」と思いながら、
そんな関係になれる息子を授かったことを、感謝しながら
心の中で、がんばった私と息子を褒めたのでした(^^)
そして、
そんな風に思える自分を、また褒めた私でした(^^)。
昔は、自分で自分を褒めるなんてできません!
人に褒められても「え、そんなことないですよ」と謙遜、受け入れない(笑)
でも、今は、ちゃんと自分で自分をほめてます。
昨夜のDVDは、ディズニー映画「ラマになった王様2」
息子が7歳の時、息子を一人で育ててて、無職になって、自信もなくしていた時、
「言葉も通じない知らない土地で、2人で1か月旅したら、
この後も生きていけるかもしれない」と(ほかにも理由はありましたが)
1か月間ペルーに旅したことがあり、
息子にとっては、初めての海外旅が、マチュピチュ、ナスカ、アマゾンでした。

『ラマになった王様』=インカ帝国の国で、クスコという若い王様が、
傲慢な性格が災いして“ラマ”に変えられてしまい、
人間に戻るために、心優しい農夫の珍道中、ドタバタコメディ。
その続編が『ラマになった王様2 クロンクのノリノリ大作戦』
劇中の急に始めるダンスシーンに合わせて、
息子が踊りだすと私もそれに続き、
鶴太郎がひょうきん族で踊っていたピヨコちゃん(アヒルがガーガー♪)
のように、手を突き出して歩いてみたり、
ウェイブダンスの部分では、そのまま二人で並んで
手を波のように動かしては、2人で波のやり取り(^^)。
打ち合わせや、これをやってと言わずとも
息子はきっとここで踊りだすはず(私)
お母さんは、ここできっとこれをやってくれるはず(息子)
という、無言だけど、息の合ったダンスタイム。
そのシーンが終わると、何事もなかったように座って続きを見る。
この、説明や打ち合わせなく
続きを見られると
「きまった!」感があって、すごく気持ちがいいのです(^^)。
この「きまった感」の裏には、きっと信頼関係があるのだと思います。
「この人ならこうしてくれるはず」という思いが
「やっぱりこうしてくれた」になって
「やっぱり、自分のことをわかってくれる」となって
嬉しいものです。
こんな我が家も、子供が小さい時には
「おかあさん、僕を生まなきゃよかったね」と言われた時もあります。
5,6歳の子供に言わせてしまった この言葉、
息子が覚えているかはわからないけど、私はしっかり覚えてます。
その時の私も気持ちもしっかり、心に刻まれています。
これを、
「おかあさん、僕、生まれてきてよかったよ」と思ってもらえるように、
わかってもらえた感、認められた感、居ていいんだという安心感の
上書をたくさんしていきたいという思いが、
私の子育てのベースにあります。
まぁ、その後も、けっこうガチガチやって、
嫌な思い出の上書きもたくさんしちゃいましたが・・・
「反省しても消えない! だから、よいものを上書き!」と思っても
そうは簡単にはいかない。゚(T^T)゚。
いまでも、嫌な思い出の上書きもしています(苦笑)

よく、友達に、我が家のやり取りは漫才のようだとか、
お笑いのようで、見ていて面白い! と言われるけれど、
やってる本人たちはいたって真剣。でも、楽しい(そうでない時もあるけど)
今でこそ、そんなことができるようになったけど
ここまで来るには、
いろーんなことがありました。
その2へ続く