日光からこんにちわ。今日はお盆の送りの日。ナスに乗ってご先祖様が返っていきました。
今日も日光はたくさんの観光客でにぎわっています。
7月に、車の運転で雨でスリップして、首や肩、手に痛みが出たので、仕事も休んで
安静に過ごすことになり、息子と行く夏休みの直島・豊島旅も、とにかく遠出のお出掛けも
できず。。。
そんなわけで、家で過ごす時間の多かった今年の夏、
戦争の話のドラマや、戦争の時にどんなことがあったのかのドキュメンタリー番組を
たくさん見ることができました。
今年は戦後70年目の節目であり、安保法案のこともあって
ニュースでも、戦争のことを多く取り上げていた気がします。
昔は、
私が子供のころは、終戦記念日が近づくころには
戦争のドラマや、映画、ドキュメンタリー番組などが放送され
「あー、この時期が来たんだな…」と感じてましたが、
昨年は、8月15日が近づいても、あまりそういう番組がないなぁと
感じていました気がします。
戦争体験者がご高齢になっていることから、実際に戦場で戦った兵士の方などで
証言されている方は、90歳を超えていらっしゃり、
当時 学生で参加した学徒出陣や、勤労学徒の生徒だった方も、すでに
80歳を超えています。
今まで、何も語らなかった方々が、自分のような悲しい思い、一緒に戦った仲間は死に、
なぜ自分は生き残ったのか…と、自分を責め、自分の生きている意味も分からず
悩んでいた方々が、みなさんおっしゃるのが、
「この悲惨な体験を伝えるために、生き残った、生き残されたのではないかと思う」と。
戦後、しばらく語らなかった方々が、
自分たちが死んでしまったら、その事実を知る人がいなくなってしまう、
日本を守る戦争、その戦争で必死に戦って散っていった人たちがいたことを
なかったものにしてはいけない、残さねければいけない、
その人達の思いを伝えなければいけない。
そして、戦争は人殺しである、勝っても負けても心に傷を負う。
戦争は絶対にやってはいけないと。
先日、天皇陛下が戦没者慰問で訪れたパラオのペリリュー島は
日本兵はほぼ全滅。96パーセントがなくなった激戦地区。
土田さん(現在95歳)は、1万人の兵士のうち、生き残った34人の一人
産経新聞の土田さんの記事→ここをクリック
※土田さんは、約1万人がほぼ全滅した同守備隊の中で、
昭和22年まで抗戦していたそうです。
戦友の御霊が陛下と邂逅(かいこう)する場に立ち会いたいと、
車いすの老身を押して訪島した時の記事。

日本が負けて投降して出ていった日本兵土田さんと、
その投降した日本兵を連れて行ったアメリカ兵が
70年後初めて再会した番組を見ました。
2人の写真が残っており、
捕虜となって、手を挙げて出てきた日本兵と、その横にアメリカ兵が映っている写真です。
95歳の元日本兵と、91歳の元アメリカ兵。
70年ぶりに会ったとき、二人は抱き合って涙を流しました。
元日本兵は、「よく、あの時私を撃たないでくれた。ありがとう」と。
元アメリカ兵も同じことを言っていました。
元アメリカ兵は、投降してきたとはいえ、殺されるのではないか、
撃たれるのではないかと怖かったとのこと。
そして、元日本兵も、死を覚悟し出ていき、とても恐ろしくて
相手の顔を見ていなかった、今回初めて顔を見たと言っていました。
元アメリカ兵の話を聞いて、アメリカ兵も怖かったんだということを初めて知りました。
だから、やっぱりどっちも被害者で、加害者で、心に負う深い傷がある。
70年前に戦った日本兵とアメリカ兵の、今91歳と95歳のお二人が
お互いに杖を片手に
緑の綺麗な公園で、談笑している姿は、平和そのものでした。
私たちは、まだまだ知らなければいけない事実、あとに残していく事実が
たくさんあると思いました。
70年経って、開示された文書や写真も出てきていたり、
デジタル技術の発展などでわかったこと、新たな事実もたくさんあります。
また、高齢になった戦争体験者の方々も、話しておかなければいけない、
残さないといけないという思いで、インタビューに答える方もいるとのこと。
嫌なことを思いだし、、心の奥底にしまってしまったものを
外に出してくれています。そして今でも鮮明に残っている記憶で
決して忘れられないという痛みを伴う記憶。
私たちが、これからつないでいかないといけないと思いました。
今日も日光はたくさんの観光客でにぎわっています。
7月に、車の運転で雨でスリップして、首や肩、手に痛みが出たので、仕事も休んで
安静に過ごすことになり、息子と行く夏休みの直島・豊島旅も、とにかく遠出のお出掛けも
できず。。。
そんなわけで、家で過ごす時間の多かった今年の夏、
戦争の話のドラマや、戦争の時にどんなことがあったのかのドキュメンタリー番組を
たくさん見ることができました。
今年は戦後70年目の節目であり、安保法案のこともあって
ニュースでも、戦争のことを多く取り上げていた気がします。
昔は、
私が子供のころは、終戦記念日が近づくころには
戦争のドラマや、映画、ドキュメンタリー番組などが放送され
「あー、この時期が来たんだな…」と感じてましたが、
昨年は、8月15日が近づいても、あまりそういう番組がないなぁと
感じていました気がします。
戦争体験者がご高齢になっていることから、実際に戦場で戦った兵士の方などで
証言されている方は、90歳を超えていらっしゃり、
当時 学生で参加した学徒出陣や、勤労学徒の生徒だった方も、すでに
80歳を超えています。
今まで、何も語らなかった方々が、自分のような悲しい思い、一緒に戦った仲間は死に、
なぜ自分は生き残ったのか…と、自分を責め、自分の生きている意味も分からず
悩んでいた方々が、みなさんおっしゃるのが、
「この悲惨な体験を伝えるために、生き残った、生き残されたのではないかと思う」と。
戦後、しばらく語らなかった方々が、
自分たちが死んでしまったら、その事実を知る人がいなくなってしまう、
日本を守る戦争、その戦争で必死に戦って散っていった人たちがいたことを
なかったものにしてはいけない、残さねければいけない、
その人達の思いを伝えなければいけない。
そして、戦争は人殺しである、勝っても負けても心に傷を負う。
戦争は絶対にやってはいけないと。
先日、天皇陛下が戦没者慰問で訪れたパラオのペリリュー島は
日本兵はほぼ全滅。96パーセントがなくなった激戦地区。
土田さん(現在95歳)は、1万人の兵士のうち、生き残った34人の一人
産経新聞の土田さんの記事→ここをクリック
※土田さんは、約1万人がほぼ全滅した同守備隊の中で、
昭和22年まで抗戦していたそうです。
戦友の御霊が陛下と邂逅(かいこう)する場に立ち会いたいと、
車いすの老身を押して訪島した時の記事。

日本が負けて投降して出ていった日本兵土田さんと、
その投降した日本兵を連れて行ったアメリカ兵が
70年後初めて再会した番組を見ました。
2人の写真が残っており、
捕虜となって、手を挙げて出てきた日本兵と、その横にアメリカ兵が映っている写真です。
95歳の元日本兵と、91歳の元アメリカ兵。
70年ぶりに会ったとき、二人は抱き合って涙を流しました。
元日本兵は、「よく、あの時私を撃たないでくれた。ありがとう」と。
元アメリカ兵も同じことを言っていました。
元アメリカ兵は、投降してきたとはいえ、殺されるのではないか、
撃たれるのではないかと怖かったとのこと。
そして、元日本兵も、死を覚悟し出ていき、とても恐ろしくて
相手の顔を見ていなかった、今回初めて顔を見たと言っていました。
元アメリカ兵の話を聞いて、アメリカ兵も怖かったんだということを初めて知りました。
だから、やっぱりどっちも被害者で、加害者で、心に負う深い傷がある。
70年前に戦った日本兵とアメリカ兵の、今91歳と95歳のお二人が
お互いに杖を片手に
緑の綺麗な公園で、談笑している姿は、平和そのものでした。
私たちは、まだまだ知らなければいけない事実、あとに残していく事実が
たくさんあると思いました。
70年経って、開示された文書や写真も出てきていたり、
デジタル技術の発展などでわかったこと、新たな事実もたくさんあります。
また、高齢になった戦争体験者の方々も、話しておかなければいけない、
残さないといけないという思いで、インタビューに答える方もいるとのこと。
嫌なことを思いだし、、心の奥底にしまってしまったものを
外に出してくれています。そして今でも鮮明に残っている記憶で
決して忘れられないという痛みを伴う記憶。
私たちが、これからつないでいかないといけないと思いました。