歩行中にトラックに巻き込まれたという交通事故で、
救急車で被害者が運ばれてきた。
80代くらいの女性。
おそらく後頭部から、激しい出血があり、意識レベルはJCS300。
いわゆる、“意識不明の重態”。
外傷による頭蓋内病変があるのは、容易に想定できた。
頭部CTでは、案の定の結果。
共に診療を進めていた脳外科医により、手術が行われることになった。
手術室へ向かうエレベーターの中で、
駆け付けたお孫さん(おそらく30代くらいの女性)が、叫んだ。
「おばあちゃん!・・・・おばあちゃん!」
こんな時に不謹慎かもしれないが、
こうやって 「おばあちゃん」 と呼べる人がいることを、
心の中で、ふと羨ましく思った。
一瞬、目頭が熱くなった。
祖母のことを回顧しながら、
その患者を乗せたストレッチャーを手術室へと送った。
結局、手術室で血圧が保てなくなり、救命は困難と判断され、
意識の戻らぬまま病棟に戻って来た。
後から駆けつけてきた家族が、その “おばあちゃん” を囲んでいた。
今夜一晩もつかどうか、くらいの状態だと思う。
僕の母方の祖母は、大阪に住んでいた。
大阪に住んでいた祖母だが、数か月単位の滞在で、
福岡の僕らの家に時々遊びに来てくれていた。
きれい好きで、いつも家の掃除をしてくれた。
家の中だけでなく、庭の隅々まで。
おばあちゃまが来るとおうちがきれいになるね、
などと父や僕ら兄弟が母をからかうように言うくらいだった。
大阪では、長男一家と一緒に暮らしていた。
近くにまた別の子供一家、孫一家、ひ孫たちも住んでおり、
みんな互いによく行き来していた。
僕はそんな大阪の親戚たちの暮らしの雰囲気が好きで、
よく遊びに行っていた。
祖母は、僕が大学一年の秋に亡くなった。
今日思い返してみると、僕が祖母に最後に会ったのは、
その年の夏休みに大阪に遊びに行った時だった。
その時は、数か月後にいなくなるなんて、想像さえし得なかった。
秋にある手術を受け、その術後の血栓症によるものだったらしい。
ある朝、実家の兄からの電話で、突然の訃報を受けた。
その日すぐに大阪に移動し、祖母の家に着いた時にはもう、
祖母は全く動かなかった。
俺も、最後に 「おばあちゃん」 って呼びたかった。



「にのりんぐ」 となってから初のユニフォームネタ。

