無私の人。 | Festina lente!〜悠々として急げ〜   

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日々の希望は、フィギュアスケーター羽生結弦さんの存在。さまざまなこと。さまざまな幸せについて。

 

実行家として成功する人は、自己を押し通す人、

強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、

実は、反対に、彼には一種の無私がある。

空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。

有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。

現実の新しい動きが看破されれば、

直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。

物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。

 

                        小林秀雄「無私の精神」より

 

 

 

 

 

「無私の人」——— そんな言葉で思い浮かべるのは、やはりゆづのことだ。

 

人は誰でも、少なからず私心がある。

もっといえば、エゴイズムによって行動し、傷つけ合うこともある。

 

あの映画の中の日本人のように、私欲をおさえ、

物事を客観的に見ることができたなら、

世界はもっと幸せに満ちているのかもしれない。

 

しかし、実際にあるのは自己主張と言い訳ばかり。

 

他人からの批判など、到底受け入れられない。

感情的に反論し、いかに傷ついたかを大声でわめく。

まるで、声が大きい方が勝ち、といわんばかりに。

認めて欲しい、構って欲しい、と。

 

 

そんな姿に嫌悪感を持つ人は多いだろう。

しかし、いざ矛先が自分に向けば

無私でいることはとても難しいことだ。

 

だから。

 

多くの目にさらされ、勝手な思い込みであれこれ言われ、

まるで、よってたかって傷つけようとしてくるような環境で

反論も弁解もしないゆづを思う。

 

彼のすごさは、それが我慢ではないこと。

どんな意見にも、どんな扱いにも、感謝がある。

 

 

相手に理解されなかったら、それは感謝が足りないーーー。

 

 

そんな物事の捉え方に、心底驚いた。

 

 

もちろん、

私たちが目にすることができるゆづの姿は、ほんの一部分だろう。

それでも、その短い時間の中に、

いくらでも彼の感謝の気持ちを見つけることができる。

 

 

氷に、チームに、観客に、そして自分の身体に。

きちんと向き合い、挨拶を欠かさないゆづ。

他の選手にも目を配り、称賛を贈るゆづ。

 

 

その姿はあまりにも美しく、気高く、

目にする度に胸がいっぱいになる。

 

 

 

あなたが氷に触れる時、温かみを感じる。

あなたが手を振る時、喜びを感じる。

あなたが口を開く時、心からの声が聞こえる。

 

 

あれこれ勝手に不安になるよりも

その思いをしっかりと受け止め、一緒に前を向こう。

 

 

 

 

 

無私の人———。

 

 

目標を達成し、成功していく人は

過去の自分にとらわれず、

日に日に新しく生まれ変わる覚悟がある。

 

 

そんな評論が、ぴったりとゆづに重なった。

 

 

ここまでの道は決して平坦ではなかったけれど、

ここから先は必ず成功へ通じていると信じて。

 

 

どうぞ、思うままに突き進んで。

ゆづのままで。

 

 

 

振り向けば、

私たちはいつもそばにいるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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